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松本清張_百済の草 絢爛たる流離(第三話)

No_103

題名 絢爛たる流離 第三話 百済の草
読み ケンランタルリュリ ダイ03ワ クダラノクサ
原題/改題/副題/備考 ●シリーズ名(連作)=絢爛たる流離
●全12話=全集(全12話)
 1.土俗玩具 (1086)
 2.小町鼓 (1087)
 3.
百済の草 
(1088)

 4.
走路 (1089)
 5.雨の二階 (1090)
 6.
夕日の城 (1091)
 7.
 (1092)
 8.
切符 (1093)
 9.
代筆 (1094)
10.
安全率 (1095)
11.
陰影 (1096)
12.
消滅 (1097)
本の題名 松本清張全集 2 眼の壁・絢爛たる流離【蔵書No0021】
出版社 (株)文藝春秋
本のサイズ A5(普通)
初版&購入版.年月日 1971/06/20●初版
価格 800
発表雑誌/発表場所 「婦人公論」
作品発表 年月日 1963年(昭和38年)3月号
コードNo 19630300-00000000
書き出し 伊原雄一は昭和十×年の春に、新妻寿子を伴って朝鮮全羅北道金邑の鈴井物産工業所に赴任した。金邑は南朝鮮の西側で群山の南に当たっている。この辺は南朝鮮の穀倉地帯といわれるほど平野が開けている。汽車は木浦から群山の近くに至る湘南線を走っている。金邑は人口三万の小都市だった。広い平野でも東側は山になっていて、そこに母岳山と呼ばれる丘陵がある。この西麓地方は有名な産金地で、付近の金溝里、院坪里間の段階地と広い平地は多量の砂金を含んで、近年鈴井物産が砂金の浚渫機を使用して採取しつつあった。伊原雄一はその技師として転任したのである。伊原夫婦は金邑の社宅に入った。社宅は市街地から少し離れて、ポプラの並木の続く田圃を見晴らす場所にあった。鵠の群がよく田圃に降りる。
あらすじ感想    三カラット純白無垢 ファイネスト・ホワイト。丸ダイヤ。プラチナ一匁台リング。
昭和十×年二月二十三日、東京都麻布市兵衛町××番地谷尾妙子の妹淳子ヨリ買取ル。
谷尾妙子ハ喜右衛門ノ長女デ、彼女ノ不慮ノ死ヲ新聞記事デ読ミ、直チニ同家ニ赴キ、先年喜右衛門氏ノ長女ニ売リタル
右ダイヤノ譲渡如何ノ意ヲ尋ネル。妙子ノ妹淳子夫婦ハ売却了承シ、九千八百円ニテ買取ル。淳子ハ少々安イトイウ。
一ヵ月後、東京青山高樹町××番地大野木保道氏ニ之ヲ売ル(一万三千二百円)
大野木氏は鈴井物産株式会社重役ニテ、コノ度、愛娘寿子ノ結婚ノ記念ニ与エルト云ウ。
寿子ノ夫、伊原雄一ハ同社ノ技術課員ニテ、東京帝国大学工学部卒。近ク同社経営ノ朝鮮全羅北道金邑ニアル
鈴井物産鉱業所ノ技師トシテ赴任スル由。

(宝石商 鵜飼忠兵衛ノ手記ヨリ)


三カラットのダイヤは、再び宝石商に戻り、大野木(伊原)寿子(ヒサコ)に渡る。
鈴井物産に勤める伊原雄一は、朝鮮全羅北道金邑の鈴井物産鉱業所へ新婚の妻、寿子(ヒサコ)を伴って赴任した。
戦時下であったが、恵まれた新婚生活をスタートさせていた。
そんな二人にも戦火の影響が忍び寄っていたのだ。戦況は、客観的に見れば敗戦が濃厚な局面にさしかかっていた。
朝鮮人の態度からも不安を感じていた寿子(23歳)は、伊原雄一にその不安を兵隊に召集されたら...と話す。
雄一は、「まさか」と答えつつ真っ向からは否定しなかった。
もしもの時は、「がらくたを売っても仕方がないから...お父さんから貰ったダイヤの指輪でも出すんだな。
あれだったら、二、三年は君一人で食いつなげるだろう」と雄一は、言った。

悪い予感は、的中した。赤紙は京城竜山部隊への招集だった。
歩兵の教育を終えた雄一は、衛生兵として部隊に移されるが、外部との接触は禁止され、妻との面会もかなわなかった。
しかし、雄一の部隊は京城から、全羅北道金邑へ移動することになる。地元に帰るのだ。
外出の自由は無いが期待は膨らむ。

