研究
冒頭の数行は「伊豆の踊子」の引用らしい。
川端康成の「伊豆の踊子」を意識して書かれた作品らしく、違うのは、『私が高等学校の学生ではなく、十六歳の鍛冶屋の倅であり、この小説とは逆に下田街道から天城峠を歩いて、湯ヶ島、修善寺に出たのであった。そして朴歯の高下駄ではなくて、裸足であった。なぜ、裸足で歩いたか、というのはあとで説明する。むろん、袴はつけていないは、私も紺飛白を着ていた。』
高等学校の学生→十六歳の鍛冶屋の倅
朴歯の高下駄→裸足
修善寺から下田へ→下田から湯ヶ島、修善寺
何とも対抗心むき出しの書き出しである。登場人物の設定が清張作品の真骨頂である。
清張と川端康成の違いは作品のテーマにも関連するだろう。
鍛冶屋の三男坊は峠で何を体験するのだろうか?無事に峠を越えるのだろうか?
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