(原題=家康と山師)
題名 | 山師 | |
読み | ヤマシ | |
原題/改題/副題/備考 | (原題=家康と山師) | |
本の題名 | 松本清張全集 35 或る「小倉日記」伝・短編1■【蔵書No0106】 | |
出版社 | (株)文藝春秋 | |
本のサイズ | A5(普通) | |
初版&購入版.年月日 | 1972/02/20●初版 | |
価格 | 880 | |
発表雑誌/発表場所 | 「別冊文藝春秋」46号 | |
作品発表 年月日 | 1955年(昭和30年)6月号 | |
コードNo | 19550600-00000000 | |
書き出し | 家康が秀吉から関八州を与えられて江戸に遷ったのは天正十八年で、それから二,三ねんたった年の春のことである。上方から四座の猿楽をよんで興行し、江戸城内で諸人に見せた。この時は、町人共も白州に入れて見物させ、菓子や鳥目まで与えたというから、入部後間もない家康が、自分の愉しみ以外に、新領民への懐柔策であったろう。役者共はかなり長期に留め置かれたものとみえ、未だ暇を下されない内は、替る替る夜詰めに籠もり上ったとある。家康の夜のつれづれの伽に上方の咄などしたであろうし、家康は彼らの話から、さりげなく上方の事情を探ろうとしたに違いない。そうした或る晩である。年をとって肥えてきた家康は、大儀そうに身体を脇息に凭らせながら、侍臣にこんなことを云った。「わしは三河半国からだんだんと大身となって、今では関八州をもつまでになった。今、これほどの国数を持っている大名は毛利輝元とわしくらいなものであろう」自慢話を云い出したかと思うと、そうではなく、貧乏話があとにつづいたのであった。 | |
作品分類 | 小説(短編) | 15P×1000=15000 |
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