松本清張_s_seityou_k1064.html_鬼火の町


研究室_蛇足的研究

紹介作品・研究室:完成登録

2015年01月21日

清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!


研究作品 No_064

 【鬼火の町


研究発表=No 064

【鬼火の町】 〔潮〕 1965年8月号〜1966年12月号

天保十二年五月六日の朝のことである。隅田川の上にあつい霧が白く張っていた。浅草側の待乳山も、向島側の三囲い神社も白い壁の中に塗り潰されたようである。(株)文藝春秋『鬼火の町』 初版1984/10/15より

天保十二年五月六日の朝のことである。隅田川の上にあつい霧が白く張っていた。浅草側の待乳山も、向島側の三囲い神社も白い壁の中に塗り潰されたようである。「えれえ霧だ。一寸先も見えねとは、このことだ」と、独り言を呟いた小舟の船頭がある。夜が明けたばかりで、六ツ(午前六時)を少し回っていた。舟は千住のほうから来たのだが、折からの上げ潮にさしかかっているので、水の流れも湖水のように動かない。うっかりすると、方向を間違えて、どこかの岸にぶつかっりそうだった。現在なら汽笛でも鳴らすところだが、当時のことで、鼻唄でも唄うほかはなかった。船頭が警戒したのは、不意に、その厚い霧の中からほかの舟が正面に現れることだった。もっとも、朝が早いのでほかの舟も少ないに違いないが、しかし、一艘でも衝突の危険は同じだった。

                   研究






書き出しにある、『浅草側の待乳山』は、上の地図の左上。
待乳山聖天がある。
待乳山聖天は、本龍院(ほんりゅういん)は、東京都台東区浅草にある聖観音宗の寺院で、浅草寺
の子 院のひとつである。山号は待乳山。本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音で、待乳山聖天
( まつちやましょうでん)とも称される。
「向島側の三囲い神社」とあるが、三囲神社(みめぐりじんじゃ)と呼ばれる神社がある。
三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。理由は、三囲神社 のある向島
が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったこと と、三囲神社の“囲”
の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられ...   以上「Wikipedia」より

舟は浅草から浅草橋方向に進んでいるようだ。(千住の方から来たのだが...)
濃霧の中、船頭が警戒した事が現実に起こりそうな気配がする。