研究室_蛇足的研究

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2021年12月21日


清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!




研究作品 No_125
駅路

小塚貞一が行方不明になったのは秋の末であった。家を出るときの様子は、簡単な旅行用具を持っただけで、べつに変わったことはなかった。この年の春、小塚貞一は、某銀行営業部長を停年で退職した。その骨休めというか、しばらく東京を離れて遊んで来る。と家人に云い遺している。●蔵書【松本清張全集 37 装飾評伝・短編3】:「サンデー毎日」1960年(昭和35年)8月7日号
〔サンデー毎日〕
1960年(昭和35年)8月7日号



小塚貞一が行方不明になったのは秋の末であった。家を出るときの様子は、簡単な旅行用具を持っただけで、べつに変わったことはなかった。この年の春、小塚貞一は、某銀行営業部長を停年で退職した。その骨休めというか、しばらく東京を離れて遊んで来る。と家人に云い遺している。前から旅行は好きな方だったので、家の者も不審がらなかった。行き先は決まっていず、帰りの日も予定がなかった。いつも彼の流儀だった。家庭には、妻の百合子との間に二人の男の子がある。長男は官庁の役人で、これは去年結婚したばかりで、別に家を持たせていた。だから家には、今年、大学を卒業して或る商事会社に就職した次男が残っているだけであった。所轄署に、小塚貞一の家出人捜査願が妻の百合子から出されたのは、夫が旅行に出かけて三十日ののちだった。
週刊誌に発表された短編の作品。
「駅路」で「エキロ」と読ませる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
駅路(えきろ)とは、古代律令制において定められた駅使が通行する官道のこと。
七道駅路(しちどうえきろ)ともよばれる。駅・駅馬(えきば/はゆま)が整備された(駅制)。
中央もしくは国府が発給した駅鈴を携行する駅使のみが駅馬を用いることができた。

都と大宰府及び五畿七道の国府とを結ぶ迅速な情報伝達を目的とする道路網であり、
中央政府の命令・地方国司の報告・緊急事態の文書連絡は、駅使がこの道を用いて駅馬を乗り継ぎ文書を運んだ。
都から放射状に道路が整備されたが、五畿七道を跨いだ国府間を連絡する道も整備された。
考古学調査の成果によれば、その幅は最小で6メートル (m) 程度、最大では30 mを超えていたことが判明している。
また、直線道路という特徴も持っていた。後世の街道も駅路に由来を持つものがある。

●コトバンク【精選版 日本国語大辞典「駅路」の解説】
@ 駅から駅へ通じる道。宿駅のある道路。うまやじ。
A 歌舞伎で、街道など交通関係の場面に使う、駄馬の鈴の音に擬した囃子(はやし)。転じて、この囃子に用いる小道具の称。

タイトル「駅路」は、”うまやじ・えきろ・うまやぢ”等いろいろな読み方があるようだ。
「駅から駅へ通じる道」か、「駅から家までの道」程度に考えていたが、深い意味がありそうだ。
●駅路一覧
東海道
東山道
北陸道
山陰道
山陽道
南海道
西海道


主人公だろう、「小恍蛻黶vの失踪から話は始まる。
銀行を定年まで勤め上げ、二人の子供も立派に成長し、一人は結婚し独立。もう一人は今年就職が決まったばかり。
悠々自適かどうかは別にして、不安の無い老後が待っている生活環境である。
失踪は、事件に巻き込まれた結果なのか、自らが択んで行方をくらましたのか?

背後に女関係か?
銀行を定年退職しているので、使い込みとか横領が頭に浮かぶが、無事定年退職を迎えているようなので、そちらはなさそうだ。
やっぱり女か?