紹介作品 No_117  【大山詣で】


 彩色江戸切り絵図 第二話 大山詣で

紹介作品No 117

【大山詣で 〔【オール讀物】1964年(昭和39年)3月号~1964年(昭和39年)4月号〕
日本橋平右衛門町に蝋燭問屋を営む山城屋という店があった。当主は利右衛門といって四十八歳になる。上方から来る蝋燭、線香の類を相当大きく捌いている問屋で、現在の利右衛門は二代目である。先代は享保の頃に近江から出て来たが、商売に敏かったので、忽ち販路を拡げた。今の利右衛門はおとなしい男で、多少店の間口を縮めはしたが、それでも結構営業を維持している。天明三年のことであった。利右衛門にはおふでという今年二十五になる女房がいる。年の開きでも分かる通り、おふでは先妻の死亡後入った後妻だった。おふでは総州木更津の漁師の娘だが、或る時、利右衛門が網打ちに行ったとき見初めて家に入れた女だ。これが今から五年前である。彼女は漁師の娘に似合わず整った顔立ちで、汐風に晒された皮膚は健康的で肉づきも緊まっている。江戸者の云う小股の切れ上がった野暮でない女だった。●蔵書松本清張全集 24 無宿人別帳・彩色江戸切り絵図:「オール讀物」1964年(昭和39年)3月号~4月号

題材は、落語から取ったものと推測されるが、「大山詣で」は、もともと江戸庶民の信仰と行楽として、流行していた。「伊勢参り」も同じ事だろう。
「清張と落語」は、予想外の組み合わせである。ただ、私は(素不徒破人)落語が大好きです。
ところが、私にとって予想外であったとしても、意外ではなかった。
この推測は当てにはならない。
清張作品のシリーズ物に「無宿人別帳」と言う作品がある。その中に『左の腕』(第十話)と言う作品がある。
前進座で舞台化され、評判を呼んだ。
舞台化されたのが先か、落語化されたのが先か分からないが、落語化されていたのだ。
      落語家:林家 正雀
      演目:「左の腕」松本清張 作
        ※この噺は、先代の文蔵師匠が、清張先生に許可を頂き、噺をしたものを受け継がせて頂いたもの
落語の『左の腕』は、いまでもYouTubeで見る(聴く)事が出来る。【思わず最後まで聴いてしまった】

落語の『大山詣で』(蛇足的研究)を表示

落語の『大山詣で』とは別にして
「大山詣り」の参拝者の多くは「講」と呼ばれる町内会や同業者組合による団体で、皆で費用を積み立て、お参りツアーとして「大山詣り」に出かけていたのです。
その風習は現代まで引き継がれており、春先から夏にかけて多くの講が参拝に訪れ、行衣という白装束を纏った方々が参道を登る姿は江戸の風景を想起させます。
講をお迎えする宿坊の主人は、「先導師」と呼ばれ、先祖から代々引き継がれています。今では個室を備えた宿坊も増えており、一般のお客様も安心して泊まることができます。
先人が憧れ、楽しんできた「大山詣り」は、江戸の粋を今に伝える講の方々だけでなく、大山を訪れ、楽しむすべての人たちによって継承され続けていく文化です。
江戸庶民の信仰と行楽として行われていた。



話の内容は予想外で、落語の筋立てとは無関係だった。
読み進むにつれて番頭の兵助が怪しく感じる、が正体を現すのは最後の方で、どんでん返し。
結論は、兵助がとんでもない悪党だった。

蛇足的研究でも書いたが
日本橋に平右衛門町が見つからない。
浅草平右衛門町で、東京都台東区浅草橋周辺に平右衛門町が見つかった。蝋燭問屋などの商売をしている店は沢山あったようだ。

時は天明三年
蝋燭問屋山城屋の二代目当主は、利右衛門(リエモン)。四十八歳になる。
女房「おふで」と言って、二十五歳。先妻の死後に入った後添えである。
おふでは木更津の漁師の娘。漁師の娘に似合わず、小股の切れ上がった「野暮でない女だった」。ちょっと気になる書き方だ。
利右衛門の身体の具合が良くない。

