紹介作品 No_107  【家紋】


 死の枝(改題/原題:十二の紐) 第三話 家紋

紹介作品No 107

【家紋 〔【小説新潮】1967年(昭和42年)4月号〕
《或る地方ではめったに殺人事件は起こらないが、起これば迷宮入りになることが多い。これは信仰のため信徒の間に共同防衛意識が強く、聞きこみが困難だからである》と、或る検事総長が体験を語る回想記で述べている。---それはこうした地方の一つであった。事件は報恩講の終わりの晩に起こった。一月十六日である。報恩講は、開祖親鸞の忌日に行なう。東本願寺では陰暦十一月一日から八日までだが、西本願寺では陽暦に改めて一月九日から十六日までとしている。だから、この地方は西本願寺の系統に属しているのだ。近くには、親鸞が北陸路巡錫のとき逗留したゆかりの吉崎御坊がある。その吉崎から東北約三里にFの村があった。近くには、吉崎から起こっている柴山潟もあった。東西に細長い湖だ。その湖に注ぐT川の山間部より平野に出たところがFの村だった。一月十六日のこの地方は寒い。●蔵書松本清張全集 6 球形の荒野・死の枝:「小説新潮」1967年(昭和42年)4月号

横溝正史的な内容?
犯人と思われる人物の登場のしかた。事件の起きた場所。金田一耕助でも出てきそうだ。

生田市之助は、四十一になる。
女房は美奈子、三十。雪代という五歳になる一人娘がいる。
報恩講が終わり家に帰った。酒が少々入っている市之助は、子供が熱を出し、添い寝をしている女房の美奈子に声をかけた。
「熱は何度だ?」
「三十七度くらい」
「おまえさん。ご飯は?」
「寺で食ってきたから、別に腹は減っておらん」
「そうかい」
「あんたも早くお寝み」
会話は続くが間合いが変だ
「おまえさん、まだ寝ないの?」
それから二十分も経って、市之助は腰を上げた。
市之助が鼾をかき出してから間もなくだった。
美奈子から揺り起こされた。
「表に人が来て戸を叩いていますよ」

「今晩は、生田さん」男の声がした。
男は本家からの使いだという。本家はT町で農機具と肥料の商いをしていた。当主は宗右衛門
宗右衛門の妻スギは長いこと患っていた。
夜中の本家からの使いと聞いた市之助は、床から起きた。咄嗟にスギの具合でもわるくなったのかと思った。
使いの男は、釣鐘マントで提灯を持っていた。提灯には生田家の揚羽蝶の紋があった。
男は、半月前に雇われた本家の雇人だと言った。そして、宗右衛門の妻スギの容体が良くないと迎えの理由を話した。
美奈子は夫の支度を手伝い、もしもの時は私も本家に向かうと言いながらも雪代が気になると言い、困った様子だ。
市之助は雪代が大事だ、戸締まりの用心を言いつけ、迎えに来た男と出て行った。
二人を見送る美奈子。迎えの男はマント姿で頭巾のままかすかに頭を下げた。


美奈子は二度目の訪問を受ける。
最初の訪問は9時40分頃。今度は11時半になっていた。
「今晩は、今晩は」
美奈子には聞き覚えがあった。さっき夫を迎えに来た本家の使いの男の声だった。
本家のスギの容体が急変し、市之助の依頼で迎えに来たと告げた。すぐ雪代も一緒に本家に来るようにとのことだった。
さすがに病気の雪代は無理だと考え、隣の庄作の女房お房さんに相談した。「そりゃ雪ちゃんを伴れて行くのは無理だよ」と、なった。
迎えに来たマント姿の男は「こちらのご主人は、子供さんもいっしょにということでしたが」と執拗に迫った。
低い、呟くような声だった。
が、お房は、「こんな晩に伴れて行くと、雪ちゃんまで殺しかねないよ」と、ぴしゃりと断った。男は不服そうに黙った。
お房に抱かれて母親を見送る雪代だったが、それが雪代にとっては母親の姿を見た最後だった。

