研究発表=No 056
【渡された場面】 〔週刊新潮〕 1976年1月1日号〜1976年7月15日号
坊城町は、佐賀県の唐津から西にほぼ三十キロ、玄界灘に面した漁港の町である。小さな半島の突端で、壱岐、対馬沖はもとより、黄海域まで漁船が往復する。古い湊町にはつきもので、遊女町も発達して、そのことだけでも前からひろく知られてきた。町は深い入江を囲っていて、東側と西側とは早道の海上をつなぐ渡船がある。西側に遊郭があった。雹客の朝帰りには楼主のほうで対岸まで小舟を出す。小舟の二階の手すりにならんだ昨夜の敵娼に袖を振られる。朝は海霧が濃いので、姿や妓楼が見えなくなっても女たちの嬌声はいつまでも舟に届いた。このような情緒はいまはない。むろん遊郭が廃止され、妓楼はアパートとか旅館などとなり、階下の一部がパアになったりしているからだ。けれども昔の遊廓の輪廓は荒廃したままだが残っている。高い屋根に看板をあげた旅館やバアのネオンは夜の暗い入江に色を投じる。 |
研究
場所の特定は簡単なようでむつかしい。
唐津から西へ三十キロ、玄界灘に面している...小さな半島の突端
まさか三キロの間違いでは、三十キロでは伊万里まで行ってしまう。
上記地図上で仮屋湾付近でも二十キロ程度である。(地図の拡大)
坊城町は架空の地名だろうが、唐津には坊主町と言う地名がある。
書き出しは登場人物は居ない。
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