紹介作品 No_112  【入江の記憶】


 死の枝(改題/原題:十二の紐) 第九話 入江の記憶

紹介作品No 112

【入江の記憶 〔【小説新潮】1967年(昭和42年)10月号〕
秋の陽が入江の上に筋になって光っている。入江といっても深く入り込んでいるので、こちら側から対岸を見ると広い川のようだった。狭い海峡のようにも見える。対岸に特徴のない山が同じ高さで横にのびていた。森もあれば、段々畠もあった。段々畠はこちら側の丘のほうが多い。瀬戸内海の風景として格別珍しいことではなかった。だが、段々畠も近ごろは観光の対象となる。対岸の右手、入江の奥には不似合いなくらい大きなホテルも建っている。旅館が七軒、まだ建築中のが一軒見える。こちら側にも小さい旅館が三軒あった。もともと古い湊であった。潮待ちの湊として奈良朝のころから知られた。室町時代には遊女の湊であり、羇旅の歌に詠みこまれている。早くから港としての機能を失い、町も廃れたのも同然になったが、五,六年前からは観光ブームの余波をうけるようになった。歴史のある湊、古歌に詠まれた湊というので瀬戸内海めぐりの立寄り先となった。山陽本線から支線で少しは入り込むのが難だが、遊びの旅なら苦にもならない。●蔵書松本清張全集 6 球形の荒野・死の枝:「小説新潮」1967年(昭和42年)10月号

入江の記憶とは、場所としての「入江」そのものの記憶の記憶なのか?。それとも、その地(入江)での出来事なのか?
二つは区別されて「記憶」されるのではなく、相まって記憶されたのだろう。

情景描写はかなり詳しい。五,六年前から観光ブームの余波で賑わっているようだ。1967年の作品なので...
  >1960年代から1970年代にかけて、宮崎を旅行先とした「新婚旅行ブーム」がありました。
  >このブームを仕掛けたのは、観光産業を手がけていた地元のバス会社です。きっかけは、皇族の宮崎訪問だった。
  >ブルーガイドシリーズが発刊した昭和30年代から、ラインナップが拡充していく昭和40年代にかけては、空前の観光旅行ブーム。
  >高度成長期を迎え、好景気を背景に旅行の大衆化・多様化に拍車がかかりました。


詳しく描写された情景の中に「私」と「明子」は、30分も前からたたずんでいた。場所は田野浦。
「私」の頭の中には四十三,四年前の記憶が、地図としても焼き付いている。
「私」の生まれたところを見たいという明子の希望で、この地に泊まることになった。
「私」の妻の名は「春子」。明子は春子の妹だった。
妻の春子は、私の生まれたところなど興味は無かった。明子は違った。
この違いが夫婦のすれ違いに発展していくのだろうか...

記憶の描写が、風景から、「私」が田野浦で暮らしていた頃に大きく変わる。
田野浦の暮らしの中に、「叔母」が居た。
「叔母」には、巡査の夫が居たが、朝鮮に転勤になりった。単身赴任だったのか「叔母」は、姉の婚家(「私の家」)に同居していた。
曖昧な記憶の中に鮮烈な出来事が起こる。
その時、母は居なかった。
>まったく突然のことだったが、父がいきなり叔母を殴りはじめた。
父と叔母の間に何があったのか、父が叔母を殴る動作の意味すら理解で来ていなかった。
叔母の流血で、父の暴力が終わったように思えた。
それから、叔母は二階で伏せっていた。
叔母の様子は尋常ではなかった。。
二階に寝ている叔母のもとに梯子で上り下りする母の姿を記憶している。叔母の様子を聞く私に母は云った。
---叔母さんが病気なったのを誰にも云うんじゃないぞな。もし云うと巡査さんがおとっつぁんを縛りにくるけんの
そんな記憶がある。
幼児のぼんやりした記憶に、家が焼け湊町の知り合い家に移ったときだった。それが父が叔母を打擲(チョウチャク)した時期の前後か曖昧だった。
ともかく、焼け出されて、知り合いの家に居候していたとき、まる二日、両親が居なくなった。
どこに何の用事で幼い私を置いて残されたことに強い印象を覚えていた。それはなぜか両親に聞けなかった。
やがて叔母は、朝鮮に渡ったことになって、私の記憶からも消えていった。

「私」の記憶から来る想像だが、母は、父と妹の関係を感じていた。それは父が妹(叔母)を打擲し怪我をさせたことで確信し、母の勝利でもあった。
父と叔母の喧嘩は、いわば痴話げんかだったのだろう。
「私」は想像する。父母の二日間の行方不明は、警察に調べられていたのか、叔母の葬式を済ませていたのか...
燐家の飲食店からの出火も疑わしい、叔母は、逃げ遅れての焼死とされたのかも知れない。
母は、父の共犯者になっていったのか...

私の妻も、母春子と同様共犯者になっていった。
>私は心の中で父に云っていた。あなたのした通りのことを息子もしているのだ。



●夫婦の微妙な関係
些細な妻の行動に対する不満。不満を埋めてくれる身近な女。最後は妻が強し!か
その裏に隠されている男の身勝手

ペルシアの測天儀」に登場する夫婦(沢田武雄夫婦)に共通している。

読後感
主人公は、最後まで「私」。「叔母」にも名前がない。
両親と叔母(母の妹)の関係など、曖昧な記憶ながら細かく描写しているが、「私」と「明子」の関係はいまひとつ記述がない。
「明子」の殺害を決意する経過の描写が一切ない。「明子」は、「私」を信じ切っている感じだで、可愛い女として描かれている。
なんだか「私」の妄想のような感じがする。
火の記憶』のなかで、主人公の
泰雄が苦悩する「不潔な血」が、『入江の記憶』では、「私」の妄想に導かれ、父の「小心者で、権力に弱い人」となって落ちていったのではないだろうか


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※潮待ち湊
蛇足的研究でも触れたが、書き出し部分で場所は容易に特定できると思ったが、無理だった。
おそらく、呉線で、鞆の浦だろうが、この二つが結びつかない。
いろいろな場所を組み合わせていることも考えられる。




2021年03月21日 記

登場人物

主人公。最後まで名前がない。妻の名は春子。義理の妹とは、不倫関係。燐家の出火による焼失でで義理の妹を焼死させたのか?
春子 主人公の「私」の妻。妹が夫と関係があることに気づく。最後は夫に協力する。それは共犯者への道だった。
明子 春子の妹。「私」と不倫関係。明子の希望で「私」の生まれ故郷を訪ねる。それが死の旅行だとも知らない。
叔母 「私」から見ての叔母(母の妹)。夫は警察官、朝鮮に単身赴任か。
義兄と関係を持つようになる。痴話げんかの果てか大怪我をさせられる。焼死に見せかけての殺害か?
主人公の「私」の父。小心者で、権力に弱い人。義理の妹(妻の妹)と関係を持つ。痴話喧嘩からか、怪我をさせる。焼死に見せかけての殺害か?
「私」の母。父の不貞(妹との不倫)を知り、結果として夫に手を貸す。

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