或る日、雄一は思いがけない兵隊と出会う。
>「伊原技師さん」と小さく声をかけられた。
軍曹の襟章をつけた高杉卯三郎だった。高杉は鉱業所では、伊原の部下だった。
「やあ、君か」と言いながら、襟章から高杉のの階級に気がついた。
「少しも気がつきませんでした」
「ぼくは、いま、被服係をしていますから、暇のときは遊びに来て下さい。甘味品や煙草ぐらいは自由になりますから」
伊原雄一にとっては、地獄に仏だった。

下士官である高杉は公用証で比較的自由に外出が出来る。
伊原は高杉に、外出時に妻の寿子へすぐ近くの兵舎に居ることを伝えてくれと頼む。
自分の居場所すら妻に伝えることの出来ない伊原に同情したのか、高杉は引き受ける。翌晩にそれは実現する。
伊原の住まいである社宅、今は寿子だけが住んでいる社宅に出向いた高杉。
突然の来訪者を夫と間違える寿子だったが、高杉が名乗り、事情を聞いて納得する。
高杉も寿子の美しさに感心した。このこと以前にも、以後にも、寿子の美しさはことあるごとに強調される。
高杉は、帰りがけに柳原高級参謀に遇う。これがすべての始まりと言っても良いだろう
高杉は、伊原に寿子に会ったことを話す。
心を躍らせ外ばかり眺めている伊原雄一のところへ、柳原高級参謀の当番兵が尋ねてくる。
>「こちらに伊原二等兵はいるかい?」
>「柳原高級参謀からのお言葉だが、柳原参謀殿はおまえの家に世話になっている。それが昨夜分かったので、参謀殿は
>そう言ってくれと自分に言われたのだ」ととりつだ
>「つまり、娑婆で言えば、いろいろお世話になってありがとう、いうわけだな」
>老上等兵は黄色い歯を出して笑った。
当番兵は、中田と名乗った。
寿子が高杉から夫の居場所聞き、そのことを柳原参謀に話したのだろう。
柳原参謀の知るところになり、柳原参謀の当番兵である中田上等兵が、使者となり伝えを聞いた。伊原が知ることになった。
なぜ、柳原参謀が伊原家に世話になっていることを、わざわざ伊原に知らせたのだろうか?

柳原参謀は、三十五歳、姫路の出身。関西訛り。陸士出身の現役ばりばり。
小肥り、戦闘的な眼がけいけいとして輝いていた。他の召集将校たちに畏怖されていた。
かなり詳しい描写がされている。
寿子は内地から連れてきた、ばあやと暮らしていた。
伊原は、高杉に中田上等兵の訪問を話した。「へえ、そうですか」と高杉も驚いていた。そして
>「それで、お宅には奥さんお一人ですか?」
この言葉の意味を理解した伊原は、はっとした眼になり暗い顔に変わった。
伊原にとっては、耳の遠いばあやが唯一のたよりと言うことだ。
伊原は悶々として生活しなければならなくなった。気をつけて表を見るが、妻の寿子が通りかかることは無かった。
伊原は儚い希望を妄想した。柳原参謀の好意で外出が許可されるのではないか...
妄想は妄想に過ぎない、その妄想は、伊原が柳原参謀に憎しみを持つ方向へと変化する。
朝礼で柳原参謀を見るにつけて憎しみを増幅させるのであった。そんな朝礼が解散した数分の間で中田当番兵の姿を探し
話をすることが出来た。
>「中田上等兵殿」
>「申し訳ないことをお訊ねしますが、家内は元気にしておりますでしょうか」
>「心配はいらぬ」

中田上等兵は、足を曳ずるようにして歩き去った。彼は召集の老兵で、正直そうであった。
ガラス屋の職人、禿げ頭と、皺の多い顔は、当番兵というよりも、高級参謀の爺やという感じであった。
ここでも細かい描写である。

伊原は、柳原参謀が出張中にぶらぶらしている中田上等兵に思い切って頼み事をする。
それは、中田上等兵が好人物であり、伊原雄一に好意的であると感じていたからである。
>「一度、公用腕章を自分に貸していただけませんでしょうか? ほんの一時間ぐらいでよくありますが」
>「ふむ、奥さんに逢いに行くのか?」
>「いいだろう。...」

