研究室_蛇足的研究

紹介作品・研究室の倉庫

2011年10月22日

清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!


研究作品 No_050

 【白梅の香


研究発表=No 050

【白梅の香】 〔「キング」時代小説特集〕 1955年6月号

享保十六年三月、亀井隠岐守滋久が一年の在国を了えて、参勤のために江戸に向かうことになった。 「西郷札 傑作短編集(三)」(株)新潮社●35版1992/09/05より

享保十六年三月、亀井隠岐守滋久が一年の在国を了えて、参勤のために江戸に向かうことになった。亀井の領国は石州鹿足郡津和野である。中国山脈が西に果てるところの山に囲まれた盆地で、四万三千石という禄高も小さいければ城下も小さい。隔年、殿さまが出府なさるについて、お供の顔ぶれが少しずつ異ってくる。各藩の家来には定府(江戸詰め)の者と国詰めのものとがあるが、国詰めの家来には江戸を知らない者が多い。定府の者も己の本国の様子を知らない。それで殿さまが参勤のたびに、国詰の家来から選抜して江戸へのお供の中に加えることが慣例となっている。この者は主君の一年の在府がすんだら、またお供をして国もとへ帰ってくるのである。つまり、半分は江戸見物をさせるための慰労であった。さて、このたび亀井隠岐守の出府の中には、白石兵馬という若侍がひとり加わった。兵馬は二百五十石馬廻役で二十一歳である。

                   研究
白石兵馬という若侍。
21歳の侍は江戸で何を見るのか。中国山脈の盆地で育った若者は「半分は江戸見物をさせるための
慰労」とされる参勤交代の旅で江戸に向かう。
白石兵馬は馬廻役である。「馬廻役」としては恵まれているのか?
田舎侍の江戸体験記か?
それにしてタイトルが意味深である。

「馬廻役」とは
元禄赤穂事件で有名な赤穂藩浅野家の馬廻役がその典型的な例である。
馬上資格の ない中小姓の上位に位置する馬上武士の階級と位置づけられていた。
赤穂浪士四十七 士のうち馬廻だった者は堀部武庸ら15名で、全員が200石から100石取りである。