紹介作品 No_120  【蔵の中】


 彩色江戸切り絵図 第五話 蔵の中

紹介作品No 120

【蔵の中 〔【オール讀物】1964年(昭和39年)9月号~1964年(昭和39年)10月号〕
十一月も半ばを過ぎると、冷え込みがひどくなる。雪もちらついてくる。「報恩講」が来たから寒いはずだと江戸の者は云った。十一月二十一日から二十八日まで行われる行事である。「報恩講」は「お講」とか「お七昼夜」などともいって、親鸞聖人の忌日を中心にして真宗各寺では法要を行なう。信徒は寺にも参詣するが、家でも仏壇を飾る。十二月近くともなれば、指の先がかじかんでくる。奈良の「お水取り」は春の兆しとされているが、「報恩講」は冬に入ったことを告げるのである。嘉永二年の十一月二十二日のことだった。日本橋本銀町二丁目に畳表や花筵の問屋で備前屋庄兵衛という店があったが、その夜に一大椿事が突発した。庄兵衛は今年五十四になる。元来が一向宗の信徒だから、この日は午前から浅草の龍玄寺に詣って、遅くまで法要の席に列していた。●蔵書松本清張全集 24 無宿人別帳・彩色江戸切り絵図:「オール讀物」1964年(昭和39年)9月号~10月号

この事件は椿事とは言えないだろう。
日本橋本銀にある、花筵の問屋備前屋庄兵衛で事件は起きた。

おりしも「報恩講」の時期。
庄兵衛は今年五十四になる。一向宗の信徒だから、浅草龍玄寺に詣っていた。
供は、亥助という二十五になる手代。勘吉という十六の丁稚。亥助は、帰りに浅草橋の山城屋に掛け取りに回った。
「報恩講」(11月22日)の為、仏壇の前に雇われ人は集められた。備前屋の毎年の行事だった。
仏壇の前には庄兵衛夫婦。今年十九になる一人娘のお露。その背後に二十七になる番頭の半蔵、清七、二十三になる岩吉、遅れて亥助も加わった。
末席には女中たち。
この席で人事に関する重大発表だ。
かねてより考えていたことで、根回しはしていた。手代の亥助と一人娘のお露の祝言を正式に発表した。
亥助より先輩格の番頭半蔵にはのれん分け、清七にも番頭を約束していた。万事滞りなく事は進む予定だった。
「報恩講」の御斎(オトキ)の膳も六ツ(六時)には終わりそれぞれが別間に引き上げた。雇人はみな住み込みだった。

その夜に事件は起きた。

神田駿河台下に住む岡っ引き碇屋平造の家に子分の弥作が飛び込んできた。
「親分、えらいことが起こりました」場所は、本白銀町の備前屋
二人の雇人が殺された。一人が行方知れず。一人娘のお露が半死半生。
長火鉢の前に座った平造は、慌てて報告する弥作に順序立てて話すよう求める。
弥作の家は、下白壁町。備前屋の蔵が見える中の橋とは目と鼻の先。騒ぎを聞きつけて備前屋に駆けつけた。
備前屋の表の大戸は閉まっている。横の木戸を開けて中に入ると、丁稚の勘吉に出会った。
勘吉の云うのには、岩吉という手代が蔵の中で絞め殺されている。蔵の前の庭で半蔵が穴を掘って死んでいる。
穴は人が座っては入れそうなくらい深く掘ってあった。鍬を横に放り出し穴の中に首を突き込む様に死んでいた。現場を見た弥作の報告だった。
勘吉の話では
その穴の中に一人娘のお露が気を失って倒れ込んでいた。
旦那の庄兵衛に報せると、庄兵衛夫婦は穴から娘を引き上げ、今は、座敷で医者を呼んで介抱している。

弥作は、庄兵衛に「八丁堀の旦那方の検視が済むまで手を付けちゃならねえ」と云って飛んできたというのである。
平造は、備前屋に駆けつける支度をしながら、矢作に云った。「河村の旦那のところに報せて、そこが済んだら、すぐに備前屋に戻ってこい」

