紹介作品 No_095  【安全率】(絢爛たる流離:第十話)


 

紹介作品No 095

安全率】 〔婦人公論 1963年(昭和38年)10月号〕
(絢爛たる流離)
東亜鉄鋼会長加久隆平が初めて福島淳一の声を電話で聞いたのは六月十二日の夜だった。それは成城の自宅にかかってきた。ちょうど、会社から帰ったところで、妻も娘もどこかの招待で観劇に呼ばれ留守をしていた。 【絢爛たる流離:安全率】蔵書:松本清張全集 2 眼の壁・絢爛たる流離:婦人公論 1963年(昭和38年)10月号

蛇足的研究で「作品の冒頭奇妙な?前文がある。」と書いたが、その意味はすぐ分かった。
東亜鉄鋼の会長加久隆平に電話がかかる。
電話の主は、総学連の財政副部長福島淳一と名乗った。再び前文を引用する。
 「昭和三十五年六月十八日の朝、私はこの原稿を書いている。どういう意味においてでも、この年の、この月の、この日は、日本人   にとって、忘れることのできない日になるであろう。岸内閣が、この日のうちに総辞職し、この日のうちに国会解散を行わない限りは、   新日米安保条約は、たとえ参議院で決議が行われなくとも、十九日午前零時に、自然承認のかたちで国会を通過してしまうのであ   る。五月十九日から現在まで、世論の嵐は、日一日と高まる一方であった。デモに参加する人々の数も、ふえる一方であった。デモ   には明らかな行過ぎもあった。警官にも行過ぎがあった。しかし、今はそれを言うまい。問題の核心は、岸首相が世論に、一切耳を   傾けようとしない態度にあるからだ。アイク訪日取止めの決定も、世論に耳を傾けたからではなく、六月十五日の不祥事に押された   からであった。岸首相よ、あなたは耳がないのあろうか」(一九六〇年六月『アサヒグラフ』田中慎次郎)

総学連とは学生運動の団体だ。(全学連を意識していることは明らかだ)
当時の学生運動が背景にあるようだが、「.....そんな理屈はともかくとして、総学連のエネルギーがたいしたものだと
いうことは加久にも分かっていた。」
突然の電話で躊躇したが、加久は福島に会うことにした。金目当ての面会と言うことは分かっていたが、好奇心が会うことを
決断させた。
ここで、清張は、清張らしい見解を示して加久隆平の気持ちとして書いている。
>加久隆平なる独占資本の代表が総学連から或る意味での理解を持たれている事実を知ったからだ。
>少なくとも金を取りにくるからには彼らにいくぶんの好意を持たれているわけである。
>そのことは、加久隆平が根っからの資本家でなく、いわば官僚上がりの男としていささか文化的なものを身につけている
>彼らに解されているからでもあろう。.....インテリゲンチャとして彼らのシンパになりうると認められたのであろう。

実は、加久は福島と会うことを了解する前までは、銀座で「コスタリカ」というバーを経営している、津神佐保子に逢いに
行くつもりだった。
津神佐保子との関係はそのバーの常連にも知れていて、噂もされていた。
佐保子にとっては、加久との付き合いは自身の株を上げる効果もあったし、客足にも効果的だった。
ただ、加久は、
近ごろ気重になっている。噂のことではなく、神保佐保子と付き合っているうちに、誰も知らない彼女の裏が近ごろ
見えてきたからである

加久隆平は、自宅で福島淳一と甘木と名乗る教宣部長の訪問を受ける。
色の白い、面長の長身の男と、髪の毛の乱れた、色の黒い丸顔のずんぐりとした学生が現れた。
青白い顔の、眉の太い青年が福島淳一。
カンパとして3万円を渡す。
加久は福島淳一の革命論を聞きながらも、3万円がちっとも惜しくないと考えた。

