紹介作品 No_138  【誤訳】


 

紹介作品No 138

【誤訳 【小説新潮】1978年(昭和53年)6月
世界的な詩歌文学賞であるスキーベ賞の本年度受賞はペチェルク国の詩人プラク・ムル氏に決定した。来る三月二十日にデンマークの首都コペンハーゲンで授賞式が行われる。副賞は七万ドル。                        外語大教授の麻生静一郎は、この新聞外電を読む前にその内報をロンドンのジャネット・ネイビアからうけとっていた。ネイビア夫人は語学の天才ともいえるひとで、少なくとも十ヵ国語以上には通じていた。とにかくいまは衰退し滅亡寸前となっている世界各地の少数民族(曾つては繁栄せる民族であったが)の言葉を研究し、それぞれの会話も自由であった。ネイビア夫人はすぐれた言語学者でもあった。●蔵書【隠花の飾り】新潮社●「小説新潮」1978年(昭和53年)6月号

正直、登場人物がカタカナの場合、読みづらい。私の個人的な感想であり、嗜好の問題だと思う。
もう一つ、書き出しに続く、小説の舞台の設定及び説明が理解出来なくて入り込み辛い。想像力の欠乏かもしれない。
スキーベ賞は、デンマークのフォン・スキーベ侯爵の意志により創設された詩歌を対象にする賞のようだ。
この賞はノーベル賞ほど有名ではないが、権威と伝統は負けていなかった。

『スキーベ賞』に類似するものがないのだろうかと、少し調べたが該当する賞は見当たらなかった。
創作の世界なのだろうが、よく思いついたものだと感心する。
蛇足的研究で書いた、北村氏と宮部氏の対談の内容が理解出来る。
北村 感心しましたね。というのは、下手心に書いたら理屈の先走ったとんでもない話になりかねないでしょ。
    それを清張先生が書くとこんなに読めちゃうのかというすごさ。特に出だしなんか、他の人が書いたらもたないですよ。
宮部 「スキーベ賞の本年度受賞はペチェルク国の詩人プラク・ムル氏に決定した」。
北村 普通、この書き出しでアウトですよ。
    SFかな、と思っちゃう。それを清張さんは人間心理の綾(あや)を描いた見事な短篇に仕上げている。
宮部 私はタイトルにそそられましたね。
    清張さんが森鴎外に傾倒していたのは有名な話で、文学を研究する人に大変な尊敬を払っていらした。
    その方がお書きになった「誤訳」というタイトルの作品なら、「さぁ、どんな話だろう」とワクワクします。
北村氏が、「普通、この書き出しでアウトですよ。」と言っているように、作家がアウトかも知れませんが、読者もアウトです。
北村氏が、SFかなと思ったように「SF」として読むのも一つの方法かも知れない。

ジャネット・ネイビア夫人は、四十二歳。優れた言語学者。
外語大学の教授の麻生静一郎は古くからの知り合いである。大学の交換教授としてオックスフォード大学に滞在している縁があった。
ネイビア夫人は、世界で殆ど知られていない「ペチェルク語」直接英訳できるただ一人の人物だった。
「ペチェルク国」で「ペチェルク語」が話されているようだが、「ペチェルク国」は、強大国の保護領になっていている。
その歴史は、侵略され、攻防の犠牲になり、屈辱の歴史でもあった。
「プラク・ムル」の詩は、滅びゆく母国の言語を用いて、民族の悲哀を、叙情的に歌い上げた愛国詩であった。

「タゴール」:インドの詩人・「ボードレエル」「ヴェルレーヌ」「マラルメ」:フランスの詩人と、実在の名前が出てくる。
「ランボー」とあるが、よく分からない。

ネイビア夫人は、麻生静一郎への手紙で、「プラク・ムル」の詩が「スキーベ賞」に取り上げられた現状を多くの
詩人達の名前を挙げながら説明していた。
ネイビア夫人は、三年前にムルの長編詩集『森と湖にすむ精霊』を完訳していた。
ネイビア夫人の翻訳は完全に正確だ言われた。ムルの詩は難解で、瞑想的で、古典主義の精神とが。ペチェルク語の複雑な文法と
混ざり、はっきりつかめない。そべてのペチェルク語の文学が難解なわけではない。
ムル氏の詩の説明にかなりのスペースを割いているが、
>...ムルの詩はその文脈の乱れ、文章秩序のの分解が彼の独自性といってよく、「神秘主義が渺茫と立ち昇っているのである。
で、もうついて行けない。
ムルの原詩にはその味があっても、翻訳となるとまことにむずかしい

