紹介No 023
【なぜ「星図」が開いていたか】1956年 「週刊新潮」
百科事典の「星座」の項目を開けたまま藤井都久雄は心臓麻痺で死亡した。
夫の急変を告げる、妻の藤井滝子からの電話で往診をする。「死亡診断書」を持参する。
倉田医師の所見は心臓麻痺である。しかし、学園闘争の「ハン・スト」に参加していたことを聞き、
立会人に別の医師を呼び、結局警察に届ける。
犯罪は、あまり丈夫でない藤井都久雄を「ハン・スト」に誘い込み、疲労困憊させる。
「菅野真道」なる人物を調べさせるように、事前に仕込んでおく。
百科事典の、その項目に栞として蛇の抜け殻を置く。
蛇に異常な恐怖と嫌悪を持つ藤井都久雄は心臓麻痺を起こす。
自然死も他からの作為によって自然死に導けば、やはり他殺。
小説としては、犯罪、とりわけ殺人の手口を中心に書かれている。
自然死に導く手口が『なぜ「星図」が開いていたか』である。それを解決に導くためいくつかの伏線がある
好奇心旺盛な倉田医師が狂言回しであるが基本的な複線は、殺された藤井都久雄を追悼する学園誌の
掲載記事である。
私は、少々批判的である。
>藤井氏は蛇に対して大へんな恐怖と嫌悪をもっていたのです。
確かに蛇に対する恐怖嫌悪はあります。しかし、その恐怖嫌悪は生きている蛇に対してです。
もちろん、抜け殻に対しても恐怖嫌悪はありますが、それは何十分の一以下ではないでしょうか。
都合良く心臓麻痺に導くことが出来るでしょうか?
もう一つ
この小説の殺人至る動機です。これが全く描かれていません。
警部補が報告する、藤井の妻と山岡の「懇ろ」な関係以外描かれていません。
深読みすれば、この殺人は成功してもしなくても良かったのはないだろうか。
犯人に明確な「殺人」をする意図はなく、ある種の結果期待の手口だったのでは?
それなら、蛇の抜け殻でも十分だった。
蛇の抜け殻を「菅野真道」の項目ではなく、いい加減なページに挟んだ妻の行動もうなずける。
そして、決定な物証である「脱皮殻」を百科事典の間に残す大雑把さも、一連の流れなのだろう。
蛇足ですが。 最後の
>「何しろ、スガノマミチなんて、むずかしい名前ですからね」
の「スガノマミチ」は、「スガワラノミチザネ」(菅原道真)の間違いで、落語で言えば
考え落ちなのでは、と勘違いしていました。
そこで少し調べました 。
●http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/suganomamiti.html
菅野真道
すがのまみち
時代:奈良時代〜平安時代
年代:741年〜814年6月29日
内容:平安前期の公卿。
百済より渡来した氏族の出身。山守の子。旧氏姓は津連。790年菅野朝臣の姓を賜る。
宝亀9年少内記、延暦2年外従五位下、同4年東宮学士となる。
図書頭、民部大輔、左兵衛督、左大弁を歴任。同24年参議に任ぜられ、
藤原緒嗣と天下徳政について相論。
軍事・造作の停止を主張する緒嗣に反対した。
その後太宰大弐、民部卿、左大弁大蔵卿を兼任。大同4年従三位に昇る。
「続日本紀」の撰者の一人。
●http://page.freett.com/take1975/rensai8.htm
この桓武天皇の政治はいってみれば儒教的で農民の負担を軽減する事で
体制の安定化を図った政治でした。
805年に桓武天皇は藤原緒嗣(おつぐ)と菅原真道(まみち)を呼んで、
どうしたらいい政治がとれるかということを論議させています。
どっちが、どっち
菅野真道・菅原真道(まみち)
おまけですが
落語ついでに、藤井都久雄の蛇嫌いが『饅頭こわい』だったら。
なんて、考えてしまいました。
それから、蛇足的研究でふれた「忖度」は「余生の幅」の中でも使われていた。
2005年01月30日 記 |
登場人物
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倉田医師 |
開業医。好奇心旺盛。 |
藤井 都久雄 |
東都中央学園の教諭。山岡、森等とハン・ストに参加。蛇に恐怖と嫌悪 |
藤井 滝子 |
藤井都久雄の妻。三十前後細い輪郭に大きい目、印象に残る顔立ち。山岡と「懇ろ」 |
筒井 |
藤井の同僚。筒井が書いた学園誌の記事「悪童の悪戯」が倉田医師の目にとまる。 |
山岡 |
藤井の同僚。ハン・ストに参加。三十四五歳の如才のない男。藤井滝子と「懇ろ」 |
森 |
藤井の同僚。ハン・ストに参加。山岡が「菅野真道」のことを藤井に聞くのを目撃 |
矢島 敏夫 |
警部補 |
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