研究室_蛇足的研究

紹介作品・研究室:完成登録

2015年03月21日

清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!


研究作品 No_065

 【栄落不測


研究発表=No 065

【栄落不測】 〔キング〕 1956年4月号

常憲院殿(五代将軍綱吉)御実記巻七の天和元年正月の項に、○十一日、具足の御祝恒例のごとし。この日、小姓喜多見若狭守重政六千八百石加味ありて万石の列に加へ給ふ。(株)光文社(光文社文庫)『松本清張 短編全集 05 声』 初版2009/01/10より

常憲院殿(五代将軍綱吉)御実記巻七の天和元年正月の項に、○十一日、具足の御祝恒例のごとし。この日、小姓喜多見若狭守重政六千八百石加味ありて万石の列に加へ給ふ。
という記事がある。
喜多見重政は三千二百石の旗本から一躍一万石の大名に取り立てられて、お側衆の上座を仰せつけられた。しかも、めでたい具足の式日、綱吉から直々の言葉であった。
重政にどれほどの功労があったか。世は泰平であって、むろん戦場での功名ではない。お小姓として綱吉の側近に仕えてはいたが、一ぺんに六千八百石も加増になるほどの抜群の成績があったものでもない。だから当日、恒例の連歌のあったすぐあとで、綱吉からこの沙汰の披露があったとき、列座の人々で驚かぬものはなかった。大老堀田正俊までが綱吉の言うのを聞くまでは全然知らなかったのである。

                   研究
という表記は誤りらしい。実が正しいようだ。
歴代将軍の諡号を冠して、それぞれの将軍に関する記録を『東照宮御実紀』『台徳院殿御実紀』…と称する。『徳川実紀』というのはそれらをまとめた総称・通称である。
常憲院殿御実紀は徳川綱吉の記録「59巻/(附録3巻)」

徳川 綱吉
徳川 綱吉(とくがわ つなよし)は、3代将軍・徳川家光の四男として江戸城に生まれる。
幼名は徳松(とくまつ)。
生類憐れみの令が有名。綱吉の身長が124センチだったと言われるが?

喜多見 重政
喜多見 重政(きたみ しげまさ)は、徳川綱吉の側用人。武蔵国喜多見藩主。
綱吉の寵愛を受けて大名に取り立てられたが、すぐに改易された。
(改易:身分を剥奪し所領と城・屋敷を没収すること。)

堀田 正俊
堀田 正俊(ほった まさとし)は、江戸時代前期から中期の大名。
江戸幕府の老中・大老。上野安中藩主。後に下総古河藩の初代藩主。
正俊系堀田家初代。

喜多見 重政の出世物語か?
具足の式日とは?正月の11日、鏡開き?
めでたい日に、お披露目されるが後に、改易がまっている。
題名の「栄落不測」とは、「栄落」(栄枯盛衰)は予測できないこと、とでも言えばよいのだろうが、
四文字熟語としては無かった。


※参考
【徳川実紀】
成書例・総目録           −1巻
東照宮御実紀  徳川家康の記録−10巻/(附録25巻)天文19年〜弘治元年欠
台徳院殿御実紀 徳川秀忠の記録−60巻/(附録5巻)
大猷院殿御実紀 徳川家光の記録−80巻/(附録6巻)
厳有院殿御実紀 徳川家綱の記録−60巻/(附録2巻)
常憲院殿御実紀 徳川綱吉の記録−59巻/(附録3巻)
文昭院殿御実紀 徳川家宣の記録−15巻/(附録2巻)
有章院殿御実紀 徳川家継の記録−15巻/(附録1巻)
有徳院殿御実紀 徳川吉宗の記録−62巻/(附録20巻)
惇信院殿御実紀 徳川家重の記録−31巻/(附録1巻)
浚明院殿御実紀 徳川家治の記録−55巻/(附録3巻)