紹介作品 No_070  【西郷札】


 

紹介No 070

【西郷札】 〔週刊朝日別冊/春季増刊号3〕 1951年3月15日号

去年の春、私のいる新聞社では『九州二千年文化史展』を企画した。秋には開催予定で早くからその準備にかかっていた 【松本清張全集 35 或る「小倉日記」伝・短編1】より

話の展開に少し戸惑った。
私のいる新聞社の『九州二千年文化史展』の企画段階で登場する『西郷札』。
宮崎の支局長(E君)が、宮崎県佐土原町の田中謙三氏より申込みの委託を受けて、送られてきたのが『西郷札』なのだ。
「サイゴウサツ」なのか「サイゴウフダ」なのかさえわからなかった。
作中でも百科事典で調べて疑問を解決している。
  ※Wikipedia(ウィキペディア)によると
     
 西郷札(さいごうさつ)とは、西南戦争中、西郷隆盛率いる西郷軍(薩軍)によって軍費調達のために発行された戦時証券、軍票である。
        ●概要
         1877年(明治10年)西南戦争に際して、西郷軍は薩摩商人からの軍費調達の必要が生じ、士族商社の「承恵社」「撫育社」によって
         発行された承恵社札を用いて六万円を調達した。承恵社札は五円・一円・半円の三種があったとされる。
         その後、軍資金不足に陥った西郷軍が、1877年に発行したのがいわゆる「西郷札」である。
         「札」というが、実際は布製の「布幣」であった。寒冷紗を2枚合わせて、その芯に紙を挟み堅固にしたものであった。
         通用期間三年の不換紙幣であった。十円(淡黄色)・五円(鼠色)・一円(浅黄)・五十銭(淡黄)・二十銭(黄色)・十銭(藍色)の六種が
         存在したが、発行当初から信用力に乏しく、少額札は多少の流通があったと伝えられるが、十円、五円等の高額紙幣は西郷軍が
         軍事力を背景に実効支配地域内で無理矢理に通用させていたものであった。
         西郷札は、西郷軍の敗北とともにその価値を全く失い、明治政府からの補償もなかったため、西郷札を多く引き受けた商家などは
         没落するものもあったといわれているなど、西郷軍の支配下にあった地域の経済に大きな打撃を与えた。
         なお「承恵社札」は翌1878年(明治11年)に償還された。

送られてきた『西郷札』に、支局長(E君)からの手紙が添えられていた。そして、別に「覚書」があった。
「覚書」は、田中謙三氏の祖父の知人が書いたもので、日向佐土原士族 樋村雄吾 誌す 明治十二年十二月 
とあった。
「覚書」を、思わず夜を徹して読了した。私は、田中氏へ手紙を出し、新聞記事にはしないで、改めて他の機会に
発表する旨許しを請うた。田中氏からは快諾があった。
私が「覚書」を書き改め、『樋村雄吾伝』とも言える文章ができあがる。

はじめに、話の展開に戸惑ったと書いたが、ゆっくり読んで理解できた。「私」が誰なのか掴めなかったからだった。

樋村雄吾は日向国佐土原生まれ。父は喜右衛門、三百石の藩士(島津氏の支藩)。
母はつね(内藤氏より嫁ぐ)、雄吾十一歳の時死去。
父は五年間後添えを取らなかったので、父の手一つで育てられた。
廃藩置県で世禄を失った喜右衛門は、百姓になった。百姓といっても数人を雇用しての耕作である。
自ら畑に立つことは無かった。
この年父喜右衛門は後妻を迎える。雄吾と五歳違いの女の子の連れ子がいた。雄吾の妹となるのである。
この母は士族の出では無かった。島津領内では士族平民の区別がやかましく、両族の結婚はほとんどなかった。
この年、八月に華士族平民婚嫁許可が出ていた。廃藩置県同様時代の変化は皮肉な運命を雄吾たちに与えていた。
後妻を迎えた雄吾の家は艶めかしくなった。後妻の母は三十五歳の容色。妹となった季乃(スエノ)は人が
見てかわいいとほめる顔立ちであった。
雄吾はこの状況を表面とは別に愉しんでいた。季乃は雄吾を兄様と言って慕っていた。
邪険にする雄吾ではあったが本心は別である。

