紹介作品 No_114  【土偶】


 死の枝(改題/原題:十二の紐) 第十一話 土偶

紹介作品No 114

【土偶 〔【小説新潮】1967年(昭和42年)12月号〕
汽車の中は立っているだけがやっとだった。ほとんどが買出し客か米のヤミ商人だった。時村勇造と英子のように発車前から座っていないと、座席に腰を下ろせる状態ではなかった。それも十時間近く乗りつづけてきた。駅からやっと出たとき勇造は、まだ自分の身体でなかった。手枷足枷で閉じこめられたものが俄に解放されたら、こういう気持ちになるだろう。身体に感覚がなかった。立ちつづけも辛いが、座ったまま身動きできないというのも責苦である。駅前からは、今度は立ちづめのバスに乗った。まだタクシーはなかった。ハイヤーでもタクシーでもそこにあったらどんな高い料金でも出すところである。金はふんだんに持っていた。古いバスは長いこと傷んだ道路を走った。坂道にかかると、渓流が横手に見えるのだが、立っているのが精いっぱいでは窓からのぞくどころの算段ではなかった。バスも買出し客でいっぱいだった。目的地の温泉の町に降りたとき、もう一度人心地が戻るのに時間がかかった。●蔵書松本清張全集 6 球形の荒野・死の枝:「小説新潮」1967年(昭和42年)12月号

時村勇造と英子は、買い出し客やヤミ商人で混み合う汽車の中に居た。幸い始発時に座っていたのでその分助かった。
しかし、十時間近く乗り続けると、自分お体ではなくなっていた。駅からは立ちづめのバスで移動だ。
ハイヤーでもタクシーでもあれば、金はいくらでも出すと言う心境だった。
ようやく目的の温泉地に着いた。旅館は一見さんお断りで泊まる場所が見つからない。
だが、時村勇造には目論見があった。東京でも勇造の服装は目立った。英子の着物も新しい物で田舎の温泉地の客では相当目立った。
旅館の番頭が断るのも空き部屋がないからで、心残りながら断っていたのだった。
そんな風采の二人連れを旅館では見逃さなかった。
「お米は持っていらっしゃいますか?」と、問うが、金はいくらでも出すと云えば簡単に旅館にありつけた。
旅館が云った値段の倍を出そうというと、下にも置かない扱いを受けることになる。
こんなご時世に「金はいくらでも出す」と言いきる時村勇造の商売は、表向きは「廃品回収業」だった。
その実態は、軍用品の払い下げを扱うブローカーで良品の金属製品など飛ぶように売れた。金は面白いように入ってくる。金銭感覚が麻痺していた。
軍用品のブローカーで一儲けと云えば『遠い接近』を思い出す。
旅館の待遇は大そうなものだった。米は庄内米、魚も川魚アリ、塩釜あたりから運んでくる海の魚。地酒もうまい。
温泉は掛け流し、いつでも入れる状態だった。「まるで極楽」
しかし、そんな環境でも男と女の間には隙間風が吹く。英子には男がいたが、いわば痴話喧嘩で男の話が発端だ。
二日目の晩は背中を向けて寝ることになる。
翌朝、不機嫌な英子を残して、同じように腹を立てていた勇造も気晴らしのつもりか、旅館の周辺に足を向けた。
いつの間にか寂しいうら枯れた野に出た。買い出し客が農家の主婦に邪険にされながらも話しているところがチラチラ見えた。

そんな買い出し客と英子を比べたとき、恁うして東北の温泉地に悠々と遊びに来られる身分は、誰のおかげか!
些細なことで反抗する女の了見の狭さと、その増長が腹立たしかった。

勇造の散歩コースはいつの間にか、野の径に変わっていた。
偶然若い女に出会う。びっくりして立ち止まる女。
勇造は後を付けるではないが、声をかけようとする。女は振り返ろうともせず先を急いでいるのか、足取りは軽やかだった。
「もしもし」勇造は声をかけた。
「もしもし、お嬢さん、ちょっと伺いますがね」
女は足を止めた。
「助けて!」
女の反応は勇造の予想外だった。女は誤解しているのだったが、一目散に逃げ出した。
「誰か来て!」
勇造は自己保身からか咄嗟の判断をした。痴漢に間違えられたらどうしよう。英子も商売も妻も失うことになる。
女に追いついた勇造は、女の口を押さえた。
腕に女の身体の重みを急に感じた。