市之助と美奈子夫婦は殺された。翌朝七時頃「弁慶土手」と呼ばれる川堤の路で村人により惨殺死体が発見された。
凶器は山芋を掘る鉄棒だろうと言うことになった。
当然、疑われるのは迎えに来たマント姿の男である。
雪代もいっしょに殺そうとしたこと、市之助と美奈子を別々に誘い出し殺したこと。家紋入りの提灯を持参、計画的である。
頭巾をかぶりマント姿で背の高さは170センチ近くはあった。(「長身の方であろう」の表現があるが...当時ではの話)
生田家の内情に詳しく、よそ者の犯行ではない。怨恨だろう。状況から犯人はすぐ捕まるだろうと思われた。
捜査は進む。
状況証拠もあり、小道具もいくつかある。
市之助、美奈子夫婦の交友関係が疑われる
美奈子は、十年前隣県の町から来た。市之助とは見合いである。娘時代の恋愛関係もない。性格はおとなしく、働き手である。色白の器量よし。
村での浮いた話もない。
市之助もおとなしい性格で、酒は飲むが深酒でもなく先祖譲りの田を守り、借金もない。女遊びもしない。
惨殺されるような恨みを買う生活などしていない。
本家の内情は、マント姿の男が利用しただけで、事件とは特別な関係もなかった。
ただ、駐在巡査は、村社会における閉鎖性から、何かの調査を始めるといつも村人の沈黙の壁を感じることがあった。
それは市之助夫婦の村人の証言でも言えることだった。
閉鎖した村社会。この村は、熱心な門徒ばかりだった。村は、強固な一向門徒で運命共同体的な意識が村を支配しているかのように見えた。

事件当夜の徳蓮寺の報恩講に市之助は午後四時頃から出席していた。
報恩講には寺の檀徒代表格の7人が出席。寺からは、住職の野上恵海(五十歳。寺に来てから十年以上)、院代の真典(寺では三年くらい)
住職は妻帯していなかった。寺には他に二人の小僧がいた。こういう行事があると、村の女が手伝いに来ていた。その日は五,六人。

-----しかし。こんなことがいくら分かっても捜査の役には立たなかった。
事件は迷宮入りとなった。五十日後捜査本部は解散となった。

それから十三年。
雪代は十八歳、福岡に居た。女子大に通っていた。
これまで二回しか故郷に帰っていなかった。事件のこともあり、故郷が好きになれなかった。
二年前、十六歳の時雪代は事件のことを養父から聞いた。雪代が頼んでのことであった。

本家の生田宗右衛門が七十三で死んだとき、雪代は行きたくなかったが、養父母のすすめでF村に帰った。
五歳まで住んでいた家は人手に渡り建て替えられていた。隣に住んでいたお房も三年前に死んでいた。
養父母の娘の嫁ぎ先である分家に泊まった。
せっかく帰ってきたからと、分家で雪代の両親の供養を徳蓮寺に頼んだ。

住職は真典。
雪代より少し背が低かった。
事件当時は院代で、その時の住職であった恵海が八年前に死んだので真典が住職になった。
真典は、供養が済むと少し酒を口にしたが、すぐに席を後にした。
そのあと、分家の老人は四十三歳の息子と酒を飲みながら云った。
「真典さんも、院代のときは女のことで噂が多かったが、さすがに年齢をとって、すっかりいい爺さんになってしもうたの」
雪代の耳に話が聞こえたが、雪代に気づいてその話は終わった。
老人の言葉で、事件当時の村人の証言は不正確であてにならないものであることが分かる。駐在巡査が云う壁の向こうの暗闇が窺える。
翌日、雪代は嫁と事件現場の付近へ遊びに行った。嫁はそこが事件現場付近であることを話はしなかった。
「あ、あすこに徳蓮寺さんが通っていなさる」分家の嫁の声に向こう岸を行く真典の背の低い姿が見えた。
黒い姿が小さく動いているのを見た雪代は、ずっと前、夢の中でこれと同じ場面を見たような気がした。