とてつもない頼み事だと思うが、中田上等兵は、快諾する。中田上等兵は人が良すぎると言うか、作者のご都合か?
ただ、清張は軍隊の経験者だ、このあたりの融通は、軍隊内部でもまかり通っていたのだろう。
伊原雄一は、目的を果たす。
暗い玄関で、軍服の雄一を見た妻寿子は仰天する。雄一の胸にしがみつき、声を放ってないた。
一時間の約束だが、往復の時間もあり、再会は二、三十分で終わりにしなければならなかった。
雄一は聞きたいことがあった。
一つは、寿子が兵舎の周りに顔見せ無いことだった。が、衛兵の巡察で長居が出来なかったとの説明に納得した。
雄一の想像通りだった。もう一つ聞きたいことがあった。それが本当に聞きたいことだった。
参謀が奥の八畳間で寝起きし、寿子とばあやは四畳半で寝ているとの、寿子の説明も、雄一の想像通りだった。
それでも本当に聞きたいことを、躊躇いながらも聞いた。
>「高級参謀殿は、お前に特別な関心を持っていないかい?」
>それを耳にすると、妻は、はっとしたように眼を伏せたが、すぐに彼を熱ぽく見上げて
>「そんなことはありませんわ。そんなつまらないことは考えないで下さい。
>わたしは、どんな場合も、あなたのことを想って身を守っていますから」

伊原雄一は納得したわけではなかった。彼は、柳原参謀が家に戻ってあの八畳間でくつろいでいる場面が見たかった。
中田上等兵の好意も限界があった。見つかれば重営倉ものの行為だった。
そして中田上等兵は、以前のように、視察から戻った参謀の当番兵として専用の任務になった。

「高杉班長殿はおられますか?」
雄一は高杉を訪ねた。「おう、入れ」と答える高杉だが、二人になると鈴井鉱業所時代に戻るのだった。
雄一は高杉に頼み事をした。高杉は快諾した。
中田上等兵にしても、高杉軍曹にしても、伊原雄一にとっては頼りになる好人物だった。一見恵まれた軍隊生活とも言える。
妻に会うことが出来ないこと以外は。

雄一の頼み事をすぐかなえた高杉だが、それからのちも、たびたびやってくる雄一の変化に気づく。
おかしいと感じた高杉は、伊原雄一を問い詰める。
>「もしかすると、僕は転属になるかもしれない」と漏らした。
>「転属?」
>「何となくそんな気がするだけでね」

なかなかはっきりしない雄一は、
>「いや、別にないよ。予感として思うだけで、そりゃない方が一ちばんいいからね。
>ぼくだって死地へ追いやられるのはいやだよ」

二人だけになると、言葉使いはかつての上司と部下になる。
死地と聞いて、さらに気になる高杉だが、新兵の神経衰弱程度に考えて、深くは追求しなかった。
ただ、妻の寿子について、あれだけ外出時に、家によって様子を見てくれるように気にしていた雄一が何も言わなくなったことは
案外だった。高杉はその原因が分からなかった。

柳原高級参謀が母岳山麓の金山寺の境内で死体となって発見された。金山寺は、昔、伊原夫婦が散歩に行ったところだ。
軍服のまま仆れていた。死亡時間は夜八時から十時の間と推定された。
当日の足取りが寿子から語られた。
>「高級参謀さんは、昨夜六時ごろ、馬でお帰りになり、食事を召し上がってくつろいでおられました。すると、八時ごろ、
>司令部から兵隊さんが迎えにみえられましたので、高級参謀さんは又軍服に着替え、その兵隊さんをつれて
>この家を出てゆかれました。...それっきりお帰りが無いので、あのまま司令部にお泊まりだったと考えていました」

迎えに来たのは、いつもの中田上等兵では無かったと証言した。
柳原高級参謀の死は未解決のまま、休止として片付けられた。

柳原高級参謀の後任が赴任してきた。新任の参謀は予備役少佐で柳原少佐より十二歳年上だった。歳以上に老けて見えた。

高杉軍曹は、伊原雄一二等兵と、中田上等兵が、転属になったことを知る。
何の挨拶も無く消えた。そして彼らの行き先が沖縄の部隊だという風聞があった。
高杉は、転属の経緯を調べるが、さっぱり分からなかった。頭の中で考えあぐねていた高杉はあることを思い出した。
それは、伊原雄一の頼み事であった。それは、軍服を一着分くれないかと言う頼み事であった。
さらに思い出すことがあぅた。高杉は以前、公用腕章借りてたびたび家に帰っていると聞かされていた。
今度の一件で、公用証の腕章は中田上等兵から借りていたものだと合点がいった。

高杉の推理が続く。簡単に書いてしまえば
伊原雄一は、妻寿子に軍服を着せて媾曳(アイビキ)をしていたのだ。
柳原参謀は雄一と寿子の媾曳を己の立場で再現しようとした。
高杉の見立ては
柳原高級参謀は、伊原の美しい妻に想いを寄せていた。
禁欲生活の参謀が夫婦の媾曳に気がついていたとしても不思議では無い。
おそらく、寿子に軍服を着させて、金山寺の境内で逢っていたのだろう。
寿子の証言で言う、迎えに来た兵隊さんとは寿子本人で、二人の兵隊(参謀と軍服を着た寿子)は、金山寺へ向かう。
柳原参謀の欲望を満たすために...

