事件簿I

清張分室 パンドラの過去? 清張分室

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『松本清張事件簿No10』

「松本清張と坂口安吾」


坂口安吾の「堕落論」のCDが手元にある。
その昔、確かソニーの通販で毎月好みのCDが送られてくるシステムがあった。落語好きで、落語のCDを買うことが目的で会員になっていた。
CDが必要なければ不要の連絡をすれば当月の購入はしないで済む仕組みだったと思う。
坂口安吾のCDが、キャンセルの連絡を忘れてしまった結果送られてきたものだった。
「坂口安吾」が何者かは殆ど知識が無かった。


ウィキペディア(Wikipedia)より
坂口 安吾
(さかぐち あんご)
誕生 坂口 炳五(さかぐち へいご)
1906年10月20日
日本の旗 日本・新潟県新潟市西大畑通28番戸(現・中央区西大畑町579番地)
死没 1955年2月17日(48歳没)
職業 小説家、評論家
最終学歴 東洋大学印度哲学倫理学科第二科(現・文学部東洋思想文化学科)
ジャンル 小説、評論、随筆
代表作 『風博士』(1931年)
『日本文化私観』(1942年)
『堕落論』(1946年)
『白痴』(1946年)
『桜の森の満開の下』(1947年)
『二流の人』(1947年)
『不連続殺人事件』(1947年)
主な受賞歴 探偵作家クラブ賞(1948年)
文藝春秋読者賞(1950年)
デビュー作 『木枯の酒倉から』(1931年)

昭和の、第二次世界大戦前から戦後にかけて活躍した、近現代日本文学を代表する小説家の一人である。
純文学のみならず、歴史小説や推理小説、文芸や時代風俗から古代史まで広範に材を採る随筆、囲碁・将棋における
タイトル戦の観戦記など多彩な活動を通し、無頼派・新戯作派と呼ばれる地歩を築いた。

※人物
新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科(現・文学部 東洋思想文化学科)卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。

戦前はファルス的ナンセンス作品『風博士』で文壇に注目され、一時低迷した後、
終戦直後に発表した『堕落論』『白痴』により時代の寵児となり、太宰治、織田作之助、石川淳らと共に、
無頼派・新戯作派と呼ばれ地歩を築いた。

文学においての新人賞である芥川龍之介賞の選考委員を第21回から第31回の間務め、
松本清張や辻亮一、五味康祐などの作家を推した。歴史小説では黒田如水を主人公とした『二流の人』、
推理小説では『不連続殺人事件』が注目された。

坂口安吾は純文学だけではなく、歴史小説や推理小説、文芸、時代風俗から古代まで広範な歴史における題材を扱った随筆や、
フランス文学の翻訳出版、囲碁・将棋におけるタイトル戦の観戦記など、多彩な活動をした。
一方で気まぐれに途中で放棄された未完、未発表の作品も多く、小説家としての観点からはけっして「器用な」小説家とはいえないが、
その作風には独特の不思議な魅力があり、狂気じみた爆発的性格と風が吹き通っている「がらんどう」のような風格の稀有な作家だといわれている。
晩年に生まれた一人息子の坂口綱男は写真家である。

【不連続殺人事件】(坂口安吾作)について
松本清張は、「日本の推理小説史上不朽の名作で、(中略)欧米にもないトリックの創造である。
人間の設定、背景、会話が巧妙をきわめ、それに氏の特異な文体が加わって、
その全体が一つのトリックだと気がつくのは全部を読み終わったときである」と評している[要文献特定詳細情報]。
文芸評論家の七北数人は、安吾が「怪奇耽美の味わい」を出すことに長けているにかかわらず、あえて「文学的な要素」
を排除し、謎解きのゲーム性を重視しているとし、「複雑な人間関係そのものがトリックになる本作では、この書き方が必然でもあった」
と解説している。


●坂口安吾の松本清張評(或る『小倉日記』伝)について
この小説は松本清張の出世作で、第28回芥川賞(昭和28年)を受賞しています。その時の選考委員の一人である坂口安吾は松本清張についての選評はこんなことを言っているそうです。『文章甚だ老練、また正確で、静かでもある。一見平板の如くでありながら造形力逞しく底に奔放達意の自在さを秘めた文章力であって、小倉日記の追跡だからこのように静寂で感傷的だけれども、この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があり、その時はまたこれと趣きが変わりながらも同じように達意巧者に行き届いた仕上げのできる作者であると思った』するどい、そして松本清張のその後の未来を予見しているかのような卓越した坂口安吾の評価であると思います。ボク自身は正直この小説を読んで、清張作品のエッセンスのようなものが(たとえば、社会的弱者への視点、男に巣くっている性的衝動、何かを追いかける執念など)見受けられるなと思いながらも、安吾のような鋭い洞察を得ることができませんでした。ボクの場合、成功した清張の著名な作品を読んでからこの小説にアプローチしているのですから、そこに清張作品の特徴の萌芽を見るには容易なことでしょう。しかし、安吾はリアルタイムの清張への評価であるわけですから、その予見力は凄いとしかいいようがありません。優秀な書き手は、また同時に優秀な読み手でもあるということなのでしょうか。その能力が羨ましく感じました。



安吾
1906年10月20日
1955年2月17日(48歳没)

清張
1909年12月21日
1992年8月4日(72歳没)

清張と安吾は3歳しか違っていない。小説家ととして遅咲きの清張が、或る『小倉日記伝』を発表してから3年後に安吾は死亡している。
年齢の違い以上に作家として二人の間には大きな距離が有ったと言える。
安吾が清張の芥川賞受賞に寄せる選評はその後の清張の活躍を予言させるものであると言える。
誰が予想し得たであろうか? 坂口安吾の眼力の凄さを感じざるを得ない。


▲安吾・清張「帝銀事件」  
松本清張=【【日本の黒い霧】第八話)画家と毒薬と硝煙帝銀事件の謎)】
坂口安吾=
帝銀事件を論ず:坂口安吾:中央公論 3月号(昭和23年)
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安吾に多少の興味を持ち始めた。
そんな時、「帝銀事件」の関係で、坂口安吾の「帝銀事件を論ず」を知って、読んだ。





▲【不連続殺人事件】(坂口安吾)
読むことに決めた。



購入しました。
















●松本清張            ●坂口安吾




2024年3月21日 記

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