雄吾が二十一歳。季乃(スエノ)が十六歳、その美しさは佐土原でも評判となった。時は明治十年、正月。
西南戦争前夜であった。
     ※Wikipedia(ウィキペディア)によると
          ●西南戦争
            西南戦争(せいなんせんそう)、または西南の役(せいなんのえき)は、1877年(明治10年)に
            現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱である。
            明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、2016年現在日本国内で最後の内戦である。

雄吾は西郷軍(薩軍)に軍属として参加した。
敗走する薩軍は資金不足を補うため、紙幣の造幣が進められた。「西郷札」の発行である。
造幣局総監は桐野利秋、監督は、池上四郎があたり、佐土原藩士森半夢(通称喜助)が事を運んだ。
雄吾はその助手的立場であった。(桐野、池上は実在、森は?)
信用の無い「西郷札」は、なかば強制的に富裕な商家に押しつけられた。僅かな買い物に高額の「軍札」を出し、
大政官札のつり銭を受け取るという手段をとった。「軍札」はおよそ二十数万円刷られた。

樋村雄吾は闘いの中で弾丸に右肩を貫かれる。その時西郷軍は、四万の軍勢が五六百になっていた。
雄吾は、何時間も山中を彷徨し、仲間ともはぐれてしまう。笹の中に転がる、気が遠くなる。
夜が明けて、幸運にも炭焼きに拾われ、素封家の伊東甚平宅に担ぎ込まれる。
伊東家の祖先は島津藩仕えていたこともあり、官軍にも届け出ず、雄吾にいきとどいた介抱をしてくれた。
傷も癒え、明治十一年二月末、世話になった伊東家を出て故郷に帰る。
故郷では悲惨な現実が彼を待っていた。家は戦火で焼かれ、父喜右衛門は去年の六月に病死。
雄吾がしきりに紙幣製造をしていた頃である。茫然自失の雄吾は幼少の友達、田中惣兵衛(田中謙三氏の祖父)を
訪れる。妹の季乃(スエノ)の居場所も不明だった。
雄吾は、田畑を金に換えて東京に向かった。
東京に出たものの、樋村雄吾には昭和のインフレ時代の狸青年のような覇気もなかったし。共産党員のような
高揚もなかったから、無為のうちに日を送っていた。
そんな中、伊藤博文を狙う高知県士族山本寅吉と口を聞いた事がきっかけで、東京警視本署に連行拘留される。
身に覚えの無い雄吾は、半死半生の目にあわされながらも、知らぬわからぬの一点張りで拷問に耐え、音を上げなかった。
そのふてぶてしさが、取り調べの連中に気に入らず、十日で済むところが、二十日も入ることになった。
同じ房には、若い道楽者で博奕で挙げられた卯之吉がいた。卯之吉は神田の紙屋のせがれだった。
雄吾の降参しない態度と国事犯というので、卯之吉の買いかぶりではあるが、雄吾を親切に介抱してくれた。
卯之吉は先に解放されたが、雄吾をみて改心した。出たら自分うちを訪ねてきてくれと、所書きも残してくれた。
やがて、雄吾も見込み違いと分かり解放された。
半病人のようになり、行く当ても無い雄吾は、卯之吉の好意に甘えて世話になることにした。
雄吾は卯之吉以上に父親(卯三郎)に歓待された。雄吾は、倅の道楽がやんだ恩人だった。
養生後働く気になった雄吾は、人力車の車夫になることを決意する。車屋は山辰。

話は急展開する。これまでは前置きと言っても良いだろう。
車夫になった雄吾は客を乗せて本所清住町まで行く。客は身なりからして上級官員らしい。三十前後である。
「お帰りあそばせ」
「うむ、車賃を払ってやれ」
「ご苦労さま、おいくら?」
と手を懐に入れた。暗い中ではあったが、雄吾にははっきり分かった。
----季乃(スエノ)であった。
季乃の夫は、太政官権少書記 士族 塚村圭太郎。
境遇の違いからくる不思議な感情を自分ながら扱いかねる雄吾だった。
雄吾は、季乃を見たいとの思いから塚村家の回りをたびたび通るようになる。
偶然、季乃(スエノ)を乗せる羽目になる。「回向院前までね」
回向院前で梶棒降ろした時。「ご苦労さま」。視線が合った。
「あ、お兄さま」
ふたたび車に乗った季乃は、「...どこかへ行きましょう...」とせかせる。
『覚書』の原文は
     