結論めいたことは書かれていない、誰が柳原高級参謀を殺したのか?
その方法は...、高杉は想像する。
寺の境内の草を掴んで殺されていたという。(これが、タイトルの「百済の草」の意味か?)
立っているところを刺され、仆れるときに草を掴んだとされていることに疑問を持つ。
>参謀ははじめから草の上に横たわっていた姿勢で刺されたのではなかろうか。
>だから、伊原の妻が隠し持っていた短刀が彼の心臓部に刺さったとき、
>彼は苦しまぎれにそこにある草を掴んだのではないか。----

高杉この想像の意味・内容が理解できない。
   現場に伊原雄一は、居たのだろうか?
   が後頭部心臓部に刺さった短刀は、参謀の正面から刺したことになる。
   参謀が寿子に覆い被さろうとしたとき、下から短刀を突き刺したのか?  相当の返り血を浴びてはいないか?
   いや、仰向けに倒れいた参謀を上から刺したのだろう。
   なぜ仆れていたのか? 現場に居た伊原雄一が後頭部を殴打した?(致命傷は心臓に達した殺傷)

なにぶん。検死は、駐留憲兵隊と軍医が行っている。

公用証の腕章を伊原雄一に貸すという軍規に違反した中田上等兵は、伊原雄一と共に沖縄に転属になった。
ここで疑問だが、被服係の高杉軍曹は伊原雄一へ軍服を渡したことは咎められなかったのか?知られなかったのか?
さらに、最初に思わせぶりに書かれていた伊原雄一の妄想と言うべきかも知れないが、妻寿子と柳原参謀の実際の関係も
書かれていない。何も無かったのだろ。が、なぜ、わざわざ伊原に知らせたのか?
深読みだが、中田上等兵は参謀と寿子の関係(参謀の一方的な感情かも知れないが)を懐疑的に見ていたのでは無いだろうか
確証は無いまでも、伊原雄一に同情的だったのでは...

高杉は、ほこりっぽい被服庫の中から朝鮮の空を眺めながら、文字通り「死地」へ送られた二人を思う。
誰が二人を転属させたのだろうか? 柳原参謀は当然転属を考えていただろうが、彼の死後は...
おそらく司令部の誰かが事件の真相を知っていて、転属させ事件の跡形を消し去ったのだろう。
転属兵とは言え、囚人でもあった二人は護衛付きで沖縄へ送られたのだろう。

高杉は、伊原が停車場に向かって歩きながら、妻のいる社宅を何度も振り返って歩いている姿が眼に泛ぶのであった。

伊原雄一は、ともかく、中田上等兵は、いわば伊原に関係したためにとばっちりを受けた結果の「死地」へ転属なのだ。
好人物の中田上等兵の心境や如何に。と、思った。

当初、時代設定は違うが「嫉妬」・「妄想」をキーワードとして考えたとき、疑惑 (紹介作品No079)を想起した。
内容的には少し違った。


2018年12月21日 記
作品分類 小説(短編/連作) 19P×1000=19000
検索キーワード 鉱業所・社宅・朝鮮全羅北道・京城・高級参謀・部下・軍服・公用証・弁護士・金山寺・当番兵・媾曳・転属・死地
登場人物
伊原 雄一 鈴井物産の朝鮮の鈴井鉱業所の技師。帝大卒で重役の娘を嫁に迎え将来を嘱望されている。二等兵。
伊原 寿子 大野木寿子。伊原と結婚して朝鮮に渡る。鈴井物産の重役大野木保道の娘。評判の美人。23歳。
高杉 卯三郎 軍曹で被服係。兵隊に召集される前は鈴井鉱業所で伊原雄一の部下だった。何かと伊原に親切にする。
柳原高級参謀 三十五歳、姫路の出身。関西訛り。陸士出身。小肥り、戦闘的な眼が輝いていた。他の召集将校たちに畏怖されていた。
中田上等兵 召集の老兵で、正直そうであった。ガラス屋の職人、禿げ頭と、皺の多い顔。当番兵、高級参謀の爺やという感じであった。
ばあや 伊原家に寿子と暮らす。少し耳が悪い。寿子と共に朝鮮に来る。

百済の草