備前屋に駆けつけた平造だが、すでに同心の河村治郎兵衛がもう一人の同心と検視の最中だった。
平造は河村の下に付いていた。弥作を旦那の所へやりましたが旦那に先を越されて...と謝った。
河村は、「おれもたった今来たところだ」と、上手を云った。
半蔵の死骸の検分は、死体が穴から出されていて、平造は駆けつけるのが遅くなったことを悔やんだ。
蔵の中の検分も始まった。
殺した人間を蔵の中に入れて、外から戸を閉めて鍵をしたようだ。今鍵が開いているのは岩吉を探すため主人の庄兵衛が合鍵で開けたのだった。
蔵の鍵は岩吉が持っていたのだ。
一通り検分が終わると河村治郎兵衛は、これで帰る。「あとから屋敷に来てくれ」と言い残した。
無責任のようだが、与力の河村が平造を信頼している証拠でもあった。

残された、平造は、座敷に案内され庄兵衛に話を訊くことになった。
平造は女中に岩吉と半蔵の中を訊いた。お秋という一番年上で奉公して五年になる女中にも訊いたが、返事はなかった。
主人夫婦の評判は良かった。「はい、仏様のようなお方です」
平造は皮肉なのか、「...仏さまのような庄兵衛さんにくらべて、使われている番頭や手代はたちはちっとばかり性質がよくねえようだったな」
三人お女中は黙ったままだった。

座敷で、庄兵衛の事情聴取だ。
亥助は、庄兵衛が備中高梁から連れてきた。勤めてかれこれ十年近くになる。十五の年に丁稚奉公に来た。
※備中高梁で「うん」となった。余談だが、清張作品は「男はつらいよ」に縁がある。山田洋次作品と縁があるのかも知れない。(Dの複合_伊根の舟屋/「男はつらいよ」寅次郎あじさいの恋・29作」)。
【「ハハキトク」の報を受け、備中高梁へと向かった博とさくらは、葬儀にやってきた旅先の寅さんとバッタリ再会。】(寅次郎恋歌/第8作)
【博の父・飃一郎の墓参で、備中高梁にやってきた寅さん。】(口笛を吹く寅次郎/第32作)
「松本清張の蛇足的研究」のTOPページへ

亥助に続いて雇人の人別改が始まる。
手代の岩吉は、備中足守の在。まだ六年にしか経っていない。
番頭の半蔵は、十五の年に丁稚奉公。十七年今年で十二年勤めている。備中庭瀬の在。
手代の清七は、亥助と同じ備中高梁の在。十三年勤めている。三十歳なる。
みんな同郷の者ばかりで仲良くやっていたと庄兵衛は答えた。主人としては、そう答えるほかはなかった。
今のところ、亥助がいなくなっているので、岩吉と半蔵を殺めたのは亥助と考えられる。と平造。
平造の見立てに庄兵衛は、「...亥助は決して左様なことをする男ではございません。...」
四人の中では一番見込みがあると思っていた。行末は、お露の婿にと考えていたと渋々ながらうちわけた。
お露が穴の中に倒れていたのを見つけたのは、小僧の勘吉、十六になる。今朝早くのことだった。
お露を穴に突き落としそうな雇人が居るかを問うたが、庄兵衛は勿論心当たりがないと答えた。
半蔵は頭から穴に突っ込む様な形で倒れていた。顔は泥だらけ、鼻にまで土が入っていた。穴は誰が掘ったのか?半蔵か?亥助と一緒に掘ったか?
亥助の死様はから、よほど力のある者から首根っこでも押さえつけられた仕業だろうの判断から、庄兵衛に質問が続く。
岩吉は色白で気の弱そうな男。
亥助も半蔵も体格はすぐれていた。どちらかと言えば、半蔵の方が力は強そうだった。
酒についても問いただされた。半蔵は酒好きで強い方だった。岩吉、亥助、清七はあまり飲めない。
詮議はさらに続く。場所は半蔵の部屋へ
半蔵の部屋で平造は酒の匂いを嗅ぎつける。魚を煮込んだ鍋のような匂いも嗅ぎつける。
岩吉や清七の部屋では何も匂わなかった。
亥助の部屋では魚の匂いがした。
「報恩講」のお斎の膳だ、精進料理で魚などでない。
平造はお秋を呼んで、「お秋さん、おめえさん、今朝、半蔵さんお部屋から鍋を片付けなかったかえ?」
庄兵衛の顔をみて、お秋は認めた。鯛の煮付けだったらしい。半蔵はいつ魚を取り寄せたかは疑問だった。お秋も知らないと云った。