ここでも、清張は、清張らしい見解を示して加久隆平の気持ちを代弁させる。
それは革命前夜の資本家の漠然とした不安の保険金とでも言えるものと考えたからである。

当時の社会情勢が革命前夜的な雰囲気を持っていたのだろう...
少しそれるが、面白いエピソードを知ることが出来た。

■学生時代はほとんど付き合いがなかったが、共産党立候補を機に接近■
 松本善明と藤田田は、旧制北野中学校時代、東大法学部時代を含めて、ほとんど付き合いはなかった。それが急速に親しくなるのは、松本が61年(昭和36年)に
日本共産党衆議院議員選挙予定候補者として次の選挙に東京4区(中選挙区、渋谷区、中野区、杉並区)から立候補することが決まってからだ。著書より引用する。
 ~その一方で、私は自らの人脈を活かして、立候補の挨拶を精力的に行いました。とりわけ北野中学の友人には力を入れて訴えかけました。(中略) 
戦後一五年が経過し、北野中学の同級生は各分野で活躍していました。新進経営者として大成功していたのは藤田田氏(後に日本マクドナルド社長)でした。
大学も同じだった彼に面会を求めて、立候補の挨拶をしてカンパをお願いすると快く五〇万円という大金を出してくれたのには驚きました。
後日、「共産党が政権を取ったときの保険金」としてカンパしたのだという主旨を自著に書き記しています。


加久隆平は、総学連の二人が帰った後、車を銀座へ走らせた。
「コスタ」で女給の泰子から、「ママが個々を十一時には脱けられますって、先に行って待って下さるように言ってますわ」と
伝言を受ける。
ホテルで佐保子と逢う加久。
津神佐保子は君島二郎との関係を告白する。君島二郎とは「コスタリカ」のバーテンである。
これが加久隆平の気重の原因だった津神佐保子の裏の顔なのか
津神佐保子との君島二郎との関係は加久の現れる前のことだったという。
佐保子の火遊びとも言える関係のようだが、お金が絡んできている。すでに二百万円ほど渡しているらしい。
加久は思い切って五百万円くらい出して解決すればと話すが
>「その程度ならいいんですけれど、三千万円出せと言ってるわ」
事も無く佐保子は言った。加久に払わせろと言う話である。
>「おれにか」
>加久隆平は佐保子の上向いた横顔を見て、瞬間、君島とこの女が共謀して自分を狙っているような感じがした。
>おれが出さないと言ったら?

佐保子と加久の関係を世間に全部しゃべるという。あなたの奥さんにも一切をぶちまけるという。
佐保子は、それを必死に止めていると言った。
>加久には、その若い男をなだめる佐保子が、その交換条件として彼にその都度、何を与えているか想像ができた。
>暗いいやな気分になった。

さらに君島は、醜聞を「醜聞とエロとで売っている赤新聞」のR日報でかき立てるという。
加久隆平は、先ほど会った総学連の二人と君島を比べていた。
一方では、安保闘争のデモが行われている。その一方で、バーで酒を呑みながらくだらない芸術論をぶっている
文化人連中と比べていた。
そんなことを考えている加久隆平のそばに、三カラットのダイヤを指にした津神佐保子がいた。
その佐保子は、君島に殺されると怯えている。それは加久も同じ気持ちだったかも知れない。

福島淳一から加久隆平に再び電話が入る。
資金の無心である。
ここでも巧みに社会情勢が組み込まれる。
【樺 美智子(かんば みちこ、1937年11月8日 - 1960年6月15日)は学生運動家。安保闘争で死亡した東京大学の女子学生】

騒動のどさくさで女子学生は死んだ。
騒動の中、君島と加久は会った。加久の狙いは定まっていた。が、
革命家気取りの学生は、加久の真意を知ることもなく渦の中に飲み込まれていった。

加久は、どさくさで君島二郎を殺そうと仕組んだのか?それも津神佐保子と共謀して?
背中に×印のシャツを着た君島二郎が殺された。凶器はガラス片。
この記事を読んだ加久隆平は、この記事の中で、ガラスの凶器を見たとき津神佐保子の指を思い出した。
この記述が意味深だ。蛇足だが、ダイヤはガラス切りとして使える。

加久隆平の保険金は有効に消費された。


2019年4月21日 記

登場人物

加久 隆平 東亜鉄鋼の会長。資本家でなく、官僚上がりの男。自称?インテリゲンチャ。総学連の理解者?津神佐保子は愛人。妻子持ち。
福島 淳一 総学連の財務副部長。 青白い顔の、眉の太い青年面長の長身の男。革命家気取りの理論家?
津神 佐保子 銀座のバー「コスタリカ」の経営者。加久隆平はパトロン。バーテンダーの君島と男女の関係がある。三カラットのダイヤの持ち主。
君島 二郎 銀座のバー「コスタリカ」のバーテンダー。津神佐保子と男女の関係があり、佐保子から金を強請る
甘木  福島淳一と加久隆平を訪ねる。髪の毛の乱れた、色の黒い丸顔のずんぐりとした学生。
泰子   銀座のバー「コスタリカ」の女給。佐保子の伝言を加久に伝える。

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