研究室_蛇足的研究

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2016年07月21日

清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!


研究作品 No_073

 【赤いくじ
【原題:赤い籤】


研究発表=No 073

【赤いくじ】 〔オール讀物 5月号〕 1955年(昭和30年)5月号

一九四四年(昭和十九年)の秋、朝鮮京城で二つの新しい師団が編成された。新編成師団の任務は、米軍の上陸に備えて、朝鮮の西沿岸を防備するというにあった。 【松本清張全集 35 或る「小倉日記」伝・短編1】より

一九四四年(昭和十九年)の秋、朝鮮京城で二つの新しい師団が編成された。新編成師団の任務は、米軍の上陸に備えて、朝鮮の西沿岸を防備するというにあった。二つの師団は受持区域を南北二つの朝鮮に割った。ほんとうの名は第何千何百何十部隊というのだが、”朝鮮を守備”するというので、この字まで二つに割り「守朝兵団」、「備朝兵団」と称した。だから南朝鮮受持ちの師団の兵は、よごれた軍服の胸に、白い布を貼って、「備朝兵団」とへたくそな字で書き入れた。備朝兵団の兵団長は、白い頭をした六十歳の老人であった。むろん退役中将であったが、昔はどこかの大使館付武官をつとめてきたということだった。そういえば、長身のどこかに、ダンスの巧みらしい身のこなしがないでもなかったが、概して日本の老将軍らしい威厳はあった。

                   研究
軍隊三部作...と、勝手に名づける。【赤いくじ】【遠い接近】【任務】

時期は明確だ。1944年の秋
清張は、35歳
6月、臨時招集として久留米の第八十六師団歩兵第一
八七連隊二等兵として入隊。
敗戦までの一年間を衛生兵として勤務した。
すぐ朝鮮に渡って、京城(現在のソウル)市外の竜山に
駐屯する。一等兵に進級。
家族は佐賀県神崎町の妻の実家に疎開した。

実録、清張軍隊記か?

>”朝鮮を守備”するというので、この字まで二つに割り「守朝兵団」、「備朝兵団」と称した。
は、傑作だ。
>「備朝兵団」とへたくそな字で書き入れた。

題名の『赤いくじ』から内容を想像することは難しい。
書き出しの数行でも、軍隊への批判精神が遺憾なく発揮されている。