研究室_蛇足的研究

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2021年02月20日


清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!




研究作品 No_112
入江の記憶
(シリーズ作品:死の枝 第九話(原題=十二の紐))

秋の陽が入江の上に筋になって光っている。入江といっても深く入り込んでいるので、こちら側から対岸を見ると広い川のようだった。●蔵書松本清張全集 6 球形の荒野・死の枝:「小説新潮」1967年(昭和42年)10月号
〔小説新潮〕
1967年(昭和42年)10月号



秋の陽が入江の上に筋になって光っている。入江といっても深く入り込んでいるので、こちら側から対岸を見ると広い川のようだった。狭い海峡のようにも見える。対岸に特徴のない山が同じ高さで横にのびていた。森もあれば、段々畠もあった。段々畠はこちら側の丘のほうが多い。瀬戸内海の風景として格別珍しいことではなかった。だが、段々畠も近ごろは観光の対象となる。対岸の右手、入江の奥には不似合いなくらい大きなホテルも建っている。旅館が七軒、まだ建築中のが一軒見える。こちら側にも小さい旅館が三軒あった。もともと古い湊であった。潮待ちの湊として奈良朝のころから知られた。室町時代には遊女の湊であり、羇旅の歌に詠みこまれている。早くから港としての機能を失い、町も廃れたのも同然になったが、五,六年前からは観光ブームの余波をうけるようになった。歴史のある湊、古歌に詠まれた湊というので瀬戸内海めぐりの立寄り先となった。山陽本線から支線で少しは入り込むのが難だが、遊びの旅なら苦にもならない。
場所は簡単に特定できそうだ。
「山陽本線から支線で少しは入り込むのが難だが、遊びの旅なら苦にもならない」
呉線か宇野線
たぶん、呉線で、鞆の浦だろうが、いろいろな場所を組み合わせていることも考えられる。

「入江の記憶」とは、入江そのものの記憶なのだろうか?
書き出し部分は、かなり詳しく入江の風景を描き出している。

※「羇旅の歌」(キリョカ)
古今和歌集
巻九 羇旅歌
0406, 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも, 安倍仲麻呂.
0407, わたの原 八十島かけて こぎいでぬと 人には告げよ 海人の釣り舟, 小野篁.
0408, みやこいでて けふみかの原 いづみ川 川風寒し 衣かせ山, 読人 ...
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※福山市のホームページ
福山駅から南へ14kmの瀬戸内海沿岸のほぼ中央に位置する鞆の浦。 古くから潮待ちの港として栄え、万葉集にも詠まれています。






●瀬戸内海の潮待ち湊