ここでまたしても、落語の『短命』を思い出した。『ウィキペディア(Wikipedia)』
先代の伊勢屋主人が亡くなり、そのひとり娘は、「錦絵から抜け出したようないい男」を婿に迎えた。
当然、娘夫婦が店を継ぐことになった。ところがしばらくすると、婿の顔色が日に日に青白くなっていき、
周囲がいぶかしむうちに床に就いて、ほどなく死んでしまった。
伊勢屋の娘は「後家になるのはまだ早い」と、ふたり目の婿養子を迎える。夫婦仲は良好。
この婿も段々顔色が悪くなってきて、周囲が首をひねるうち、また逝った。
次に迎えた3人目の婿も、また同様に弱り、昨日死んだという。
男はご隠居に、悔やみ文句などの葬式作法を教わりに来たのだった。
一応の作法を教わった後、男は「伊勢屋の娘は、今や30過ぎのいわゆる年増だが、めっぽうよい容貌は衰えておらず、
性格も父親譲りの人格者。おまけに店の経営はしっかりしているから、婿に余計な負担がかかるはずはない。
なぜ3人も続けて早死にするのか」とご隠居に尋ねる。
ご隠居は「おかみさんが美人。というのが、短命の元だよ」と言う。
「タンメイ?」「早死にすることを短命という」「じゃあ逆に、長生きのことは何と?」
「長命だ」妻が美人だから夫が短命、というご隠居の理論を理解できない男に、隠居はこんな話をした。
「食事時だ。お膳をはさんで差し向かい。おかみさんが、ご飯なんかを旦那に渡そうとして、手と手が触れる。
白魚を5本並べたような、透き通るようなおかみさんの手だ。
そっと前を見る。……ふるいつきたくなるような、いい女だ。……短命だよ」
男は、これでも何のことだかわからない。
「そのうち冬が来るだろう。ふたりでこたつに入る、何かの拍子で手が触れる。
白魚を5本並べたような、透き通るようなおかみさんの手だ。そっと前を見る。
……ふるいつきたくなるような、いい女だ。……短命だよ」

奉公人は陰口を叩いた。
『うちの旦那も若いご新造を貰って身体にこたえているのだ』

番頭の兵助は、三十四歳。
小僧からの叩き上げで、商売の方は利右衛門以上に何でも出来る。
独身で風変わりだ当人はまだ店を持つ気はないと云っている。いずれのれん分けを考えている利左衛門だが、まだ手元に置いておきたい。
岡場所への出入りもなさそうだ。
旦那の病気を心配するおふで、先妻のたたりではと気にするおふで。
番頭の兵助は、旦那に祈祷と「大山詣で」を勧める。
大山権現の先達は、天順(テンジュン)。
兵助に同行を頼む利左衛門だった。
おふでも兵助の同行を喜んだ。

天順は三十四歳。利左衛門の枕元で祈祷を始める。祈祷を済ませた後、近日大山詣でに行くことを告げる。
病気平癒も請け合う天順に、利左衛門は喜んで、「万事宜しく願います」。

>「おまえさん、そいじゃ行ってきます」
利左衛門に見送られ、先達の天順を先頭に大山詣では出立した。江戸から大山までは十八里。男の脚で一晩泊まり。
おふでを含めて、女が三人連れの一行は、二泊の旅となった。

兵助は、おふでに時々声をかけるが、「なに、思ったより楽だよ」の返事で元気だった。
木更津の漁師の娘だけに、元気そのものだった。「やっぱりおかみさんは偉い」兵助は誉めた。
>「ご覧なさい、蔦屋の若旦那なんざ顔が蒼くなっていますよ」兵助は眼でおふでに教えた。
瓦町の袋物屋の息子久太郎が顎を出していた。
>「ほんとに蔦屋さんは気の毒だね」おふでも、今年二十一になる色白で役者にもしたくなるような久太郎を見て云った。
大山詣での一行は、藤沢まで脚を伸ばすことが出来ず、保土ケ谷泊まりとなった。

一晩休んだせいか、久太郎も幾分元気になった。
久太郎の姿を眼で追いながら、「...あれじゃまるで、その顔の通りに女子なみでさア」と貶す兵助。
>「でも、一生懸命に請中の人に従いて来なさるところはえらいもんだね」
久太郎に同情的なおふでだった。

おふでは、久太郎に興味を持っているようだ。江戸に残した利左衛門のことは口にしなくなった。

おふでは別にしても、残りの女二人と久太郎が居るので、大山を前にして,
田村という宿場に、もう一泊することになった。翌朝、未明のうちに宿を出立した。
大山詣でもクライマックスにさしかかる。「六根清浄」を唱えながらの山登りだ。道はますます険しくなる。

人間模様に変化が生まれる。
息絶え絶えに登る久太郎。それを「...まるで鮒みていですね」とからかう兵助。
「...気の毒に思わなくちゃいけないよ」とおふで、「へえ」と兵助。
●兵助は腹の中でくすりと笑った。どうやら、おふでの久太郎に対する興味は、道中の泊りを重ねるごとに強くなってゆくようだ。
>「...おかみさんがおまえの慣れない足取りを見て、このわたしにつっかえ棒をお頼みなすったのだ、遠慮はいりませんぜ」
>「なに、おかみさんがそんなことを云われたのか」
>久太郎の蒼白い顔がぽうっと赧くなった

兵助は二人の仲を予測していたのか、その予測以上のことがいくつかのエピソードで語られる。
大滝に打たれるおふでの身体。
宿坊を抜け出して落ち合うおふでと久太郎。
お堂にしけ込む二人を目撃する兵助。
【目撃した兵助顔のは「奇怪な笑みに歪んだ」】
目撃したのは兵助だけではなかった。天順も居たのだった。
【兵助は天順だと分かると「彼の唇にはまた別のうす笑いが浮んだ」】
天順の心根に気がついた兵助は半ば脅しで味方に付ける。
大山詣では無事に終わる。?

