研究室_蛇足的研究

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2021年02月20日


清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!




研究作品 No_114
土偶
(シリーズ作品:死の枝 第十一話(原題=十二の紐))

汽車の中は立っているだけがやっとだった。●蔵書松本清張全集 6 球形の荒野・死の枝:「小説新潮」1967年(昭和42年)12月号
〔小説新潮〕
1967年(昭和42年)12月号



汽車の中は立っているだけがやっとだった。ほとんどが買出し客か米のヤミ商人だった。時村勇造と英子のように発車前から座っていないと、座席に腰を下ろせる状態ではなかった。それも十時間近く乗りつづけてきた。駅からやっと出たとき勇造は、まだ自分の身体でなかった。手枷足枷で閉じこめられたものが俄に解放されたら、こういう気持ちになるだろう。身体に感覚がなかった。立ちつづけも辛いが、座ったまま身動きできないというのも責苦である。駅前からは、今度は立ちづめのバスに乗った。まだタクシーはなかった。ハイヤーでもタクシーでもそこにあったらどんな高い料金でも出すところである。金はふんだんに持っていた。古いバスは長いこと傷んだ道路を走った。坂道にかかると、渓流が横手に見えるのだが、立っているのが精いっぱいでは窓からのぞくどころの算段ではなかった。バスも買出し客でいっぱいだった。目的地の温泉の町に降りたとき、もう一度人心地が戻るのに時間がかかった。
戦後間もない時期の話のようだ。
まだタクシーはなかった。戦後なので、おそらく昭和24年頃の話だろう。(以下参照
>ハイヤーでもタクシーでもそこにあったらどんな高い料金でも出すところである。金はふんだんに持っていた。
「金はふんだんに持っていた」とは恐れいいる。清張作品に主人公として登場する人物としては異色だ。
時村勇造と英子は夫婦なのか、主人公かどうかも分からない。
目的地が温泉町とはヤミで一儲けでもしたのだろう。

駅前から立ちづめで「古いバスは長いこと傷んだ道路を走った。」
そばには渓流が流れている。温泉地の近くではどこでも見られる風景だ。

タクシーの歴史
1912年(明治45年)7月10日、東京市麹町区有楽町(現東京都千代田区有楽町)にタクシー自働車株式会社が設立され、
同年8月15日から本社前でT型フォードを6台使用して旅客営業を開始した。
これが日本における、自動車を使用したタクシーの最初の営業であった。

1945年(昭和20年)迄の間、全国各地で政府勧奨による企業統合が行われる。(いわゆる戦時統合)
各地区の大手タクシー会社は概ねこの時期に成立。
東京では三度に分けて企業合同が行われた結果、大和自動車交通・日本交通(日交)・帝都自動車交通・国際自動車 (km) の4社に集約。
横浜及び川崎は東横タクシー(現 : 神奈川都市交通)に集約。
名古屋は名鉄交通(名タク)・東和交通・名古屋相互交通(現 : 鯱第一交通)の3社に集約。
京都は京都聯合自動車(のちの京聯自動車)・ 京都相互タクシーの2社に集約
(ただし彌榮自動車部傘下の京都タクシーと京都中央自動車は統合に参加せず、1947年彌榮自動車に合併)。
大阪は大阪交通(現 : 国際興業大阪)・相互タクシー・日本交通)・信興タクシー(現 : 未来都タクシー)・
大阪タクシー統制(現:都島自動車)の5社に集約。
神戸は神戸自動車交通(現 : 神姫タクシー)・神戸タクシー合同(現 : 国際興業大阪神戸支店)の2社に集約。
1949年(昭和24年) - 戦時統合以外の新規免許取得会社が登場。