研究室_蛇足的研究

紹介作品・研究室の倉庫

2013年4月24日

清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!


研究作品 No_054

 【雀一羽


研究発表=No 054

【雀一羽】 〔小説新潮〕 1958年1月号

元禄年間のことである。内藤縫殿忠毘は御書院番士で、五百石を領する旗本であった。性来、木訥で実直である。 (株)文藝春秋『松本清張全集37』●初版1973/02/20より

元禄年間のことである。内藤縫殿忠毘は御書院番士で、五百石を領する旗本であった。性来、木訥で実直である。常から忠勤を励んで、少しくらいの病気では欠勤したことがない。いかにも御役目大事と謹直に出てくる。いつぞや瘧を患った時などは、熱のある赭い顔をして押して出て来て、皆を愕かしたことがあった。組頭はもとより、相番の者にも受けがよかった。営中の虎の間、柳の間、玄関前、中雀門、番所といった受けもちの場所を丹念に見廻りし。少しの懈怠が見えない。のみならず、新参の者には殊のほか親切に世話した。えてして古参の者は新参の輩に意地悪く当たり勝ちであるが、内藤縫殿に限って誠に行き届いた指導をするのである。自然と人々は縫殿を尊敬するようになった。縫殿は人望を蒐め、上からも属目されて次第に加増され、元禄七年の春には石高千二百石、御書院番組頭に挙げられ、布衣(六位)を仰せつけられた。

                   研究
順風満帆の人生を歩む内藤縫殿忠毘(ないとうぬいただあつ)。
このままでは事件は起きない。
頃は元禄...
1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。

何とも手がかりのない書き出しであるので、元禄の出来事を列挙してみる。

元年
1月、井原西鶴が「日本永代蔵」を刊行する。
11月、柳沢吉保が側用人に就任する。

2年
3月、松尾芭蕉と河合曾良が3月27日江戸深川から奥の細道の旅に出る。

6年
12月、新井白石が甲府藩主徳川綱豊(徳川家宣)の侍講となる。

7年
11月、江戸の野犬を中野に設置した犬小屋に収容される。

14年
2月、江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩が高家肝煎・吉良義央に切りつける。

15年
12月、元禄赤穂事件(赤穂浪士の討ち入り)

16年
3月、大石良雄らが切腹する。