-----まこと夢心地にてどこの道をいずれとりしやもさだかならず、われに返れば一小社の境内にはいり、
人気なき処にて、互いに言葉もなく相対していたり。-----

以後はすこし端折って書く。
雄吾は卯三郎に呼ばれて、やはり紙問屋の幡生粂太郎にあう。粂太郎はやせた五十年配の如才ない男だった。
話は雑談から本題に入る。粂太郎は「西郷札」を見せる。「西郷札」を回収して、政府に買い取らせようという話だ。
塚村の奥様、つまり、季乃(スエノ)を知っているかと聞くのだった。季乃(スエノ)と雄吾が話していたのを見たというのだ。
そして、粂太郎は、季乃(スエノ)をよく知っていると言うのだ、さらに、粂太郎と一緒だった卯三郎が雄吾を知っている。
雄吾は季乃(スエノ)が妹であることを告げる。
好都合と喜ぶ粂太郎は、塚村圭太郎に口利きの依頼をする。
それは「西郷札」の政府買い入れの根回しである。

いつものことだが、史実と小説の境目が混沌としてくる。
   
三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎は、政府が藩札を買い上げる計画があることを、後藤象二郎から密かに聞き、
    藩札を買占めて巨万の利益を得たと言う。


幡生粂太郎は、岩崎弥太郎の二番煎じを考えたのである。
雄吾はしぶしぶながら頼みを承諾する。季乃(スエノ)に取り持って貰うことになる。
初対面の儀礼的な対応か、塚村圭太郎は、「だが、とにかく、いちおう当たってみることにしましょう」と答える。
事実、雄吾が帰ると急に不機嫌になった。
「色白の好男子だな、女でもいると聞かなかったか」塚村圭太郎の問いに、「べつに」と答える季乃(スエノ)。
塚村圭太郎は、内密に雄吾を調べるために目を掛けている小使いに言い聞かせる。
「その男に女が会いに来るかどうかそっと内密にたしかめてくれ。いや女の身もとは探るに及ばぬ。
二人が会っていることがわかればよい」。
山辰(雄吾が働いている車屋)で調べさせる
重要な伏線である。
塚村圭太郎はすでに、季乃(スエノ)と義理の兄である雄吾を疑っている。
難しい話としながらも、塚村圭太郎は、季乃に言った。「義兄さんを呼びにやれ、この間の話がうまくゆきそうだとな」
雄吾は二度目に塚村を訪ねることになる。上々の首尾を聞かされる。
粂太郎と卯三郎に聞かせると驚喜する。

雄吾と季乃に身体の過ちはない。雄吾は妹として愛していこうと決心をしていた。
塚村の態度に不安を持ちながらも季乃は雄吾に会う。雄吾は屈託の無い顔で季乃を迎える。密会が続いていた。
.....塚村は急に下婢に小さい声で、今日昼間、奥さまは何時ごろ帰ってきたかときいた。そして返事を聞くと、
「おれがきいたとは言わずにいろ」と圧えるような顔で言った。.....

塚村が義兄を迎えにやれと言ったのはその後である。
雄吾は三度目として塚村に会う。「あれは充分に見込みがありますよ.....」
そして、「西郷札」買占めの知恵を付ける。雄吾に、粂太郎共々買占めに行けというのだ。

粂太郎は買占めの資金を作るため田地田畑、家までも売り払った。
雄吾は、以前世話になった恩人と言っても良い伊東甚平に粂太郎を会わせる。
遠来の珍客を歓待する甚平は、粂太郎の来意を受けて
「これは一世一代のの金儲けの機会です、何で見逃されましょう」と快諾する。甚平は風評で買い上げ話を知っていた。
半信半疑が粂太郎や雄吾によって確実な情報として伝わったのだ。
「西郷札」の買い占めは容易には進まなかった。風評が高値の相場を作っていたのである。
すでに身代限り家屋敷田畠を質に借金までして狂奔する状況になっていた。西郷札旋風だ。
どうやら塚村サイドから情報が漏れたようだ。

