研究室_蛇足的研究

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2014年06月30日

清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!


研究作品 No_061

 【遭難(黒い画集:一話)


研究発表=No 061

【遭難】 〔週刊朝日〕 1958年10月5日〜12月14日号

鹿島槍で遭難(R新聞九月二日付)A銀行丸の内支店勤務岩瀬秀雄さん(二八)=東京都新宿区喜久井町××番地=は八月三〇日友人二名と共に北アの鹿島槍ヶ岳に登ったが、霧と雨に方向を迷い、北槍の西方牛首山付近の森林中で、疲労と寒気のために、三十一日凍死した。(株)文藝春秋『松本清張全集4』 黒い画集 初版1971/08/20より

1 鹿島槍で遭難(R新聞九月二日付)A銀行丸の内支店勤務岩瀬秀雄さん(二八)=東京都新宿区喜久井町××番地=は八月三〇日友人二名と共に北アの鹿島槍ヶ岳に登ったが、霧と雨に方向を迷い、北槍の西方牛首山付近の森林中で、疲労と寒気のために、三十一日凍死した。同行の友人は、冷小屋に救援を頼みに行ったが、同小屋に泊まっていたM大山岳部員が、一日朝救助におもむいた時は間に合わなかった。 2 (この一文は、岩瀬秀雄の遭難の時、同行していた浦橋吾一が山岳雑誌『山嶺』十一月号に発表した手記である。浦橋吾一は岩瀬秀雄と同じ勤め先の銀行員で二十五歳、岩瀬よりやや後輩で、本文中に名の出る江田昌利は三十二歳、同銀行支店長代理である。この三人が八月三十日に鹿島槍ヶ岳へ登った) 鹿島槍に友を喪いて 浦橋吾一   私が江田昌利から鹿島槍行を進められたのは七月の終わりであった。江田氏はS大当時、山岳部に籍を置いていて、日本アルプスの主要な山はほとんど経験ずみだし、遠く北海道や屋久島まで遠征したことのある、わが銀国内きっての岳人だった。これまで江田氏に指導されて山登りが好きになった行員はずいぶんいる。「岩瀬君が行きたいと言っている。二人だけではつまらないから、君を誘ったのだ」江田氏は私に言った。休暇の都合や、山登りに興味のない者を除くと、私だけということになった。職場では仕事の関係で夏季休暇を代わりあってとっていたが、江田氏も岩瀬君も私も、係りが違うので偶然にいっしょに休暇がとれることになったのである。

                   研究

                


珍しく登場人物が最初から説明されている。人間関係も簡単ではあるが一通り書いてある。

岩瀬秀雄:遭難
浦橋吾一:山岳雑誌『山嶺』十一月号に手記を発表。
       岩瀬秀雄と同じ勤め先の銀行員で二十五歳、岩瀬よりやや後輩。
       江田昌利から鹿島槍行を進められたのは七月の終わりであった。
江田昌利:三十二歳、銀行支店長代理。
      S大当時、山岳部に籍を置いていて、日本アルプスの主要な山はほとんど経験ずみ

「岩瀬君が行きたいと言っている。二人だけではつまらないから、君を誘ったのだ」江田氏は私に言った。休暇の都合や、山登りに興味のない者を除くと、私だけということになった。

浦橋の手記は「遭難」をどう語っているのだろうか?三人での登山は岩瀬の遭難を予告している。
江田の誘いの言葉が気になる。