よいよ、お露の尋問が始まる。父親の庄兵衛が居ては話しづらいだろうと、席を外させる。
岡っ引きと聞いて緊張するお露にズバリと訊いた。
「お露さん、おめえ、いつから岩吉といい仲になったのだえ?」
何もかもお見通しのような平造の詰問にお露は泣き出した。
「黙っていちゃ分からない」平造の追及は厳しかった。
蔵の中で待つ岩吉に会いに行くお露、だが、それでは岩吉の殺害現場に出くわすことになる。お露が蔵に向かうことを邪魔した者が居たと平造は考えていた。
清七がお露に、岩吉の伝言として表で待つように云ったのだった。
お露が穴に落ちたのは岩吉を探しに蔵に行く途中で足を滑らしたと答えた。

清七は、子分の弥作にしょっぴかれて平造の前に出される。平造直々の尋問を受ける。
ずばり「清七さん、おめえ、昨夜、お露さんに岩吉さんが表に待っていると云ったそうだな?」
お露に云ったことを認めたが、それは岩吉の頼みじゃないだろうと詰め寄られる。
そばで、弥作が「やい、見え透いた嘘をつくとしょうちしねえぞ」
平造と弥作の取り調べの掛け合いは、刑事物のドラマのようである。
「まあ、そうがみがみ云うな。なあ清七さん、本当は誰がおめえにそう云わせたのだ?亥助かえ、それとも半蔵かえ?」
清七は、金を貰っていて答えなかったが、おどかししかされして口を割った。亥助からの頼みだった。
平造は、清七に「おめえもお露さんに惚れていたな?」と笑いかけた。

そこにもう一人の子分、亀吉が「親分、えらいことになりましたぜ」と飛び込んできた。
「やっと亥助が分かりました」「なに、分かった?どこで捕まえた?」
「捕まえたんじゃありません。亥助の野郎は土左衛門となって乞食橋の下から浮いてきました

さあ大変。
事件の時系列がぐじゃぐじゃ。
誰が、岩吉や半蔵を殺したのか?庭に穴を掘ったのは誰か?お露は一人で足を滑らして穴に落ちたのか?半蔵とお露はどちらが先に落ちたのか?
亥助はいつ堀に落とされたのか、落ちたのか?
子分の弥作もイロイロと疑問に感じている。その都度平造に訊くが平造とて同じ疑問に突き当たっていた。
思案する平造は、備前屋の二階に上がり、亥助の部屋で考えを巡らせてみる。考えあぐねて、ごろりと畳の上に横たわる。
天井の一部の煤が拭き取られていた。それも最近のようだ。魚の煮付けの匂いが感じられた。
半蔵や亥助が食べた魚の煮付けの出所は、亥助が庄兵衛のお供で浅草の龍玄寺に詣り、帰りに山城屋へ掛け取りに回った。その帰りに調達したらしい。

お話はこれまでです」岡っ引きの平造は、冷えた茶を飲んだ。
首をひねったのが小男の戯作者柴亭魚仙(サイテイギョセン/柴亭をサイテイと読ませる)である。
神田松枝町に住む惣兵衛という御用聞きから捕物の話を聞いていたのが病みつきとなり、惣兵衛の紹介で平造のところに来たのである。
平造は魚仙に話した
正直最期の謎解きには無理があり都合良すぎる。それは前作「三人の留守居役」にも言える。でも、岡本綺堂の『半七捕物帳』を意識して書かれた
とする解説(松本清張全集24巻/解説:加太こうじ)で納得した。清張らしい謎解きとも言える。

