紹介作品 No_076  【憎悪の依頼】


 

紹介作品No 076

【憎悪の依頼】 〔週刊新潮 1957年4月1日〕

私の殺人犯罪の原因は、川倉甚太郎との金銭貸借ということになっている。即ち、私が川倉に貸した金の合計九万円が回収不能のためということになっている。これは私の供述である。 【(株)新潮社:新潮文庫:憎悪の依頼】

普通は裏表のない行動、大げさに言えば、裏表のない生き方が好まれるであろうし、そうありたいと思う。
したり顔で云えば、どんな出来事にも表向きの理由と裏の理由があると思う。ましてや、殺人犯の動機の供述では
その真意の程は分からない。

登場人物は少ない。三人だ。
主人公の私は、殺人罪で裁かれる。
殺人の動機が私の口から語られる。それは川倉甚太郎との金銭貸借で、川倉に貸した九万円が回収不能となった為。
作品が書かれた当時の金額としても少額である。
検察庁では係検事が首を傾けた。
「たったそれだけの金でか?」私の答えは「あなた方にとってははした金かも分かりませんが、僕にとっては大金です」
私は、私の自供する原因によって起訴され、その原因による犯罪の判決を受けた。
単純な動機でのせいか、比較的軽い刑で服役することになった。
しかし、その動機は嘘であり、刑を軽くする為の方便でもなかった。本当のことを云いたくなかったのだ。
たいていの服役者が、判決文に書かれた動機とは別に、心の中に匿した動機を持っていると考えている。
(作品上の私の考えなのか、清張の考えか?)

私は独房で本当の動機を書こうとしている。
>通りいっぺんの概念しか持っていない刑事や検事....作品上の私の考えなのか、清張の考えか?)

私が佐山都貴子と知り合ったのは、私の犯罪の二年前だった。
私はある会社の二十八歳の社員。彼女は官庁の女事務員二十四歳であった。
私は彼女に好意を感じてきた。彼女も好意も待ってくれていたのは確かだ。
>それは、さまざまな発展を海綿のように含んだ、そのために一層たのしい現状維持の交際であった。
半年ばかり続いた。
佐山都貴子は、私に一通の手紙を見せた。
封筒の裏には女の名前が書かれていたが、中身は男からのものだった。

内容は男からの誘いの手紙だった。都貴子が言うには妻子のある男からのもので三、四度手紙を貰ったらしい。
>「いまの手紙は僕にショックだった」
>「あら。どうしてですの?」

理由は分かっているはずである。
映画に誘うと都貴子はついてきた。
>私は映画を見ている間じゅう、横に控えている彼女の手を意識した。動機が静まらなかった。
手を握ろうとすると素早い相手の逃走にあった。失望と恥が残る。
何度かの試みも都貴子の拒絶に会う。
駆け引きなのだろうか?
手紙を見せる行為や、その後の映画の誘いに応えながら、それ以上の発展はない。
ほぼ一年が経つ。
都貴子は私を受け入れない。
>「お気持ちはよく分かっていますわ。でも、私はすぐにそれについて行けない女ですの。もうしばらくお友達で交際しましょう」
顔には微笑を浮かべていた。
ようやく箱根に誘い出すことに成功した。
手を握ることには成功したが、彼女の掌は何か治療でも受けているように柔順だった。
>「せっかくここまで来たのだから、湯に入りませんか?」
案外に彼女は同意した。
宿での二時間は、何をしたか分からない。近づけば離れる。身体を遠くに避けた。
>「へんよ、そんなこと。じっとしてて。静かにお話をしましょうよ」
それでも関係が破綻したわけではない。辛抱できなくて、ある夜、強引に迫るが強い力で突きのけた。
>「私って、そんなことのできない女なのよ。あなたが思ってらっしゃるよりは理性が強いのよ」

彼女は私に何の興味も持っていないことを思い知らさせれた。
それでも関係を断ち切ることが出来なかった。別の企みが育ちつつあった。
それは私を翻弄する佐山都貴子に、憎悪とも言える感情が膨らみつつあったからだ。
彼女への愛情は冷たい壁に跳ね返され。...そこで淀み、黒いものに変質していた。
彼女の微笑が嘲笑に思えたとき、仕返しを用意することになった。

