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2026年4月21登録
徒然話_04

【井上ひさしの言葉】

「むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをおもしろく
おもしろいことをまじめに
まじめなことをゆかいに
そしてゆかいなことをあくまでゆかいに」

  ●『白い系譜』と『実録・家系図』

『白い系譜』という本をご存じの方がいましたら教えてください。
この本が清張の本だと勘違いしました。タイトルだけで、ありそうな本だと思ったのです。
内容が松本家の家系について書かれているらしいのです。
清張マニアとしては見落としていたのか!と、探しにかかりました。
ところが、清張作品ではなく、「白根正寿」氏の作品で、2000年出版。入手は困難のようです。

『白い系譜』の中で、松本家の系譜が語られているようです。
松本家の系譜は以下の通りが、知られています。



自叙伝の『半生の記』などで分かることは、清張の父「峯太郎」は、母(峯太郎の母/とよ)と嫁ぎ先の姑と不仲で、
実家に帰り峯太郎を生んでいます。(これは、離縁だったようです)
生後間もない峯太郎は松本家に里子に出されます。
上図には、養父は松本米吉となっていますが、養母が記載されていません。
骨壺の風景』の中で、養母は松本カネの名が出てきます。

峯太郎の実父は田中雄三郎で、実母は「とよ」ですが、旧姓は、
徹底検証06】(半生の記)で福田と記されています。
離縁され実家で峯太郎を生みますが、田中家で姑が亡くなり、雄三郎と復縁します。
復縁後二人の子供をもうけます。
家系図では、峯太郎の弟は、「嘉三郎」ですが三男で、次男がいましたが死亡しています。
とよは、里子に出した峯太郎を引き取ろうとしましたが、松本家が返してくれなかったようです。
松本家はかなり貧乏だったので、働き手として峯太郎が必要だったのでしょう。
ただ、峯太郎は18歳頃に出奔します。
もともと、松本家は貧乏だったのでしょうが、いきさつは分かりませんが、下関で餅屋を営んでいました。
このあたりの経緯は皆目分かりません。峯太郎はタニ(旧姓:岡田タニ)と結婚、清張が生まれてから
下関の壇ノ浦で、養父母と合流します。

『白い系譜』は、どこまで松本家を描いているかを知りたいのですが



入手できそうにありません。

さて
私は、「松本峯太郎」の経歴に触発されて、家系を調べ『実録・家系図』を書きました。
家系の調査は一応店じまいしたのですが、小骨が刺さったまま残されていましたので、ぼちぼち調べています。
そこで、「過去帳」の記載と、戸籍謄本の記載が違っていることに気がついたのです。
突然ですが、菩提寺の住職に手紙を出しました。
三つの質問をしました。
@.過去帳について。(菩提寺に、檀家の過去帳の複製のようなものがあるのか?)
A.戸籍謄本の名前と、過去帳の名前が異なることが、往々にしてあることなのか?
B.戸籍謄本に、例えば、三男の記載があるが、次男の記述が存在しない。
可能性として、生後まもなく死亡した場合、弔いが行われたのなら
戒名等の記録はないのか?

3月末に手紙を出していますが、今日現在何の音沙汰もありません。
僧職に就く人間なら一応の知識人で常識人だとの思いもあり
何らかの返事はあると思っていましたが.....
もはや葬式坊主と化しているのかむなしい気持ちでいます。
残念!

余談
京都の南丹町で、小学生の殺人事件が起きた。
犯人が義父との報道に接した。どうやら義父も同じような体験をしていたらしい。
殺人も衝動的だったようだ。
潜在光景を思い出した。
義父は、浜島だったのかもしれない。(2026/04/17)。


 



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