研究室_蛇足的研究

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2010年04月18日

清張作品の書き出し300文字前後で独善的研究!


研究作品 No_046

 【陸行水行


研究発表=No 046

【陸行水行】 〔週刊文春〕 1963年12月25日号〜1964年1月6日号

九州の別府から小倉方面に向かって約四十分ばかり汽車で行くと、宇佐という駅に着く。宇佐神宮のあるので有名な町だ。松本清張全集 7 別冊黒い画集・ミステリーの系譜(株)文藝春秋●1972/08/20/初版より

九州の別府から小倉方面に向かって約四十分ばかり汽車で行くと、宇佐という駅に着く。宇佐神宮のあるので有名な町だ。この宇佐駅からさらに北へ向かって三つ目に豊前善光寺という駅がある。そこから南のほう、つまり山岳地帯に支線が岐れていて四日市という町まで行っている。この辺は山に囲まれた所で、さらに南に行けば、九州アルプスの名前で通っている九重高原に至る。四日市の駅で降りると、バスは山路の峠を走るが、その峠を越すと山峡が俄に展けて一望の盆地となる。早春の頃だと、朝晩、盆地には靄が立籠め、墨絵のような美しい景色となる。ここの地名は安心院と書いて「あじみ」と読ませる。正確には大分県宇佐郡安心院町である。正月をすぎたばかりの午後だった。一人の中年男がバスを安心院の町で降り、盆地の縁をなしている西の山の山麓に向かって歩いていた。風采は上がらない。それほど健脚ではないとみえて、ときどき田舎路で休んだ。ただの旅行客なら、こんな場所に来ることはない。といって農家相手の農機具や肥料の外交員でもなかった。

                   研究

>一人の中年男がバスを安心院の町で降り、盆地の縁をなしている西の山の山麓に向かって
>歩いていた。風采は上がらない。

この人物が主人公であろう。
簡潔な文章で状況を説明する。目の前に広がる風景が手に取るように解る。

>芦村節子は、西の京で電車を下りた。ここに来るのも久し振りだった。ホームから見える薬師寺の三重の塔も懐かしい。
>塔の下の松林におだやかな秋の陽が落ちている。ホームを出ると、薬師寺までは一本道である。
>道の横に古道具屋と茶店をかねたような家があり、戸棚の中には古い瓦などを並べていた。
>節子が八年前に見たときと同じである。昨日、並べた通りの位置に、そのまま置いてあるような店だった。
>空は曇って、うすら寒い風が吹いていた。

以上は「球形の荒野」の書き出しである。情景描写が秀逸である。電車を降りて駅前の風景描写
そしてその前方を俯瞰する目線。

「陸行水行」はご存じ「魏志倭人伝」に登場する言葉である。

古代史研究家でもある清張があえて?「陸行水行」と題して書いた小説とは...
>西の山の山麓に向かって歩いていた。

その男は...ここまでで、読者を掴んでいる。


※宇佐神宮

宇佐神宮(うさじんぐう)は、大分県宇佐市にある神社である。全国四万四千社と称する八幡宮の
総本社である。式内社、旧官幣大社。正式名は宇佐神宮だが、宇佐八幡あるいは宇佐八幡宮とも
通称される。