研究室_蛇足的研究

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2021年08月21日


清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!




研究作品 No_119
〔彩色江戸切り絵図・四話〕
三人の留守居役

そろそろ夏に向かう四月末の八ツ刻(午後二時)ごろのことだ。両国に甲子屋藤兵衛という大きな料理屋がある。その表に駕籠が三挺連なって到着した。●蔵書【松本清張全集 24 無宿人別帳・彩色江戸切絵図/紅刷り江戸噂】:「オール讀物」1964年(昭和39年)7月号〜8月号
〔オール讀物〕
1964年(昭和39年)7月号〜8月号



そろそろ夏に向かう四月末の八ツ刻(午後二時)ごろのことだ。両国に甲子屋藤兵衛という大きな料理屋がある。その表に駕籠が三挺連なって到着した。挿み箱を持った供は居るが、三人とも三十から四十ぐらいの間で、立派な風采をした武士だった。だが、この茶屋の馴染みではない。はじめて顔だから女中が走り寄って、「どちらさまで?」と丁寧に訊いた。甲子屋は、この辺で聞こえた名代の茶屋だからむやみと客を通さない。「われわれはさる藩の留守居の者だが、暫時座敷を借りて寄合いをしたい」と、その中で年嵩たかな男が告げた。帳場の中から様子を見ていたおかみも、藩の留守居役と聞いて心にうなずいた。風采が立派なだけでなく、その渋い中にも粋好みがみえる。とても普通の武士ではこのような呉服の高尚さは分からない。
緊張感漂う書き出しである。
料理屋へ籠で乗り付ける三人連れ。この料理屋は両国の甲子屋藤兵衛、一見さんお断りの店らしい。
女中が「どちらさまで?」
藩の留守居役で寄り合いがしたいと告げる。
店の奥から、女将が値踏みをするが
>風采が立派なだけでなく、その渋い中にも粋好みがみえる。とても普通の武士ではこのような呉服の高尚さはわからない。
申し分ない上客のようだ。

留守居役とは...
留守居(るすい)は、江戸幕府および諸藩に置かれた職名のひとつ。御留守居(おるすい)とも呼ばれる。

※2009/01/19 山本博文
諸藩の渉外担当役。江戸時代の大名は参勤交代を行っていたため、江戸を留守にする際には江戸に常駐し、幕府からの指示を仰ぐ家臣が必要だった。当初は、家老クラスの家臣が留守居とされたが、寛永(1624〜44)のころから中級藩士が務めるようになった。藩の重役である家老では、指示を受けるにせよ、嘆願するにせよ、幕府と藩の間で公式なものとなる。それを回避するため、中級家臣を江戸留守居役とし、老中からの内々の指示を受けさせ、あるいは老中に内願を行わせるなど、公式のやり取り以前の根回しを担当させることになったのである。そのため老中は、留守居役に対しては、公式には命じにくいことを指示し、藩が自発的に行動するようにしむける半面、留守居役からの内願に対し、その実現方法を助言するなど、老中と留守居役の水面下の交渉は幕藩関係を円滑にする役割を果たした。幕府の法令などは、大目付が諸藩の留守居役を集めて申し渡した。留守居役は、諸藩の中級家臣が任命され、比較的長期間務めた。留守居役は、情報収集を行う必要から、諸藩の留守居役が集まって留守居組合という組織を作って行動した。そのため、江戸時代中期には、組合の承認を得なければ、大名でさえ自藩の留守居役を更迭できないという弊害を生じた。

書き出しから考えて、江戸時代初期の家老クラスの留守居役のようだ.
お家騒動?。