現場から立ち去る勇造は、若い男に出会う。二十七,八歳。顔の蒼白い、痩せた、ひ弱そうな男だった
「この辺で若い女を見かけませんでしたか?」勇造は知らない、と云った
「ちょっと待って下さい。さっき女の声がしたんですがね」若い男は詰め寄った。
勇造は
「知らないよ」
若い男は勇造の胸を押した。彼は勇造が何無しっていることを確信している風だった。
「待ってください。いま、その辺を見てきますから」
勇造は男の背中に猛然と襲いかかった。

女の死体と男の死体を堆く積まれた落ち葉に隠した。
逃げ掛かった勇造は、若い男のリュックサックが眼に止まった。
リュックサックの中から素焼きの陶片と、新聞に包まれた素焼きの赤い人形が現れた。

十二年経った。
時の流れはあの忌まわしい事件を忘れさせた。英子は恋人が出来て勇造の元を去った。
勇造の会社は繁盛した。闇屋から抜け出し正常な業務をしていた。社名も「総和商事」として、株式会社にした。社会的な地位も出来上がった。
画商や骨董屋が出入りするようになる。
骨董屋の修美堂の番頭から土俗人形を薦められる。
ぎょっとなった勇造。あのリュックサックの中の新聞紙にくるまれた、赤い素焼きの人形を連想させられた。
>「これはハンガリーを中心に栄えたドナウ第二期に属する土偶です。日本には非常に珍しいものですから、
>社長の趣味にはきっと合うと思って持ってきました。」

何も買う必要のないものだった。だが、余計な物を買った。
拒絶できない過去があった。

彼は、その土偶が気になって仕方が無かった。我慢できずに叩き壊し紙袋に入れてよその家のゴミ箱に捨てた。
そんなことがあって二週間。若い考古学者が修美堂の番頭と共に勇造を訪ねてきた。
彼が所蔵している土偶を見せてくれと云うのだ。
土偶は盗まれたと答えた。
「警察に届けていますか?」

盗難の噂はたちまち古美術商の間に広がった。それを聞き及んで警察も訪ねてきた。
それには、「盗られたものは仕方がありませんね」勇造は鷹揚に答えた。
思わぬ綻びが起きる。
近所の主婦がゴミ箱に投げ捨てられた陶片の大きな破片を保存していた。
警官はそれを持って、勇造ではなく、勇造を訪ねた、若い考古学者に鑑定を依頼した。
警察官の推理を笑いながら聞いた考古学者だった、「高価な収集品を自分で壊す者もいないだろう。」が、結論だった。
しかし、どこか引っかかる若い考古学者は、先輩に話した。二人の間では不思議な話だと言うのが結論だった。が、
先輩の考古学者は、思い出した。婚約者の男女が殺害された事件を。殺された男は先輩の考古学者の同僚で、将来を嘱望された考古学者だった。
若い考古学者は捜査精神旺盛な警察官にその話を取り次いだ。

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山形県庄内地方
庄内地方(しょうないちほう)は、庄内平野を中心とした山形県の日本海沿岸地域である。鶴岡市と酒田市が二大都市として並立している。
庄内米は、「つや姫」「雪若丸」「こしひかり」「ひとめぼれ」など

※東北地方の土偶
山形県立博物館

土偶の画像



2021年03月21日 記

登場人物

時村 勇造 勇造の商売は、表向きは「廃品回収業」、実態は軍用品の払い下げを扱うブローカー、ヤミ屋だった。事件後も商売は順調、「総和商事」を設立
英子 間がいたが勇造の金に目がくらんだか、勇造の女になる。後に恋人を作り勇造の元を去る。
若い考古学者 修美堂の番頭の紹介で時村勇造に会う。修美堂が勇造に売った土偶に興味を持っていた。盗まれたと言いながら警察に届けない勇造に疑問を持つ。
若い女(学生/考古学者の連れ) 学生。考古学者の助手か?温泉地の裏山で発掘調査? 誤解かららか時村勇造に殺される。
若い男(考古学者)   二十七,八歳。顔の蒼白い、痩せた、ひ弱そうな男。考古学者学生の助手と発掘調査中? 連れの女が殺され、その隠蔽のために殺される
先輩考古学者 若い考古学者の先輩。将来を嘱望されていた同僚が殺された事件と、若い考古学者の話を結びつける。
修美堂の番頭  時村勇造の会社(総和商事)へ出入りする骨董商。社長の時村に土偶を売りつける。若い考古学者を時村に紹介する。 
警察官  捜査精神旺盛。高額な土偶を盗られながら届けを出さない時村勇造に疑問を持つ。 

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