今回は、柴亭魚仙も戯作の題は決まらなかったのか...蛇足で【備前屋河豚毒露色の墓穴蔵】 赤面!
他の作品でも同様な展開があったような気がする。と前作で書いたが、いきなり同じ展開となった。でも他にもありそうだ。


ネタバレに注意して...。
備前屋では一人娘のお露に、雇人(番頭・手代)のすべてが惚れていた。亥助は勿論。平造、清七も。岩吉は他を出し抜いてすでにお露と出来ていた。
亥助に岩吉を殺す大きな動機はない。
半蔵はまさに墓穴を掘った。犯人は河豚。河豚鍋を作ったのは亥助。
お露は、岩吉をかばった。

これでは殆どネタバレだ。

●河豚の毒消し(民間療法/意外と理にかなった土に埋める理由
フグ中毒にかかると神経がやられてしまい、呼吸する際に動かさなければならない胸膈(きょうかく)という部位が機能しなくなります。
しかし、土で圧迫することで胸膈が固定され、わずかな横隔膜の動きで呼吸ができるようになるのです。
また、土の中で体が冷やされることや体が圧迫されることで毒素が体を回るのを遅らせることができ、
その間に、尿による排出したり、体内で分解されるのを待つのです。

●日本橋本銀町(現在の作品舞台)
概要:西は外堀、町北は「神田八丁堀」と呼ばれる竜閑川(区境を成す)に面し、一~四丁目があった。
町名は、銀工が住んだのに因む。寛永の切絵図には「白かな丁」とあり、神田新銀町との混同を避けるために「本銀町」となる。
明暦の大火後、竜閑川沿いに、防火のために高さ2丈4尺の土手が築かれたが、正徳年間(1711~1715年)以降は土蔵に替えたことで「土手蔵」と称され、
さらに享保年間(1716~1735年)以後に再び町屋となった。町内には瀬戸物・唐和薬種等、多種の問屋があった。





2021年07月21日 記

登場人物

備前屋庄兵衛 花茣蓙の卸問屋。備前屋の主人。今年五十四になる。一向宗の熱心な信徒。一人娘のお露がいる。
お露 庄兵衛夫婦の一人娘。手代の岩吉と出来ている。親からは婿として亥助と祝言を挙げるように言われている。
それでも岩吉と蔵の中で密会をしていた。十九歳。
半蔵 備前屋の番頭。備中庭瀬の在で亥助と同郷。のれん分けを約束されているがお露に惚れている。あわよくば備前屋の身代をねらう。
亥助 備前屋の手代。主人の庄兵衛に認められ、一人娘の婿になる事を皆に披露される。しかし、お露と岩吉の仲には気づいている。
備中高梁の在、清七の後輩
清七 備前屋の手代三十歳。十三年奉公している。少しぼ~としていて後輩に先を越されても平気だった。お露に惚れていた。亥助と同じ備中高梁の在
岩吉  備前屋の手代。お露と出来ている。いつも蔵の中で逢い引きをしていた。蔵の鍵は岩吉が保管。 
勘吉  備前屋の丁稚。備中足守の在。備前屋では、まだ六年にしか経っていない。 
お秋  備前屋では最年長の女中。奉公して五年になる。台所回りをしている。 
碇屋平造  岡っ引き。神田駿河台下に住む。「三人の留守居役」にでる惣兵衛の知り合いで切れ者。惣兵衛に柴亭魚仙を紹介される。 
弥作  平造の子分。備前屋の事件の一報を平造に報せる。詮議にも積極的に首を突っ込むが平造は頼りにしているようだ。 
亀吉  平造の子分。亥助の土左衛門を平造に報せる。 
河村治郎兵衛  平造が使えている同心。あまり口出しはせず、平造に自由にやらせる。備前屋には平造より先に駆けつけていた。
柴亭魚仙  戯作者。惣兵衛の紹介で平造と懇意になる。ネタには困らないはずだ。 

研究室への入り口