研究室_蛇足的研究

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2015年05月21日

清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!


研究作品 No_066

 【予言僧


研究発表=No 066

【予言僧】 〔新婦人/大奥婦女記 第四話〕 
1955年(昭和30年)10月〜1956年(昭和31年)12月


晴れた秋の日、おだやかな陽射しが京の仁和寺の境内にひろがっている。睡くなるような懶いあかるさである。お玉は母と一しょに歩いていた。(株)文藝春秋『松本清張全集 29 逃亡・大奥婦女記』 初版1973/06/20より

晴れた秋の日、おだやかな陽射しが京の仁和寺の境内にひろがっている。睡くなるような懶いあかるさである。お玉は母と一しょに歩いていた。幼い彼女にも、そとの明るさから急に暗いお堂の中に入ったので、夜のように足もとが見えなかった。気付けてや、危いえ、と母がきれいな京訛で注意して手を引いてくれた。それから明るい座敷に座っていた。母が若い僧と話をしていた。出された茶菓子をお玉はたべていた。その僧が、ふとお玉の方を向いて、おいでおいでをした。眉の濃い、唇の赤い青年の伴僧であった。お玉は少し怕いと思ったが、母が微笑しているので、思い切ってすすんだ。僧はお玉の顔を近々と穴のあくほど見つめた。その鋭い眼の光りにお玉はまた怕くなった。若い僧はお玉の頭を撫でてから、母に向かっていった。「私はこの頃、人の相を見ることを習っていますが、いまお嬢さんをの顔を見ると、まことに不思議なことがあるものです。この相は後々には威勢天下にならぶもののない、申さば将軍の母君ともなられる吉兆が見うけられます。しかし、町家の八百屋のお子さんがそのような身分になられるわけはないから、わたくしの占いの勉強が至らぬ故かも知れません。が、どうも不思議です。わたくしには見れば見るほどそう映るのですが」若い僧はしきりと首を傾けていた。

                   研究
●シリーズ名=大奥婦女記
●全12話=全集(12話)
 1.
乳母将軍
 2.
矢島の局の計算
 3.
京から来た女
 
4.予言僧
 5.
献妻
 6.
女と僧正と犬
 7.
元禄女合戦
 8.
転変
 9.
絵島・生島
10.
ある寺社奉行の死
11.
米の値段
12.
天保の初もの


予言は的中するのか?
「私はこの頃、人の相を見ることを習っていますが、いまお嬢さんをの顔を見ると、
まことに不思議なことがあるものです。この相は後々には威勢天下にならぶもののない、
申さば将軍の母君ともなられる吉兆が見うけられます。...」


母と連れだって「仁和寺」を参詣した「お玉」は、若い僧に告げられる。
お玉は町屋の八百屋の子。
若い僧は何者?
話はお玉が中心なのか、それとも若い僧なのか?


●仁和寺
仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院。
山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。
「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。
皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、出家後の宇多法皇が住したことから、
「御室御所」(おむろごしょ)と称された。
明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、
「旧御室御所」と称するようになった。
御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。
徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。
当寺はまた、宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもある。     (Wikipediaより)

「仁和寺にある法師」の話
関係あるのだろうか?