紹介作品No 129 【骨壺の風景】 〔【新潮】1980年(昭和55年)1月号 両親の墓は、東京の多磨墓地にある。祖母の遺骨はその墓の下に入ってない。両親は東京に移ってきてから死んだが、祖母カネは昭和のはじめに小倉で老衰のため死亡した。大雪の日だった。八十を超していたのは確かだが、何歳かさだかでない。私の家には位牌もない。カネは父峯太郎の貧窮のさいに死んだ。墓はなく、骨壺が近所の寺に一時預けにされ、いまだにそのママになっている。寺の名は分からないが、家の近くだったから場所は良く憶えている。葬式にきた坊さんが棺桶の前で払子を振っていたので、禅宗には間違いない。暗い家の中でその払子の白い毛と、法衣の金襴が部分的に光っていたのを知っている。読経のあと立ち上がって棺桶の前に偈を叫んだ坊さんの大きな声が耳に残っている。私が十八,九ぐらいのときであった。●蔵書【岸田劉生晩景】(株)新潮社●「新潮」1980年(昭和55年)1月号
登場人物
研究室への入り口