題名 | 転変 | |
読み | テンペン | |
原題/改題/副題/備考 | 【同姓同名】 【重複】〔(株)講談社=奥羽の二人(講談社文庫)〕 注)出だしが違う/慶長四年九月(関ヶ原の合戦は慶長5年) |
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本の題名 | 松本清張全集 35 或る「小倉日記」伝・短編1■【蔵書No0106】 | |
出版社 | (株)文藝春秋 | |
本のサイズ | A5(普通) | |
初版&購入版.年月日 | 1972/02/20●初版 | |
価格 | 880 | |
発表雑誌/発表場所 | 「小説公園」 | |
作品発表 年月日 | 1954年(昭和29年)5月号 | |
コードNo | 19540500-00000000 | |
書き出し | 慶長四年九月、関ヶ原で大呈した家康は、すぐには入洛せず、しばらく大津の三井寺に滞在して、味方の諸将の賀詞をうけた。家康の前を退ってきた諸将の顔は、いずれも晴々としていた。家康のから如才ない、鄭重な礼を云われると、戦闘の疲労も忘れて喜んだが、なかにも福島正則の喜色は一方でなかった。彼は家康から人一倍懇ろな謝辞をうけたのである。「この度の勝利は全く其許のお陰でござる。この御恩は末代まで忘却いたさぬ」と家康はかけていた床几からわざわざ起こって正則の手を握った。正則には家康の言葉が、全くのお世辞とは思えなかった。こういう挨拶をされても、当然だという気がした。石田三成が挙兵した報を家康がうけとったのは七月二十四日、対上杉戦のため、野州小山に出陣したときである。家康はこの飛報のあることを予期していたので、すぐに軍を返して西上することにした。 | |
作品分類 | 小説(短編・時代) | 15P×1000=15000 |
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