研究室_蛇足的研究

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2018年7月21日

清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!


研究作品 No_085

 【Dの複合


研究発表=No 085

Dの複合
 〔宝石:1965年(昭和40年)10月号〜1968年(昭和43年)3月号〕

午後三時五十三分、列車は、といってもディーゼル車だが、天橋立駅を西に少し向かって離れた。十月二日の、秋のはじめにしては少し涼しすぎる曇り日であった。「 【Dの複合】蔵書:松本清張全集 3 ゼロの焦点・Dの複合 (宝石:1965年(昭和40年)10月号〜1968年(昭和43年)3月号

午後三時五十三分、列車は、といってもディーゼル車だが、天橋立駅を西に少し向かって離れた。十月二日の、秋のはじめにしては少し涼しすぎる曇り日であった。どうしてこんなこまかい時間に伊瀬忠隆が注意を払ったかというと、列車がホームを動き出したとたんに、彼が腕時計に眼を落としたからである。といって、売店の上に位置した駅の電気時計と、自分のインターナショナルの針と見くらべたわけではない。つまり、退屈だったのだ。彼は小さなあくびをした。京都から乗って、綾部でもいっしょに乗り換えた乗客の半分は、天橋立駅で降りてしまい、車両がにわかに空いてしまったので、退屈感も増し、さらにこれからもっと田舎に行かなければならぬといううらぶれた感じにもなった。


伊瀬忠隆と「彼」との旅。男の二人旅らしい。
腕時計に目を落とし、小さなあくびをしたのも彼である。
退屈感も増し、さらにこれからもっと田舎に行かなければならぬといううらぶれた感じにもなった。
のは、伊瀬忠隆の方らしいが、何の目的も示されていない旅で、二人の関係も不明だ。
京都から乗って、綾部で乗り換え。天橋立駅からさらに西へ向かっている。
綾部駅は山陰本線と舞鶴線の乗換駅。
天橋立に行くには、荒河かしの木台駅で、京都丹後鉄道宮豊線に乗り換えが必要だ。
綾部駅から直通があるのかも知れない。鉄道は、当時(昭和40年代)とは違っているかも知れない。

どちらにしても退屈な男の二人旅。伊瀬は何者か?「彼」は? 旅の目的は?

※少し調べてみたが、現在でも3時間以上掛かる長旅である。