研究室_蛇足的研究

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2025年10月21日


清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!




研究作品 No_176
矢島局の計算

シリーズ作品【大奥婦女記】の第二話

下総国関宿の城主二万二千石牧野匠頭信成の家臣に矢島治太夫という者があった。知行百石で身分は高くないが、律儀な士として家中の信用を得ていた。●蔵書【松本清張全集 29 逃亡・大奥婦女記】●「新婦人」1955年(昭和30年)10月〜1956年(昭和31年)12月
〔新婦人〕
1955年(昭和30年)10月〜1956年(昭和31年)12月


下総国関宿の城主二万二千石牧野匠頭信成の家臣に矢島治太夫という者があった。知行百石で身分は高くないが、律儀な士として家中の信用を得ていた。治太夫に、のぶという妻がある。二十一歳という若さだったが、さして美しいとうほどではなかった。しかし生来、気性の勝った女であり、才智にすぐれていた。その才智が、時には、夫の治太夫を操ることもある。寛永十八年に、のぶが一子を生んだ。ところが、この年は、将軍家光の侍妾のお楽に子が産まれたときである。それが男子だったというので、家光が喜びのあまり産室に不意に入り、そのため産婦のお楽が仰天して気を失う騒ぎを起こしたことは前に書いた。さて、この若君には乳母が必要であった。そこで幕府では諸家に通牒を出して、「筋目よき者を若君の御乳人にめし抱えるにより、心当たりの者を申し出づべし」と触れた。
この触れによって、牧野家の申し立てで、分娩後まもないのぶが選ばれた。家系も悪くはなかったし、何より健康で、心利いた性質を認められたのである。
牧野 信成(まきの のぶしげ、1578年(天正6年) - 1650年5月11日(慶安3年4月11日))は、戦国武将、江戸時代前期の大名。武蔵石戸藩主、下総関宿藩初代藩主。丹後田辺藩牧野家初代。
【大奥婦女記】の第一話(乳母将軍)の主人公が「春日局」。
時代が少し進み、お楽(お楽の方)が主人公として描かれているのだろうか?
お楽の方は、徳川家綱を生んだのだが、家綱には、乳母が必要で、「のぶ」が選ばれた。

お楽に子が生まれた。
お楽は前作「乳母将軍」にも登場した、
お楽は、春日局が目を付け、大奥に送り込りこんだのだった。
お楽は、お蘭と言って、野洲島田村の増山某の娘。早速大奥に上げさせ、名をお楽と改めさせた。
家光は、たちまち、お楽を認め溺れていった。
前作では、以上のような経緯だったが、お楽の子(家綱)の乳母として「のぶ」が大奥に上がったようだ。

「のぶ」は、後の矢島局、江戸時代前期,徳川家綱の乳母。
夫は牧野信成の家臣。寛永18年(1641)家綱誕生のとき春日局(かすがのつぼね)が乳母をつのった際に大奥に入る。
慶安4年家綱が11歳で将軍をつぐと,大奥で勢力をふるった。
「三沢局」も、家綱付きの御年寄であった矢島局、川崎(真現院)と共に大奥で重きをなした。二人とも家綱の乳母?


●お楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宝樹院(ほうじゅいん、1621年(元和7年) - 1653年1月1日(承応元年12月2日))は、江戸幕府3代将軍徳川家光の側室、4代将軍徳川家綱の生母。娘時代の名前はお蘭。側室名はお楽の方。別名、高島御前、七澤楽子。

「宝樹院」(ほうじゅいん)は、1621年(元和7年)に農民の娘として誕生。その後、宝樹院の父は旗本に仕えたものの早くに亡くなったため、母は古河藩に仕える古着屋を営む男性と再婚し江戸へ上ります 。大変美しい娘だったこともあり、浅草参りの帰途だった春日局の目に留まり、3代将軍・徳川家光の側室として大奥へ入ることになりました。

側室としての通称を「お楽の方」と言い、1641年(寛永18年)に徳川家光待望の男子、のちの4代将軍「徳川家綱」(とくがわいえつな)を出産。1651年(慶安4年)に徳川家光が亡くなると落飾(らくしょく:高貴な女性が夫の死後、仏門に入ること)し宝樹院の院号を受けましたが、その翌年、あとを追うように宝樹院も死去しました。



●幼名について
「竹千代」と言う幼名は、多くの将軍が名乗っています。
初代  家康:竹千代
二代  秀忠:長松(長丸)→竹千代 ※家康の三男(長男の信康の幼名も竹千代)
三代  家光:竹千代
四代  家綱:竹千代
五代  綱吉:徳松 ※家綱の弟で家光の四男
六代  家宣:虎松 ※家綱&綱吉の兄弟の長男
七代  家継:鍋松 ※家宣の四男(長男は生後すぐ死去)
八代  吉宗:源六 ※紀州徳川家出身
九代  家重:長福丸 ※長男だが父の吉宗が将軍になる前に生まれた
十代  家治:竹千代
十一代 家斉:豊千代 ※一橋徳川家出身
十二代 家慶:敏次郎 ※家斉の次男(長男は竹千代)
十三代 家定:政之助・家祥 ※家慶の四男(長男は竹千代)
十四代 家茂:菊千代 ※紀州徳川家出身
十五代 慶喜:七郎麻呂 ※水戸徳川家出身
この事実を知らないと、少々ややこしくなってしまいます。特に、四代までは、みんな「竹千代」です。