利右衛門は七月の暑い中死んだ。
利右衛門が死んだときは、おふでは二度目の大山詣での最中だった。利右衛門は雇人に見送られて死んだのだ。
二度目の大山詣でを勧めたのは兵助。
利左衛門の死には裏があった。
長兵衛を気取った兵助とおふでの内緒話は、清張得意?の断崖絶壁の告白話し...

利左衛門の死の後は万事兵助が進めた。
山城屋の跡継ぎは江州長浜の親戚筋から養子を迎える。子供だから一人前になるまでは兵助が後見人になる。
すべて、おふでも承知だった。

天順のおふでに対する下心を利用して、策略を練る。
おふでは若い久太郎に溺れて歯止めが利きそうにない。久太郎とて同じ事だが、事態が変わる。

兵助が正体を現す。
>「おかみさん、今だからこそ打明けるが、おれはとうからおまえにほれていたのだ」
>「はて、こうなったらおとなしく往生しな。とっくりと、この兵助の技がおまえを喜ばしてやるぜ」


久太郎が殺された。
兵助は、結末に向かって一芝居打つ。その筋書きは兵助の思う通りには行かなかった。


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長兵衛を気取った
主人公が幡隋院長兵衛を気取る場面が出てきます。長兵衛といえば、芝居に出てくる、幡随院長兵衛か?
江戸時代はじめの江戸に「幡随院(ばんずいいん)長兵衛」という侠客(きょうかく:平たく言えば、ヤクザ者)
がいましたが、おそらくこの人物に由来するのではないでしょうか。
長兵衛は町人から構成されるヤクザ組織、「町奴(まちやっこ)」の親分で、
他方、旗本から構成されるヤクザ集団「旗本奴(はたもとやっこ)」とは、犬猿の仲にありました。
侍であることを笠に着て、町人に乱暴を働く旗本奴を相手に、少しもひるまず立ち向かうさまは、大勢の子分のみならず、
「強きをくじき、弱きをたすく」姿勢は、江戸市民一般からも熱烈に支持され、その生き方はのちに
歌舞伎になったり講談になったり、映画にもなったりしました。

落語でも長兵衛が出てくる。
以前からあった噺(はなし)に三遊亭円朝(えんちょう)が手を入れて完成した人情噺。
左官長兵衛は腕はよいが博打(ばくち)に凝り、家のなかは火の車であった。
孝行娘のお久が吉原の佐野槌(さのづち)へ行き、身売りして親を救いたいという。
佐野槌では感心して長兵衛を呼び、いろいろ意見をしてお久を担保に50両貸す。
改心した長兵衛が帰りに吾妻(あづま)橋までくると、若い男が身投げしようとしているので事情を聞くと、
この男はべっこう問屋の奉公人で文七といい、50両を集金の帰りになくしたという。
長兵衛は同情して借りてきた50両を文七にやってしまう。
長兵衛が家へ帰ると女房と大げんかになる。そこへ文七とべっこう問屋の主人がきて、
金は得意先に忘れてあったと粗忽(そこつ)をわびて50両を返し、お久を身請けしたことを告げる。
のち文七とお久は夫婦となり、麹町(こうじまち)貝坂で元結屋を開いたという。
6代目三遊亭円生(えんしょう)、8代目林家正蔵(はやしやしょうぞう)(彦六(ひころく))が得意とした。


●掲載雑誌『オール讀物』
エンターテインメント系の小説が中心だが、随筆・紀行文・対談・漫画なども多い。
小説は、時代小説とミステリーが中心で、同じ傾向の雑誌である『小説すばる』『小説新潮』『小説現代』などに比べ、読み切りが多い。
娯楽性が強く、読者サービス満点である。
左の腕』(無宿人別帳)もオール讀物で発表されている作品である。
芝居がかった作品でもあり、台詞回しも舞台でも観ているようだ。すでに紹介済みの作品『山椒魚』にも共通する。


2021年07月21日 記

登場人物

利右衛門 蝋燭問屋山城屋の二代目。四十八歳。女房のおふでは後妻。病弱で女房が大山詣での最中に死亡する。
おふで 木更津の漁師の娘だが、利右衛門に見初められ後妻に行く。漁師の娘にしてはいい女で、江戸者は小股の切れ上がった女と評判
大山詣でで袋物屋の息子、久太郎といい仲になる。大山詣でに同行した番頭の兵助に露見して、兵助の意のままにされる。淫奔な女。
兵助 山城屋の番頭、三十四歳。利右衛門に頼りにされる。おふでの大山詣でに同行して、おふでや先達の天順の秘密を握る。
はじめは猫をかぶっておとなしかったが、利右衛門の死後正体を現す。
久太郎 袋物屋、蔦谷の息子。おふでの誘いに乗って道ならぬ仲になる。二十一歳になる色白で役者にもしたくなるような男。
天順 三十四歳。大山詣での先達。天王町に住む大山権現の先達。おふでに興味を持ち兵助に利用される。

研究室への入り口