研究作品 No_127
【万葉翡翠】(副題:求めて得まし玉かも)
(シリーズ作品/影の車:第二話)
〔婦人公論〕
1961年(昭和36年)2月号
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「ぼくはね、万葉考古学をやりたいと思っていた時期があったよ」S大学の若い考古学助教授の八木修蔵は、研究室で三人の学生と雑談しているときに云った。三人の学生というのは、今岡三郎、杉原忠良、岡村忠夫である。三人とも考古学を専攻しているのではなく、趣味として八木教授のところに出入りしているのだった。「神社考古学というのがありますね?」今岡三郎が云った。「ああ、ある。宮地直一先生が唱えられたものだ。神社の祭器だとか遺蹟、それに神籬、磐境だといわれている神籠石などを考古学的に解釈する学問だね。神社には、古代の形式が伝承されている。それから古代生活を探求しようとするのだ」「先生の万葉考古学というのも、おもしろそうですね」杉原が云った。「万葉の歌に織り込まれた字句から、古代の生活を探求しようというわけですね」「まあ、そういったところだな」 |
●発表当時は、シリーズ作品【影の車】第二話だったが、全集収録は第三話で収録。
副題が、「求めて得まし玉かも」と、あるように万葉集の歌が、伏線としてある。
清張得意の考古学を駆使した話なのだろうか?
タイトルから考察すると、「翡翠と考古学」と言ったところだろう。
登場人物は、はっきりしている。
教授の『八木修蔵』
ゼミの学生と言ったところだろう。
学生:『今岡三郎』・『杉原忠良』・『岡村忠夫』
そして、『宮地直一』(引用的に、学説として登場
全てでは無いだろうが、早速揃った感じがする。
尚、宮地 直一(みやじ なおかず、1886年(明治19年)
1月24日[1] - 1949年(昭和24年)5月16日[1])は、日本の内務官僚、神道学者。
実在したが、本小説とは無関係
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※万葉集(巻十三 三二四七 作者未詳)にも姫川のうたがある。
渟名河(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも
「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、
沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられる。
天沼矛の名に見られるように古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となる。
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