問題は原詩の特徴を翻訳でどう表現するかである。テーマはここになるのだろう。優れた文学作品を翻訳する場合に、つきまとう問題だ。
ネイビア夫人は、完璧な翻訳のために努力をした。
飛行機を何回も乗り継ぎながら遠く不便な「ペチェルク国」に出かけた。(「ペチェルク国」は、太平洋に浮かぶ島国かも知れない)
>プラク・ムル氏は七十歳を超えていますが、たいへん元気です。
>その長くて白い口髭と頬髭とは彼の純粋で崇高な精神がそのまま風丰(フウボウ)に現れている感じです。
>感動的なのはプラクが吶々(トツトツ)として語る言葉がそのまま彼の詩文となっていることです。

ジャネット・ネイビアは、麻生静一郎に手紙を送っていた。

ネイビア夫人がムルの詩を翻訳し出版することで、ムル氏にも翻訳権料が入る。
ムル氏は国内での名声にもかかわらず、経済的には恵まれていなかった。
ネイビア夫人が訪問のたびに手渡す著作権料は、ムル夫人を喜ばせた。
プラク・ムルは、詩人らしく経済的なことは無頓着だった。

麻生静一郎は、三,四の新聞や文芸誌にプラク・ムル氏の詩について寄稿をを頼まれていた。
麻生静一郎は、ジャネット・ネイビア夫人と親しい事を一部で知られている。
ネイビア夫人からの受け売りで原稿を書いた。そのことから、日本ではプラク・ムルについて第一人者とされた。

プラク・ムルへのスキーベ賞が決定し報じられた。
麻生は、授賞式当日に到着するように、プラク・ムルとジャネット・ネイビアに祝電を打った。
ジャネット・ネイビアから喜びに溢れた感謝の返電があった。

三、四日経って新聞は、記者会見の模様を伝えた。
プラク・ムルは、受賞の副賞である賞金の七万ドルをペチェルク国の福祉施設に全額寄付すると声明した。との記事があった。
現地の賞賛と感謝の声が載っていた。
麻生静一郎は、さすがに民族詩人プラク・ムルだと感動した。
プラク・ムルの記者会見に同席して通訳したのは勿論、ジャネット・ネイビアだった。彼女の喜びの顔が目に浮かぶ。

ところが、翌日の新聞に、記者会見の声明の内容は誤訳であると報じられ、訂正された。
訂正された内容は、賞金の全額寄付という部分である。
詩の内容の誤訳とは訳が違う、初歩的で通常なら、考えられない誤訳である。

ある出版社から、麻生静一郎は、スキーベ賞の受賞者であるプラク・ムルの詩集を出したいという話が持ち込まれる。
麻生は、ネイビア夫人の英訳を邦訳することにした。その許可を求めるためにネイビア夫人に手紙を書いた。
三週間経っても四週間経っても返事が来なかった。五週間後、漸く届いた返事は、タイプライター紙一枚の拒絶の返事だった。
  プラク・ムルの詩の拙訳は、都合により今後絶版にする。
  今後はプラク・ムルの詩は英訳しない。
  再びペチェルク国のムル家を訪問することも無い。
と、拒絶の理由を書いていた。
ただ、ジャネット・ネイビアは、プラク・ムルの詩を今でも敬愛していることは少しも変わらないと詫びて手紙を結んでいた。
考えられるのは、ジャネット・ネイビアが、誤訳を悔いて、プラク・ムルの詩から完全に距離を取ったであろう事だった。

話は意外な展開を見せる。想像もしない展開である。
麻生静一郎は、外国文学団体から事業計画に対して寄付の依頼を受ける。妻の居ないときだった。
麻生は、気前よく10万円の提供を即座に回答した。

