書き出し |
初代国鉄総裁下山定則氏の怪死事件は、いまだに自他殺不明のままである。政府からも警視庁からも何ら公式な発表がないのだからだ。周知のように事件の起こった昭和二十四年七月よりかぞえて十五年目、三十九年七月に、他殺事件としても時効が成立した。まったく稀有のケースである。五反野駅付近の常磐線の鉄道線路上で氏の轢断死体が発見されてから警視庁がこの捜査に投入した人員は(百四十名の刑事、これは刑事の事件としてはおそらく珍しいことで」(昭和二十四年九月二十日衆議院法務委員会における坂本智元・警視庁刑事部の答弁)であった。普通の殺人事件では二十名程度、少なければ十二,三名の刑事という。下山事件捜査では一課の捜査本部のほかに、二課が参加し、さらに東京地検の馬場次席検事、山内、佐久間、金沢の各検事が本事件関係を担任し、死体は東大法医学部の古畑教授指揮下に、桑島講師が解剖し、衣類付着物関係は同じく秋谷教授が鑑定を担当した。これだけの陣容で、十五年もかかって捜査したのに自他殺すら分からないというのだからこんなふしぎなことはない。犯人が分からないために迷宮入りになったのではない。自他殺の判断が迷宮入りになったのである。 |