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松本清張_大黒屋 彩色江戸切り絵図(第一話)

〔(株)文藝春秋=全集9(1972/10/20):【彩色江戸切絵図】第一話〕

No_1116

題名 彩色江戸切絵図 第一話 大黒屋
読み サイシキエドキリエズ ダイ01ワ ダイコクヤ
原題/改題/副題/備考 ● シリーズ名=彩色江戸切絵図
●全6話=全集(6話)
1.大黒屋(1115)
2.大山詣で(1117)
3.山椒魚(1159)
4.
三人の留守居役(1119)
5.
蔵の中(1120)
6.女義太夫(1121)
本の題名 松本清張全集 24 無宿人別帳・彩色江戸切絵図/紅刷り江戸噂【蔵書No0134】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1972/10/20●初版
価格 880
発表雑誌/発表場所 「オール讀物」
作品発表 年月日 1964年(昭和39年)1月号~2月号
コードNo 19640100-19640200
書き出し 文久二年正月一五日の八ツ(午後二時)ごろのことだった。日本橋堀江町の通りを二十七,八くらいの職人風な男が歩いていた。この辺りは焼芋を売る店が多い。その匂いが寒い風に混じって流れていた。この焼芋屋は冬の間だけで、春になるとすべて団扇屋に早替わりする。役者の似顔絵の団扇も、この堀江町から売出されたものだ。秋風が立つと団扇が駄目になるので、団扇が焼芋屋に早替わりするわけである。また、この辺りには穀物問屋がならんでいる。職人がふと足を停めたのは、それほど大きくない穀物問屋の店から、三十一,二くらいの大きな男がふらりと出て来たからだった。その男は酒気をおびている。十五日というと、まだ正月気分が抜けずに振舞酒を出すところもあるから、これはふしぎではない。ただ、その職人が男に眼をつけたのは、酔った彼の人相がよくないのと、その男の出ていったあとで四十七,八ぐらいの雇女が塩を撒いていることだった。
あらすじ感想  物語の場所に興味が湧いた。



>日本橋堀江町の通りを二十七,八くらいの職人風な男が歩いていた。
蛇足的研究でも探ってみたが、もう少し深掘りしてみた。



すると、決定的な資料に当たった。場所は、日本橋小舟町付近。
今でも江戸団扇の商いをしている店があるようです。『株式会社 伊場仙』(天正一八年(西暦1590年)創業)




●本題に入ります。
>二十七,八くらいの職人風な男が歩いていた。
職人がふと足を停めたのは、それほど大きくない穀物問屋の店から、三十一,二くらいの大きな男がふらりと出て来たからだった。

職人風の男とは、松枝町に住む惣兵衛という岡っ引きのもとに出入りする幸八という手下だった。
三十一,二くらいの大きな男は、馬道に住む留五郎と言う名だった。

穀物問屋の店から出てきた為五郎の後をつけた。幸八は、一杯飲み屋に入った留五郎に声をかけた。
自らを団扇の職人と名乗った。さすがに岡っ引きの手下だけに、如才なく男に近づき名前や住処を聞き出した。
機嫌の悪い留五郎の居る一杯飲み屋を後にした。
その足で、留五郎が塩をまいて追い出された、大黒屋へ向かった。
塩をまいた雇われ女がいた。大黒屋の主人は常右衛門といったが、主人は留守。おかみさんも留守。
幸八は松枝町に行って惣兵衛に報告した。惣兵衛は「おめいも物好きだな」とあしらわれた。惣兵衛の女房からか小豆粥をごちそうになり事は収まった。

常右衛門は四十二歳になる。女房はすて、三十二、三歳くらい。雇女は、葛飾の在でおくまと言う女で四十八歳。
常右衛門と留五郎は、武州秩父の同郷ということで、大黒屋に、十日に一度くらいやってきていた。
その留五郎が頻繁に大黒屋にやってくるようになった。
常右衛門の女房の「すて」に興味を持ってきたのだ。小銭を貰うことが大黒屋への出入りだったのが、目的は、すてに取って代わった。
すては、亭主の手前もあって邪険にも出来ずに軽くあしらっていたが、その執拗さを迷惑がっていた。
留五郎の口説きが露骨になり、二度三度となって常右衛門に報せるところになった。
>「留の奴も困ったものだ」
なぜか、留五郎に弱みでも握られているのか、はっきりしない常右衛門。
図々しくなってくる留五郎。
酒に酔って大黒屋を訪ねてくる、泊めてくれと常右衛門に頼む。嫌がる女房のすてには、「仕様がないな」と言い留五郎を泊める。

亭主の留守でもかまわず訪ねてきて、泊まらせてくれと上がり込む。
留五郎の狙いは、すてをものにすることだとはっきりしてくる。
すては、居ずまいを直して「...明日からここに来ることをお断りするよ」と言い放つ。
留五郎は、冗談だ冗談と言いながら。
「...だがな、おすてさん、いや、おかみさん、おれのせめてもの楽しみは、この大黒屋の閾を跨ぐことだ。
そいつを断られたんじゃ、おらァ自棄になってどんなことをするかもしれねいぜ」

