研究室_蛇足的研究

紹介作品・研究室:完成登録

2020年9月21日


清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!




研究作品 No_105
交通事故死亡1名
(シリーズ作品:死の枝 第一話(原題=十二の紐))

東京の西郊外に伸びるI街道という古い街道がある。往昔は、鎌倉に通じた道路だが、今もそのころの面影をいくらか残していて、幅のせまいその道はうねうねと曲がって一筋に西に向かって匍っている。●蔵書松本清張全集 6 球形の荒野・死の枝:「小説新潮」1967年(昭和42年)2月号


〔小説新潮〕
1967年(昭和42年)2月号



東京の西郊外に伸びるI街道という古い街道がある。往昔は、鎌倉に通じた道路だが、今もそのころの面影をいくらか残していて、幅のせまいその道はうねうねと曲がって一筋に西に向かって匍っている。区画整理からも取り残されているので、舗装にはなっているものの、その原形をよろこぶ趣味家も少なくない。それにI街道の傍には武蔵野の名残があった。樹齢のたったケヤキの林は高々と空に伸び、それが両側だと、昼間でもその道が暗いくらいだった。街道沿いには商家がたちならび、団地も出来ているが、それでも柴垣を結った農家も存在し、雑木林の奥には藁ぶきの屋根がのぞいているのである。その道は一本のままとは限らない。ところどころで二つになったり、三つに岐かれたりしている。その角には必ず道祖神を祀る祠があった。祠の前には花が絶えない。その傍には、字もよく読めないような風化した石の道標が建っている。行先をしるした地名は江戸のころから由緒ぶかい。その方角をのぞくと、そこにもケヤキの立木が道の上に枝を掩いかけている。I街道はそういう道であった。
道路事情は当時とかなり変わっている。
I街道とは、井の頭通りだろう。



井ノ頭通り(いのかしらどおり)は、東京都渋谷区宇田川町の渋谷駅前付近と武蔵野市関前にある境浄水場付近を結ぶ道路の通称。
「井ノ頭通り」のほか、「井の頭通り」と書かれることもある。
大半の区間が直線的な道路である。境浄水場から和田堀給水所までの間に水道管を敷設するための施設用地を道路に転用したために、以前は水道道路と呼ばれていたが、後に近衛文麿元首相によって井の頭街道と命名され、その後東京都によって井ノ頭通りと改められた。

※起点 - 東京都渋谷区宇田川町(渋谷駅前付近) 終点 - 武蔵野市関前五丁目(境浄水場付近)

上記地図の左右に走っている通りが井の頭通り。吉祥寺駅前でJR中央線と交差している。右下が渋谷方面。
左上が武蔵野市関前方面、少し行くと浄水場が左に見える。並行して走っている道路が五日市街道。
二本の道路は、関前付近で合流している。
記述では、
>『その道は一本のままとは限らない。ところどころで二つになったり、三つに岐かれたりしている。』
と、ある。道幅は狭いが、今では渋谷からほぼ一本道である。

タイトルが、「交通事故死亡一名」となってるので、この道で事故が起きるのだろう。