具体的な場所が詳細に説明されている。
松江城の「濠端沿い」に、『緑の宿北堀』と言う名の料理旅館があった。
ホームページで見ると、いかにも小説に登場しそうな、趣のある旅館だ。
※松江城(まつえじょう)
5層6階の天守閣と石垣を残し、桃山初期の城郭様式を持っている。天守閣は国の重要文化財に指定されている。
千鳥城とも呼ばれる。
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●鰐淵寺(がくえんじ)
住所:〒691-0022 島根県出雲市別所町148
(1)一畑電鉄雲州平田市駅からバスで20分(路線バス鰐淵線)
鰐淵寺駐車場から徒歩で15分
(2)山陰道斐川ICから車で35分
鰐淵寺駐車場から徒歩で15分
●鰐淵寺の歴史
草創と修験行場としての発達
伝承では推古天皇2年(594年)、信濃の智春上人が当地の浮浪の滝に祈って推古天皇の眼疾が平癒したことから、同天皇の勅願寺として建立されたという。寺号の鰐淵寺は、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行を行っている際に誤って滝壺に落とした仏器を、鰐がその鰓(えら)に引っ掛けて奉げたとの言い伝えから生じた。ここで言う「鰐」はワニザメを指すと言われる。なお、出雲市東林木町(ひがしはやしぎちょう)の万福寺(大寺薬師)も同様に推古天皇2年、智春の開山を伝えている。以上はあくまでも伝承であり、創建の正確な時期や事情は明らかでない。鰐淵寺の所在する島根県や隣の鳥取県は修験道・蔵王信仰の盛んな土地であり、当寺も浮浪の滝を中心とした修験行場として発展したものと思われる。浮浪の滝は鰐淵寺の入口から渓流を500メートルほどさかのぼった地点にある。水量は少なく、滝壺の奥には蔵王堂が建つ。
後白河法皇の『梁塵秘抄』に収録された今様に「出雲の鰐淵や日の御碕」と歌われており、平安時代末期頃には修験行場としても発展し日本全国に知られるようになったものと思われる。
雲州平田市駅とされているが、平田市が出雲市と合併したため、『雲州平田駅』と改名されている。
地図から見てもかなり不便なところだ。
職業は土木建築関係の設計士である板垣の目的は「鰐淵寺」なのだろうか?
太田市の有志に石見銀山跡を案内される目的で松江城の近くの旅館に宿泊するようなので、
むしろ目的は石見銀山跡で、太田市の有志に合うことが目的のようだ。
ついでの「鰐淵寺」訪問が事の発端なのか。
【帯】高圧送電線下の土地は地価高騰の時代の盲点だった。石見銀山をめぐる二つの殺人事件を解く鍵は「数」。
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