とうとう脅すようになってきた。
怯えたすては、常右衛門に経緯を話す。
「仕様のない奴だな」相変わらず煮え切らない常右衛門。
すては、二度目の縁づきだった。七年前に亭主に死なれて、小料理屋で女中奉公をしていたが、四年前に常右衛門と一緒になった。
死んだ亭主は身持ちが良くなく、常右衛門は律儀な商人で、すては、仕合わせな境遇だった。

煮え切らない常右衛門だが、決定的な場面を眼にすることになる。
いつものように、酔って大黒屋にやってきて泊めてもらう留五郎。
常右衛門が寝たのを見計らって、留五郎が、すてを手籠にしようとしたのだった。
すての助けを求める声に、襖が開いて常右衛門の姿が現れた。
修羅場だ!...
>自分の上にのしかかた重量が急に取れたのはそのときである。
>留五郎はぱっと蒲団の横から跳び起きた。
>と同時に襖が開いて常右衛門の立姿がのぞうた。
>すてが掛蒲団を身体に巻きつけて俯伏せにかがみこんだのも同時の動作だった。

事の顛末がどうなった記述がない。留五郎もさすがに四,五日は大黒屋に顔を出さなかった。
しかし、常人と違って、人の女房を亭主が寝ている間に手籠めにしようとする男である。
「おい、おかみさんは居るかえ?」女中のおくまに訊いた。
居ないと答えるおくま。常右衛門は、と訊く留五郎に旦那もいないと答える。(実は居たのだが怖がって出てこない)
鼻っ柱が強いおくまに邪険に扱われ、肩を怒らして店を出て行った。その後に塩をまかれる。
話は物語のはじめに戻る。(「大黒屋」書き出し部分/蛇足的研究)

最初に幸八(職人風の男/岡っ引きの手下)が大黒屋から出てきた留五郎を目撃する場面につながる。
留五郎を気に掛けていた幸八は、初めて会った一杯飲み屋で様子を訊いてみた。大黒屋や常右衛門の評判など...
ある晩、幸八がいつもの飲み屋に行くと、店の片隅に留五郎は陣取っていた。
そこへ、横に居た客が留五郎に声をかけた。
「...ひょっとすると、加賀の人じゃねえか」否定する留五郎。そのやりとりを訊いていた幸八は、身分を明かし鳶らしき男に確認をした。
幸八は小豆を買う口実で大黒屋に寄る。
おくまが居たが、留五郎の事を聞いても突っ慳貪で、塩でもまかれそうな勢いだった。常右衛門は留守だという。

ここまでは、幸八の好奇心からの探索と大黒屋の内情である。
話は一気に展開する。留五郎が殺された。

幸八は横山町で、小さな古着屋を営んでいた。春から夏は団扇職人、冬場は焼芋屋ならぬ古着屋だった。
当時の岡っ引きの子分は、それが普通だった。
朝の四ツ(十時)に惣兵衛親分から使いを貰った。
親分の話は、乞食橋の空き地に死体が出た。しくじった幸八は、他の同僚のことを訊いた。惣兵衛は、権太も熊五郎も面を出していると言った
だが、惣兵衛親分はこの話は、幸八でなくては...と。
>「殺された男は、いつぞやおめいが物好きにおれに吹聴していた留五郎だ」
鍬のような物で殴り殺されたようだ。
     >乞食橋の西岸は草地になっている。この乞食橋というのは、常盤橋門から神田橋門に向かう濠端から東に入った濠堀に架かっている。
      >ここは橋が九つ架かっていて、西側から龍閑橋、乞食橋、中の橋、今川橋...
この下りは、落語や講談の口調に似ている。古今亭志ん朝の語りがよみがえるようだ。




幸八の出番だ。
当然のように大黒屋が捜査対象。常右衛門が被疑者といえるだろう。
大黒屋へ聞き込み。おくまが居る。留五郎が殺されたことを教える。幸八は身元を明かして、常右衛門の所在を確かめる。
居合わせた常右衛門が出てくる。四十二,三の痩せぎすの男。
常右衛門は恥を忍んで、留五郎との関わり合いを話す。武州秩父郡横瀬村の在であることも...
信心深い常右衛門は、寺詣りが常だった。本郷の浄験寺、浄土宗の寺。

幸八は、親分の惣兵衛へ報せてから、本郷の浄験寺へ向かう。惣兵衛は、常右衛門と留五郎の出自を洗う。
小僧に「...郷里で死んだおふくろの分骨を...」小坊主は、二つ返事で和尚に訊いてみると、寺の中へ案内した。
和尚には多助を名乗り、大黒屋の名を出して、親の分骨の弔いを願い出た。和尚は、大黒屋の常右衛門をよく知っていた。
いくらかのお布施を包み、改めてお願いに来ますと寺を後にする。
多助を名乗った幸八は、帰り際、送ってくれた小坊主に尋ねた。和尚の名は「雲岳」。納所(ナッショ)の坊さんは「泰雲」と自らは「芳雲」と言った。

