研究室_蛇足的研究

紹介作品・研究室の倉庫

2005年8月14日

「清張」作品の書き出し300文字前後で独善的研究!。


研究作品 No_026

 【高校殺人事件


研究発表=No 026

【高校殺人事件】「高校上級コース/高校コース」1959年11月号〜1961年3月号

高等学校は城山にあった。城山といっても、べつに石垣があるわけではない。武蔵野台地の一画で、普通の小さな丘であった。......◎蔵書◎高校殺人事件●(株)光文社●1976/10/01(131版)より

高等学校は城山にあった。城山といっても、べつに石垣があるわけではない。武蔵野台地の一画で、普通の小さな丘であった。クヌギ、ケヤキ、カシなどの雑木が密生している。城跡だといわれると、丘の下に空濠の跡が溝のようについていて、わずかにそれだと知られるくらいであった。戦国時代、小田原北条がたの豪族がここに小城を築いていたということだった。この城跡の下には、享光院という寺になっている。由緒ある寺だが、今は荒廃して、めったに参詣人がない。もっとも、交通の便利が悪い。中央線の駅まで都心から一時間半ぐらいかかるが、その駅からバスで五十分ぐらい要する。バスも回数が少ない。バスを降りて、田舎道を二十分ぐらい歩かねばならなぬから、都心からの参詣人がないのも当然だった。しかし、まるきり訪う人がいないか、といえばそうではない。ときたま、四、五人連れの人が寺のまわりをゆっくり歩いているのを見かけることがった。彼らは、手帳を出して、何か案じ顔に首をかしげては、鉛筆をなめていた。多くは年輩者だった。つまり、彼らは俳人であった。

研究

小説の主題となるような登場人物は、まだいない。高等学校の所在地の情景描写がすべてのようだ。
武蔵野台地の一角とされるが、その具体的地番は不明である。
今では、都心から中央線で一時間半なら、大月当たりまで行きそうである。
武蔵野台地とは、どの当たりまで言うのであろうか?
確認してみた。●出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
武蔵野台地(むさしのだいち)とは、関東平野西部の荒川と多摩川に挟まれた地域に広がる台地
>である。
>その範囲は東京都の大部分
(具体的には東京特別区<いわゆる東京23>の西半分と旧北多摩郡
>および西多摩郡の一部)、そして埼玉県南部の所沢市や狭山市などの地域を含み、川越市は
>武蔵野台地の北西端に位置する。
>武蔵野台地の地形は古くから研究が進められ、日本の第四紀編年の基準とされてきた。

どうやら、中央線の駅を八王子・立川近辺として、羽村、福生、青梅あたりか?
タイトルの殺人事件の手がかりは全くない。長編らしい書き出しである。