紹介作品 No_011  【駆ける男


紹介No 011

【駆ける男】1973年 「オール讀物」

蒐集狂というのは、精神分析の分野では、たぶんパラノイア(偏執狂)の分類にはいるのかもしれない。......◎蔵書◎「馬を売る女」文藝春秋●1977年9月30日(初版)より

山井善五郎は、「たぶんパラノイア(偏執狂)」である。

蒐集狂がこうじて仕事の合間にその収集に励む。

高貴な方が泊まったという、「亀子ホテル」に目を付けた、山井善五郎は、

その特別室の傍に部屋を取る。しかし、空室を期待した「特別室」は予約客があった。

客は村川夫婦である。村川は六十二歳、妻英子は後妻で三十六歳。

話はここから山井と村川夫婦の行動が並行的書かれる。

山井は、村川夫婦が部屋を離れた隙に、特別室の備品を狙う。

村川夫婦の会話は、歳の差の淫靡さを含んで続く。

『「そうね。このごろはヒヨンもあまり効かないようね」

と云って、英子は夫にうす笑いをして横眼を流した。』。村川は心臓が悪い。

伏線である。村川夫婦は食事に行くため、部屋を離れるとき部屋に鍵を掛けない。

それは英子の意志である。そして、食事は丘の下にある、「蓬莱閣」ですることになった。

「亀子ホテル」の続きとは言っても「蓬莱閣」は階段が続く約百八十メートル下である。

問題は、「蓬莱閣」の女中頭である。蒲田栄子。

彼女は、昔の村川の恋人である。村川が捨てたのである。

食事をはじめた村川夫婦に「芋」談義がある。

英子の「精分をつける」一言で「もつで煮た芋」を食べる。

所用で出かけていた女中頭の蒲田栄子が挨拶に現れる。

『「あいつが、居た...」と、雄爾が放心したような云いかたをした。』

雄爾は気が狂ったように、勾配十数度の傾斜率をもった坂の階段、

約百八十メートルを一気に駆け上がった。

村川はホテルのフロントまで駆け上がって倒れた。心臓麻痺で死亡した。

山井は、鍵の掛かっていない部屋から「記念品」をせしめて満足であった。そのついでに

「小さい、球根のような物」も、持ち帰った。

村川の死後、英子は東京銀座に「かげろう」という割烹料理店を開いた。英子には男が居た。

世間は、『「そうね。このごろはヒヨンもあまり効かないようね」』の「ヒヨン」なる

「奇体な薬」での毒殺を、村川家の女中の内緒話として噂をする。

警察が乗り出す。山井の逮捕で、「亀子ホテル」での行動が問題となる。

「小さい、球根のような物」は、「ハシリドコロ」であった。

ハシリドコロ=〈はしりどころ(走野老)=ナス科の多年草〉。

「つまり、このアルカロイドが神経異常を起こさせるわけで、普通の百科事典にも、

この根茎を食べると狂い走るのでこの名が付いた、とあります。

特別な専門書を開くまでもありません」

村川は、「三十五年前に捨てた女」を見て逃げ出したのではない。

英子と「蓬莱閣」の料理人との共犯であった。もちろん主犯は英子であろう。

最後はドラマチックである。

警察の捜査官は、三人連れで銀座の「かげろう」に行く。

>「おかみさん。天ぷらをつくってくれんか?」
>「はいはい。板さん、天ぷらですよ」
>と、英子は黙っている男に云いつけた。彼は眼を手もとの包丁に落としたままうなずいた。
>捜査係のとしがさなのがポケットからハシリドコロの根をカウンターの上に置いた。
>「おやおや。それは、どうも.....」
>英子が何気なしに眼をそれに向けた。とたんに悲鳴をあげた。
>おかみの声に、黙っていた板前が、客の天ぷら材料に視線を凝らした。
>彼の手から包丁が落ちた。


登場人物は、基本的なパターンだ。

問題は、ハシリドコロである。はじめに「ハシリドコロ」ありきのような感じがする。

2002年11月11日 記

登場人物

山井 善五郎 30歳前後。製薬会社の販売員。
村川 雄爾 62歳。北陸地方で小さな会社を経営。
村川 英子 36歳。村川の後妻。地方都市で小さな料理屋をしていた。
蒲田 栄子 54歳。村川の元恋人。「蓬莱閣」の女中頭。

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