川倉甚太郎が仕返しの道具として登場する。
自称詩人の川倉は三十二歳。
>怪しげな雑誌に匿名で実話風なエロものを書き、それで食べている...
>決まった女房はなく、その代わり絶えず女の出入りがあった。
>高い鼻梁に縁なし眼鏡を光らせていた。
>ばさばさの長い髪を指で掻き上げながら、むっつりしていた。無口なのは、彼の自信あるポーズだった。
>子悪党ぶった口吻で、相手の女に自己の虚無な感じを与えようとしていた。


川倉に佐山都貴子の事を頼む。
何を頼んだのか?具体的に書かれていないが、都貴子を誘惑して、その後、捨ててほしいとでも云うことだろう。
>「金が要るな。いくらくれるか?」 三万円だそうと私は言った。
>「三万円か。まあいいだろう」
私は妙に興奮した。
偶然を装い、都貴子と川倉を会わせる。
得意のポーズを決めながら都貴子に対する川倉。
>私は、ははあ、やっているな、と思った。

私は暫く都貴子とは会わないようにした。
川倉甚太郎は度々、私に報告する義務があった。

最初の報告は
「格別な女じゃないな」「それで、どうだった?」
手を握り合っただけだ...
「どうだ、もう三万円ばかりくれんか?」
都貴子がつまらない女に思えてきた。佐山都貴子がこんな女蕩しの男の罠に引っかかるがいいと思った。
それから、一週間後の報告は
「昨夜はキッスをしたよ」 二、三日おきに会ってほしいとせがまれた...
私が一年半以上付き合って、何も許さなかった女が、川倉に落ちていく様は、私に快感を覚えさし
...どこかプロのスポーツを見るのに似ていた。
更に三万円を取られた。
その後も報告が続いた。報告にも馴れが加わったようだ。私は近親者行為を聞くような思いになった。
何度か目の報告が最後になった。最後の晩は場末の喫茶店。
おい、とうとう、やったぞ。昨夜だ
「何処だ? どんな方法でやったのか?」 上ずった声を出した。
「今は止そう。とにかく、君に頼まれた目的だけは果たしたよ」
妙にちぐはぐな空気が流れた。
「帰ろうか」川倉の声で椅子から立ち上がった私は伝票を取った。
黙って道を歩いた。夜はまだそう更けてはいない。
川倉甚太郎は立ち止まり
「寒いな。ちょっ小便をしよう」 川倉が発した最後の言葉だった。
川倉の後ろ姿を見たとき...
>その黒い後ろ姿を私は視た。両足を突張り、首を前に少し傾けたその格好である。
>私に何とも云えぬ激情が突き上がったのは、その瞬時であった。
>自分の知らぬ間に、抑えに抑えられた嫉妬が、身体の奥から噴出してきた。
>彼の格好は佐山都貴子との世にも醜悪な、憎悪すべき姿態であった。


納得の場面(立ちション)・描写である

>私は、水音が聞こえる間に、路傍にあるかなり大きな石をとった。それを両手で持ち、後ろから忍び寄って振り上げ、
>川倉甚太郎の頭上に打ち下ろした。

金銭トラブルが動機ではない!
問題は、私の独白後の疑惑である。
近ごろになってしきりと私に一つの疑惑が湧いている。
川倉甚太郎が、私に報告したことは、果たして本当のことだろうかという疑いである。
川倉の金ほしさの口から出まかせではないのか?
佐山都貴子は川倉なんかに簡単に落ちる女ではない...?


読後に清張作品『共犯者』を思い出した。次回の蛇足的研究へ...

●蛇足
題名と内容が一致している。珍しい気もするが実際はそうでもない。
一年半待て
なぜ「星図」が開いていたか
二冊の同じ本
薄化粧の男」
「証言

思いつくまま書き出したが、かなり多い。 内容と題名の関連も興味深い(題名に関する一考察)


2017年2月20日 記

登場人物

二十八歳。会社員。友人の川倉甚太郎を殺す。動機を金銭トラブルと自白するが、別の動機があった。佐山都貴子と付き合う。
川野 甚太郎 三十二歳。自称詩人。怪しげな雑誌に匿名で実話風なエロものを書いている。私の友人。高い鼻梁に縁なし眼鏡を光らせていた。
佐山 都貴子 官庁の事務員。特別美しい女ではなく、綺麗さはないが、内面的な率直な美しさが顔にほの明るく出ていた。二十四歳

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