粂太郎を宮崎に残して、雄吾は東京に帰る。卯三郎宅へ行く。「覚書」は最後の章に入る。
卯三郎は驚いて雄吾を迎入れる。
雄吾はなかば指名手配になっていることを卯三郎から知らされる。......紙屑同様なる紙幣を買い集めに狂態を為し
居る由宮崎県庁より真意問合せを兼ね報告来りしかば政府においても捨て置かれず、何者の仕業にやと
詮索相なりし処、此者は宮崎県士族樋村雄吾ととて去る明治十年賊軍に投ぜし一人と判明せり。.....
雄吾は、塚村氏へ質すべしと言ったが、卯三郎は「こは塚村氏の策する処ならん。委細は塚村夫人に聞かれよ」と言う。
季乃に聞けと言うのだ。季乃は山辰(雄吾が働いていた車屋)に義兄が帰れば知らせてくれと言い置きしていた。
卯三郎が季乃(スエノ)を呼び出す。
雄吾の膝に泣き伏す季乃。[歔泣す(ギョウキュウス)]
季乃は言う「塚村の嫉妬の余り陥れたるものなり。」 季乃は逃げろ言う。
塚村の卑劣な行為も、雄吾は、妻を愛する余りの行為と思えど恩人までを破産に陥れた行為に痛憤する。
「覚書」は雄吾に残された道を三途ありと書く。
1.季乃(スエノ)の言う通り逃げる。
2.官憲に自首して理非をただす。
3.....最後の策

「覚書」はここまでで終わっている。
最後の策とは...覚書を文章にした「私」は、原文はもっと長いものだったと想像する。最後は破り取られた痕跡がある。
破られた部分は想像できる。が私は一日中図書館にこもって調べたが分からなかった。
当時の大政官権少書記と言えば矢野文雄.犬養毅.尾崎行雄.中川上彦次郎.小野梓.島田三郎などのクラスである。
あれほど俊英とされた塚村圭太郎の名が世に残らなかったのは何故であろうか?
ここでも史実と小説が混在してしまう。

私は図書館でこんな新聞記事を目にすることになる。
「日向通信(明治12年12月興論新誌)薩賊の製造せし紙幣に特別の訳を以て政府に於て御引換可相成旨道路の風説」
道路の風説とは?
「西郷札」の買占めに狂奔している二人の人間が眼に浮かぶ。と私は結んでいる。


「覚書」が古風で明治調のため馴染めない。少し拾い出してみると
「浩瀚」「兵站」「草廬」「世禄」「歔泣」「陋劣」 


「或る「小倉日記」伝」「火の記憶」と続いて、けなげに生きる美しい女性の登場に共通点を見つけたような気がする。
初期の短編小説は読み応えがある。勿論、初期に限定されることでは無いが、ゲスな言い方だが推理小説として
書かれたものでは無いのだからか、受け狙いがないので深みがあるような気がする。作品に余韻がある。
推理小説然としていないという意味で、推理小説を否定するわけではない。

※「私」と「田中謙三」以外は「覚書」の登場人物


2016年02月22日 記

登場人物

新聞社勤務。社の企画で「九州二千年文化史展」を準備する中で「西郷札」と付随する「覚書」を手にする。
田中 謙三  新聞社の企画展に「西郷札」の展示を依頼する。田中惣兵衛は祖父であり、樋村雄吾の幼少の友人。
樋村 雄吾 「覚書」の主。薩摩軍で「西郷札」に関わる。義理の妹が季乃(スエノ)。父は喜右衛門、母はつね。
季乃(スエノ) 樋村雄吾の義理の妹。雄吾の父の再婚あいての連れ子。後に塚村圭太郎の嫁になる。評判の美人。
塚村 圭太郎 太政官権少書記、士族。上級官員。季乃(スエノ)の夫。季乃と義兄の雄吾を疑う。嫉妬から樋村雄吾を陥れる。
卯之吉 紙問屋の若旦那。博奕で投獄され、雄吾と同房。雄吾を尊敬し、改心する。解放後訪ねるように所書きを残す。
卯三郎 卯之吉の父。神田の紙問屋の主人。改心した倅を喜び雄吾を歓待する。雄吾の恩人でもある。
幡生 粂太郎   卯三郎同様紙問屋の主人。岩崎弥太郎を手本に「西郷札」を金儲けに利用しようとする。破産の憂き目にあう 
伊東 甚平 命からがら助かった雄吾を介抱する。地元の素封家。後に粂太郎に誘われ西郷札の買占めに走る。

研究室への入り口