それから五年が経った。
雪代は恋愛で寺の三男と結婚した。夫は銀行員だった。
夫の父親は住職(臨済宗の導師)。六十五歳、横幅のひろい、背の低い人だった。
雪代は夫の実家に帰ったとき、葬式にぶつかった。臨済宗の導師は荘厳な装いをしている。金襴の高い帽子をかぶり...
「あら、お父さんはずいぶん背が高く見えますね?」傍に立っている夫に云った。「うむ、帽子をかぶっとるからやろうな」
硯と白提灯...迎えに来た男が持っていた生田家の揚羽蝶の紋所入りの提灯
雪代の夫の実家での体験は、一つ一つ事件を紐解くヒントになっていく。

雪代は夢の中でのことが思い出された。
  雪代が母の背に負われてどこかの道を歩いている。
  母の脇には、父ではない男が前えこごみに歩いていた。
  その男に母はぴたりと寄り添っていた。やはり、夜で、遠くに人家の灯が小さく見える野道であった。

それは夢の中の出来事なのか...

雪代の記憶は、「火の記憶」の高村泰雄か?

なんとも、もどかしい終わり方だ。
犯人を特定していない。でも、100%想像させる。
動機が語られていない。

これからは私の妄想と疑問です。
報恩講の席で真典と市之助の間に何かあった。真典と美奈子の関係を市之助が知り得た。真典は市之助から問い詰められた。
市之助の報恩講から帰った後の態度が引っかかる。
動機は真典の自己保身?
迎えに来た男が真典と気がつかなかったのか? 特に美奈子は気がつきそうなものだが?
なぜ一家皆殺しを考えたのか?



●院代(いんだい)
一般には寺院の住職の代務者などをいう。本来、院家(インゲ)寺院の住職の代務者を指す言葉であったが、
後に門跡寺院などの代務者も院代と呼ばれるようになった。普化宗(フケシュウ)の虚無僧寺では住職を院代と呼んでいた。

●報恩講
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
報恩講(ほうおんこう)は、浄土真宗の宗祖(開祖)とされる親鸞(1173年~1262年) の祥月命日の前後に、
救主阿弥陀如来並びに宗祖親鸞に対する報恩謝徳のために営まれる法要のこと。
本願寺での報恩講の初夜又は逮夜の法要後に行われる法話及び真宗本廟で行われる門徒の信仰告白に相当する
「感話」に対する僧侶の批評は、特に改悔批判と呼ばれる。

●家紋(揚羽蝶)              ●観音帽子カンノンモウス)臨済宗
  


※???蛇足(文学的考察?)
美奈子を迎えに来た男は云った。
>「何とか厚着をさせても伴れてくるようにとのことでしたが」
>と、使いの男は夫の伝言を忠実に伝えた。
作家は、神の眼で書く...らしい
だが夫の伝言を忠実に伝えた。」は、違う。これは嘘である。使いの男の嘘である。この時、伝えたであろう市之助はその男によって殺されている。
使いの男の眼からの表現でもない。
あえて言えば、読者を瞞すための表現になる。
推理小説では、この段階では犯人も分からない。
>「何とか厚着をさせても伴れてくるようにとのことでしたが」だけなら、男の言葉を、男の言葉として受け止めることが出来る。
だが、「夫の伝言を忠実に伝えた」は、蛇足ではないだろうか???

こんな事例は他にもあるのだろうか、はたまた私の思い込みなのだろうか?


2020年10月21日 記

登場人物

生田 雪代 市之助、美奈子夫婦のの娘。事件当時は五歳。寺の三男と結婚する。事件の真相に近づくが、...
生田 市之助 おとなしい性格で、酒は飲むが深酒でもなく先祖譲りの田を守り、借金もない。女遊びもしない。殺される。
生田 美奈子 市之助とは見合いである。娘時代の恋愛関係もない。性格はおとなしく、働き手である。色白の器量よし。真典と関係があるのか?
生田 宗右衛門 生田家当主。農機具と肥料の商いをしていた。妻のスギは病にふけっていた。家紋は揚羽蝶。
真典 徳蓮寺の院代。寺に来てから三年(事件当時)。院代のときは女のことで噂が多かった。今は住職。雪代より小さな男。
上野 恵海 徳蓮寺の住職。五十歳。寺に来てから十年以上(事件当時)
お房 市之助美奈子夫婦の隣人で庄作の女房。雪代をかわいがっていた。事件当時雪代を預かったので雪代が殺されなかった。
生田 スギ 生田宗右衛門の妻。病弱。

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