研究
実記という表記は誤りらしい。実紀が正しいようだ。
歴代将軍の諡号を冠して、それぞれの将軍に関する記録を『東照宮御実紀』『台徳院殿御実紀』…と称する。『徳川実紀』というのはそれらをまとめた総称・通称である。
常憲院殿御実紀は徳川綱吉の記録「59巻/(附録3巻)」
●徳川 綱吉
徳川 綱吉(とくがわ つなよし)は、3代将軍・徳川家光の四男として江戸城に生まれる。
幼名は徳松(とくまつ)。
生類憐れみの令が有名。綱吉の身長が124センチだったと言われるが?
●喜多見 重政
喜多見 重政(きたみ しげまさ)は、徳川綱吉の側用人。武蔵国喜多見藩主。
綱吉の寵愛を受けて大名に取り立てられたが、すぐに改易された。
(改易:身分を剥奪し所領と城・屋敷を没収すること。)
●堀田 正俊 堀田 正俊(ほった まさとし)は、江戸時代前期から中期の大名。
江戸幕府の老中・大老。上野安中藩主。後に下総古河藩の初代藩主。
正俊系堀田家初代。
喜多見 重政の出世物語か?
具足の式日とは?正月の11日、鏡開き?
めでたい日に、お披露目されるが後に、改易がまっている。
題名の「栄落不測」とは、「栄落」(栄枯盛衰)は予測できないこと、とでも言えばよいのだろうが、
四文字熟語としては無かった。
※参考
【徳川実紀】
成書例・総目録 −1巻
東照宮御実紀 徳川家康の記録−10巻/(附録25巻)天文19年〜弘治元年欠
台徳院殿御実紀 徳川秀忠の記録−60巻/(附録5巻)
大猷院殿御実紀 徳川家光の記録−80巻/(附録6巻)
厳有院殿御実紀 徳川家綱の記録−60巻/(附録2巻)
常憲院殿御実紀 徳川綱吉の記録−59巻/(附録3巻)
文昭院殿御実紀 徳川家宣の記録−15巻/(附録2巻)
有章院殿御実紀 徳川家継の記録−15巻/(附録1巻)
有徳院殿御実紀 徳川吉宗の記録−62巻/(附録20巻)
惇信院殿御実紀 徳川家重の記録−31巻/(附録1巻)
浚明院殿御実紀 徳川家治の記録−55巻/(附録3巻)
|