研究室_蛇足的研究

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2025年06月21日


清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!




研究作品 No_168
「隠り人」日記妙

(シリーズ作品/草の径:第四話■松本清張全集66では、第五話として収録)


昭和三十三年三月十一日思いたって一時半ごろから使い古した釣竿と魚籠を持って家を出た。家といっても間口二間に奥行二間の二階建て。これが狭い一間通路をはさんで片側八軒の棟割り長屋である。●蔵書【松も清張全集 66 老公 短編6】((株)文藝春秋●「月刊文藝春秋」1990年(平成02年)6月号
〔月刊 文藝春秋〕
1990年(平成02年)6月号


昭和三十三年三月十一日思いたって一時半ごろから使い古した釣竿と魚籠を持って家を出た。家といっても間口二間に奥行二間の二階建て。これが狭い一間通路をはさんで片側八軒の棟割り長屋である。通路は南の大通りから北の裏通りへ通り抜けとなっている。南が入り口で、北が出口だ。おれの家は北出口の右角の隣りである。この十六軒長屋は、もともと地主が「市場」用に四十年前に建てたもので、各軒とも階下の半分は店舗用に漆喰のたたきにし、奥の半分は畳敷きである。その畳敷きの隅に階段がついて階上にあがる。階上は六畳が一間と押入があるだけ。窓は外側についている。
四十年も経っているから建物はいまにも倒れんばかりである。もともと戦前の物資の乏しいときに建てた安普請である。それでも北海道という地の利で、大雪山系の木材を曳き出すかどうかしてうまくやった。
シリーズ作品「草の径」は、清張最晩年の作品です。
発表時から単行本に収録されるまでに紆余曲折があったように見受けられる。
発表は、「月刊 文藝春秋」で、1990年(平成2年)1月号から始まっている。
1990年(平成2年)1月号=「削除の復元」
1990年(平成2年)4月号=「ネッカー川の影」
1990年(平成2年)5月号=「死者の網膜犯人像」(原題:死者の眼の犯人像)
1990年(平成2年)6月号=「「隠り人」日記妙」
1990年(平成2年)8月号=「モーツアルトの伯楽」
1990年(平成2年)11月号=「呪術の渦巻き文様」(原題:無限の渦巻き文様)
1990年(平成2年)12月号〜1991年(平成3年)1月号=「老公」
1991年(平成3年)2月号=「夜が怖い」
何れも短編であるが、以上の通り順次発表されている。(必ずしも毎月発表された訳では無いようだ)

1991年に文藝春秋社から単行本「草の径」が、出版されている。(私は3版を蔵書/初版は1991年)


【草の径】第二話『ネッカー川の影』
【草の径】第三話『死者の網膜犯人像』
【草の径】第四話『「隠り人」日記抄』
【草の径】第五話『モーツアルトの伯楽』
【草の径】第六話『呪術の渦巻き文様」
【草の径】第七話『老公』
【草の径】第八話『夜が怕い』






●全集の第66巻(1996年(平成8年)3月30日/初版)
※「松本清張全集 66 老公 短篇6」では、「削除の復元」は、 シリーズ「草の径」ではなく単独で収録
全集66巻短編6では、「草の径」 収録順番がかなり違っている。
それぞれ出版事情があるのだろうが、「老公」が、草の径の第一話のように編集されていて
「削除の復元」が、単独の短編として編集されている。奇妙に感じられる。

収録内容は
 一.【草の径】(siri-zu03)
  1.老公(077__02)
  2.モーツアルトの伯楽(075__02)
  3.死者の網膜犯人像(073__02)
  4.ネッカー川の影(072__02)
  5.「隠り人」日記抄(074__02)
  6.呪術の渦巻文様(076__02)
  7.夜が怕い(078__03)

 二.「河西電気出張所」(613__03)
 三.「山峡の湯村」(046__02)
 四.「夏島」(606___02)
 五.「式場の微笑」(113__02)
 六.「骨壺の風景」(058__02)
 七.「不運な名前」(614__02)
 八.「疑惑」(004__02)
 九.「断崖」(609__02)
 十.「思託と元開」(704)
十一.「信号」(607__02)
十二.「老十九年の推歩」(608__02)
十三.「泥炭地」(677__02)
十四.「削除の復元(071)


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時期はハッキリしている。
昭和三十三年三月十一日。場所も北海道らしい。
家屋の説明が詳しい
家といっても間口二間に奥行二間の二階建て。階上は六畳が一間と押入があるだけ。
もともと戦前の物資の乏しいときに建てた安普請である。
この家の住人の話だろうが、皆目見当がつかない。
昭和33年と言えば、東京タワーが完成した年では...

2025年6月7日松本清張研究会第49回研究発表会で、研究会代表理事の挨拶で
面白いエピソードが語られた。
奇しくも、6月3日に長嶋茂雄が亡くなった。彼のプロ野球でのデビューは下の写真の通り、1958年(昭和33年)だ。
1958年と言えば、『点と線』『眼の壁』が単行本として出版され、ベストセラーとなって、いわゆる”社会派推理小説”ブームの原動力になる。
松本清張が、華々しくデビューした年とも言える。