惣兵衛は、大黒屋の身辺からも眼を離さなかった。子分たちの報告も、常右衛門は小網町の炭屋に出かけるか、寺詣りだけだった。
常右衛門と留五郎は、武州秩父郡横瀬村の出であることは間違いなかった。ただ、留五郎は一時期加賀の方へ行っていたらしい。

基本的な謎解きはここらで終わっている。
留五郎殺しの下手人に手がかりはないが、常右衛門の関係が怪しい事は明白だ。
幸八の活躍で浄験寺に不信を持つ。
落語で狂言廻しではないが、三題噺のようになる。
(この感想を書いて本文を読み返すと「...まるで三題噺のような謎を胸にたたんで...」の記述を発見する。ただ、お題目違っていた)
【灸・漆・炭屋】
【落ち葉・贋金・鍬】※鍬は贋金造りの地金に使われた。

浄験寺は贋金造りの現場。ネタバレを警戒して最後の謎解きは省略する。

贋金造りは極刑。関係者全員、引き回しのうえ小塚原で斬首になった。浄験寺の小坊主芳雲は、事情も知らず子供だから放免。
打ち首になる前に、常右衛門は呟いた
>『おれたちは二分金を作ったといっても僅かなものだ。お上はもっと大それた贋金を作っていなさる。
>老中をはじめ勘定奉行などが獄門にならねえとは、どうも理窟にあわねいな』

時は文久二年。(1862年)
1月: 幕府老中の安藤信正が襲撃される坂下門外の変が起こる。
2月: 皇女和宮と第14代将軍徳川家茂の婚礼。
2月: 大野佐吉が浅草瓦町(現在の台東区浅草橋)で鮒佐を創業。醤油で煮る現在の佃煮の形を創り上げる。
4月: 薩摩藩の島津久光が上京する。徳川慶喜が将軍後見職に就任する(文久の改革)。
8月: 生麦事件

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前回の紹介作品『中央流沙』で、『ある小官僚の抹殺』を想起したが、今回も同じようなことが起きた。
『大黒屋』は、『鬼火の町』だ!
登場人物を比べてみよう。(共通するであろう、登場人物)
●藤兵衛(岡っ引き)
 お粂(藤兵衛の女房)
 幸太(藤兵衛の手下)
 亀吉(藤兵衛の手下/泥亀)
 伝八(藤兵衛の手下)
 春造(藤兵衛の手下)
 銀五郎(藤兵衛の手下)
●惣六(和泉屋八右衛門の職人/殺される)
●お絹(向両国水茶屋の女/惣六の女)
●円行寺(法華宗)
 住職
 小僧
 納所坊主(了善)

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●蛇足
落語で
留五郎で思い出した。桂枝雀師匠の代表的演目に『代書屋』がある。爆笑ネタで登場人物が「留五郎」
人物像は、清張作品に登場する「留五郎」と落語の登場する「留五郎(松本留五郎)」とは大違い。


2021年07月21日 記 
作品分類 小説(短編・時代/シリーズ) 33P×1000=33000
検索キーワード  文久2年・甲州屋・浄験寺・贋金・穀物問屋・炭屋・団扇・古着屋・堀江町・馬道・乞食橋・加賀・納所・岡っ引き・子分・三題噺
登場人物
常右衛門 四十二歳。大黒屋常右衛門。浄験寺の住職(雲岳)や甲州屋六兵衛らと贋金造り。女房が、留五郎に岡惚れされ困る。
留五郎 三十一,二歳。大黒屋常右衛門らの贋金造りの仲間。武州秩父の在。加賀に行っていたことがある。
常右衛門の女房「すて」に岡惚れして言い寄る。すてを手籠めにしようとして、常右衛門に現場を見られる。殺される。
すて 三十二,三歳。大黒屋常右衛門の女房。二度目の縁づきだった。小料理屋で女中奉公をしていたが、四年前に常右衛門と一緒になった。
留五郎に惚れられ困り果てる。常右衛門の煮え切らない態度にやきもきする。が、常右衛門は律儀な商人で、仕合わせな境遇だった。
おくま 四十八歳。大黒屋の雇われ女。留五郎嫌い、持ち前の気丈夫さで、留五郎に渡り合う。
幸八 岡っ引きの親分惣兵衛の子分。二七,八くらいで、団扇職人。冬場は、横山町で、古着屋を営んでいる。
好奇心お強い男で、それが、事件解決に役立つ。
惣兵衛 松枝町に住む岡っ引きの親分。子分は、幸八、権太、熊五郎
権太 岡っ引きの親分惣兵衛の子分。
熊五郎 岡っ引きの親分惣兵衛の子分。
六兵衛  甲州屋六兵衛。炭屋。大黒屋常右衛門の碁打ち仲間だが、贋金造りの仲間でもあった。
雲岳  浄験寺の住職。大黒屋常右衛門や甲州屋六兵衛らと贋金造りをする。
泰雲 浄験寺の納所坊主
芳雲  浄験寺の納所小坊主。子供のため打ち首は免れ放免。

大黒屋