題名 | 身辺的昭和史 |
読み | シンペンテキショウワシ |
原題/改題/副題/備考 | |
本の題名 | 松本清張全集 32 昭和史発掘■【蔵書No0121】 |
出版社 | (株)文藝春秋 |
本のサイズ | A5(普通) |
初版&購入版.年月日 | 1974/07/05●2版 |
価格 | 1200 |
発表雑誌/発表場所 | 「朝日新聞」 |
作品発表 年月日 | 1971年(昭和46年)5月3日号〜6月14日号 |
コードNo | 19710503-19710614 |
書き出し | まず私の記憶から書く。小学校から高等小学校までの間に二つの国葬があった小学校六年のときに山県有朋が死んだ。学校が休みだったというだけで、もちろん行事は何もなかったが、勲章をいっぱいつけた山県の大きな写真と軍隊の整列の中に進む葬列の写真とが新聞に出ていたのをおぼえている。大正十一年の二月だった。年表を見るとその一月には大隈重信が死んでいる。大隈が死んだときの新聞記事の記憶はない。国葬だったら学校が休みだったはずだと思い、今度「大隈候八十五年史」というのを繰ってみるみると国葬ではなく「国民葬」になっている。「国葬は現官にいる重臣が薨じた場合に限るものと解釈せられ、時の内閣では国葬に賛しない者があった」と同書は述べている。山県は元老だったが、大隈はそうではなかった。 |
作品分類 | 随筆 |
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