研究室_蛇足的研究

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2025年10月21日


清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!




研究作品 No_174
乳母将軍

シリーズ作品【大奥婦女記】の第一話

お福が竹千代の乳母になったのは二十六の歳であった。竹千代は徳川二代将軍秀忠の長子である。家康は駿府城ではじめてお福を引見したとき、「そちは亭主と何ゆえ別れたのじゃ?」と訊いた。●蔵書【松本清張全集 29 逃亡・大奥婦女記】●「新婦人」1955年(昭和30年)10月〜1956年(昭和31年)12月
〔新婦人〕
1955年(昭和30年)10月〜1956年(昭和31年)12月


お福が竹千代の乳母になったのは二十六の歳であった。竹千代は徳川二代将軍秀忠の長子である。家康は駿府城ではじめてお福を引見したとき、「そちは亭主と何ゆえ別れたのじゃ?」と訊いた。お福は頭を下げたままだったが、少しもわるびれない声で、「稲葉に不埒な所業がござりましたゆえ」と答えた。十五人の妾をもっている家康は苦笑した。お福の亭主稲葉正成はもと小早川家の臣であったが故あって浪人していた。その生活の中で女中に手をかけた。お福はそれを知って怒り、正成の哀願もきき入れず四つの子と生まれたばかりの嬰児を置いて婚家先をとび出したのであった。家康は退ってゆくお福の姿を見送って、傍に控えている執事の本多上野の介正純に、「あれ見たか。強い眼をもった女子じゃ。さすがは斉藤内蔵助の女ほどあるわ。竹が乳母には又とあるまい」と満足そうに云った。竹とは孫竹千代のことである。
家康が、お福と会った時の話で始まる。
書き出しの数行で関係者の人間関係が書き尽くされている感じがする。
家康=将軍
お福=稲葉正成の元妻。「稲葉に不埒な所業があり」別れた。四つの子と嬰児がいる。
稲葉正成=小早川家の臣。お福と夫婦だったが、女中に手を付け、お福の怒りを買って別れる。
本多上野の介正純=家康の側近
斉藤蔵之介=斉藤利三、内蔵助と称する。春日局の父。初め稲葉良通(一鉄)に仕え,のち伯父に当たる明智光秀に仕えた。


家康は、お福を竹(竹千代)、家康の孫、後の家光の乳母にした。
諸説在るようだが
福は、将軍家の乳母へあがるため、夫の正成と離婚する形をとった。慶長9年(1604年)に2代将軍・徳川秀忠の嫡子・竹千代(後の家光)
の乳母に正式に任命される。

参考:徳川幕府歴代将軍:徳川将軍一覧 - Wikipedia




●雑誌「新婦人」