妻は激怒して、彼を非難した。苦しい家計を訴える妻の執拗な攻撃に屈した。誠に体裁の悪い事だが寄付の約束は取り消した。
麻生もプラク・ムル氏同様「経済的なことは無頓着」な人間だったのだろう。

麻生静一郎は、閃いた。突然閃いた。
プラク・ムル氏が記者会見で寄付を宣言した場面にプラク・ムル氏の妻は、同席していなかった。
プラク・ムル氏は、浪費家で経済的なことは無頓着な人物だった。ネイビア夫人の話からもプラク・ムルの夫人が非難していたことを聞いていた。
プラク・ムルは寄付の宣言を訂正せざるを得なかったのだ。
ジャネット・ネイビア夫人は、プラク・ムルを尊敬していた。

冒頭に書きましたが、北村氏と宮部氏の対談で宮部氏が
宮部 私はタイトルにそそられましたね。
    清張さんが森鴎外に傾倒していたのは有名な話で、文学を研究する人に大変な尊敬を払っていらした。
    その方がお書きになった「誤訳」というタイトルの作品なら、「さぁ、どんな話だろう」とワクワクします。

と、語られていましたが、「やられてしまった」「一杯食わされた」
小説家のすごさを感じました。話の内容自体は取り立てて斬新な内容でもありません。しかし、設定は巨大な世界から書き始まります。
私には、面倒くさい内容に感じてしまいました。筋立てが大きすぎて、タイトルの「誤訳」が着いて行けていません。
結末は余りにも日常的で、ありふれた内容が落ちになっています。私の好きな落語で言えば「考え落ち」かもしれません。
前半は何だったのかと、突っ込みたくなりますが、結果として前半が生きています。
北村氏の
「普通、この書き出しでアウトですよ。」が、清張なら読めちゃう!



※「誤訳」から連想して蛇足!--------------------------------------
小説の盗作・絵画の贋作・歌のものまね・
最近、BSNHKの『贋作』を観た。考えさせられた。

贋作・翻訳・盗作・
「古池や蛙飛びこむ水の音」
「古池やどんぐりおちる水の音」
これは、盗作かな?

①絵画の贋作作家が、ありもしない、ゴッホの「チューリップ」の絵だとして発表した・・・・
②ある画家が、有名作家(A)の、『有名で無い絵』を模写した。彼は、一度も「A」が書いたとは言っていない。
   「絵画評論家」氏が、これは間違いなく「A」氏の作品だと言った。鑑定家達も同意した。「A」の作品として取引された。
誰の責任なのだろうか? きれい事を言えば、作品は、「作品」自体で判断されるべきだ。
だから、利益を得ようとして「欺した」なら、詐欺で犯罪だろう。(欺される方も悪いの感情が残る)
清張作品の「誤訳」は、テーマが違うが
『誤訳』は、考えさせられる。特に、文学作品(小説や詩)の翻訳は、原文が評価されるべきだが、「翻訳」の場合の評価はどうするべきなのだろうか
『誤訳』とまでは言わないまでも、お粗末な訳文は、原作を腐らせる。でも逆の場合もあるのでは...。


登場人物

麻生静一郎 経済的なことは無頓着。大学教授、ネイビア夫人とは交換教授で元同僚。日本におけるプラク・ムルを知る第一人者。
プラク・ムルと同様の失態を犯す。彼もプラク・ムル氏同様、妻には頭が上がらない。
ジャネット・ネイビア ネイビア夫人。四十二歳。優れた言語学者。世界で殆ど知られていない「ペチェルク語」直接英訳できるただ一人の人物。プラク・ムルの詩を訳す。
「誤訳」に責任を取り身をひく。プラク・ムル氏の良き理解者で尊敬している。最後までプラク・ムル氏の味方だった。麻生静一郎の元同僚
プラク・ムル ベチェルク国の詩人。経済的なことには無頓着で余り恵まれていない。スキーベ賞を受賞する。記者会見で賞金の寄付を宣言するが、落ちに取り消す。
プラク・ムルの妻 プラク・ムル氏の妻。経済的なことに無頓着な夫を非難している。夫の賞金を寄付する宣言に反対したようだ。

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