紹介作品 No_067  【献妻】


 

紹介No 067

【献妻】 〔新婦人:大奥婦女記五話〕 1955年10月~1956年12月号

綱吉は学問が好きであった。四書、五経、中庸、周易を学んだ。が、彼が一番得意だったのは、それを誰彼となく向かって講釈することであった。(株)文藝春秋『松本清張全集 29 逃亡・大奥婦女記』 初版1973/06/20より

はじめに
「献妻」は、『大奥婦女記』の五話として書かれている連作物です。(「絢爛たる流離」に近いのか?)
「予言僧」(四話)に続いて「献妻」を取り上げる。
紹介作品として取りあげたのは「予言僧」の最後が、
>そのことがあってほどなく、彼の推薦によって一代の妖僧、隆光が桂昌院の前に現れる運命となる。
「予言僧」で【亮賢】が登場するが、彼の推挙で登場する妖僧【隆光】に興味が湧いた。
そして、「献妻」の意味することは....

1.乳母将軍
 2.
矢島の局の計算
 3.
京から来た女
 
4.予言僧
 
5.献妻
 6.
女と僧正と犬
 7.
元禄女合戦
 8.
転変
 9.
絵島・生島
10.
ある寺社奉行の死
11.
米の値段
12.
天保の初もの

そんなわけで、「献妻」を取りあげる。
書き出しが秀逸だ。
>綱吉は学問が好きであった。四書、五経、中庸、周易を学んだ。
>が、彼が一番得意だったのは、それを誰彼となく向かって講釈することであった。
これだけで綱吉の学問が何なのか解る。
綱吉の講釈を恐れ入り嘆称する大名は少なくなかったが、苦々しく思う者もいた。
増上寺の詮応大僧正もその一人だった。綱吉の母、桂昌院へ忠告するが、一喝される。
「上様のご学問は天下のためであって私事ではありませぬ。ご学問にお励みあそばされるのはなおさら
下々によきご政道を遊ばされるみごころからであります」

しかし、綱吉の性格には分裂があった。
聖賢の書を説く彼と、享楽を求めている彼との二つの分裂である。
享楽のひとつは能楽の趣味。問題はもう一つの享楽であった。

牧野成貞には、妻阿久里と、娘安子がいた。安子には婿の成住がいた。
御用人牧野備後守成貞は綱吉が幼少の頃から仕えた。はじめは二千石
後に綱吉が将軍になると一万三千石、最後には五万三千石になって総州関宿の城主となる。
成貞は、ひたすら綱吉を歓ばすことが報恩忠誠だと考えていた。
当然綱吉の能楽趣味を増長させる事になる。綱吉の「成貞、余はその方の邸に参るぞ」
有頂天になる成貞。
成貞の妻阿久里は、喜色満面の成貞を邸で迎える。
勿体なきことと夫婦で喜ぶ、が、阿久里には同化できない自分がいた。
阿久里はもともと桂昌院の側にいたので綱吉を知っていた。
桂昌院へ会いに来る綱吉から異様な目で見られていた自覚があった。二十年前の話である。
桂昌院のはたらきもあり、牧野成貞に嫁いだのである。
阿久里にとっては、成貞は小心だが親切で、出世もし善人であった。

貞享三年四月二十一日、綱吉は、成貞邸に「お成り」
成貞に導かれ阿久里の前を通りかかった綱吉は「おう、阿久里か」と云った。
云ったように阿久里には聞こえた。
「ここへ来い、ここへ来い」
「阿久里か。暫くであった。盃をとらすぞ」
綱吉の手がのびた...阿久里の視線の先の綱吉の目が別なものに濁され、二十年前の粘液的な表情を
見せていた。
成貞は、身の冥加に気もそぞろで、二人の仔細には気が付かない。

「一番、舞うぞ」綱吉は立ち上がった。
「阿久里に余の舞を見しょうぞ」
綱吉の愛嬌だったのか、この言葉は阿久里には一番意味深長に感じられた。
踊り疲れた綱吉は別間に通される。そこには待女が控えていた。襖を隔てて次の間が用意されていた。
綱吉は阿久里に「少々そなたと話がしたい」と云って待女を下がらせる。

>雨戸で昼の光線を遮ったその間には、うすい光があるだけだった
>そのかすかな光の下に、平らな色彩が沈んでいた。
>阿久里は抵抗した。が、それは綱吉の、というよりも男の力をさらに煽っただけであった。
>何か羽虫の音に似たようなものが彼女の麻痺しかけた耳に聞こえた。
>気づくとそれは、綱吉が謡曲「猩々」を口ずさんでいるのであった。


綱吉が牧野邸から帰ったのは酉の刻(午後六時)であった。
門外まで送る成貞、お礼として登城する。上便があるとの事で帰城。「上様にはご満足である」と伝えられる。
その礼に又登城。帰ってきたのは亥の刻(午後十時)であった。
成貞が奥の間に入ると阿久里はひとりうつ伏して泣いていた。
成貞は弱い声で云った。
「泣くな。わしはどうとも思わぬ」
その一言で、足早やにその場を去った。

綱吉が牧野邸に遊行したのは、前後三十二回にわたる。
そのたびに能楽を舞う。そして「疲れた」
成貞は「上様はご疲労であるから暫時ごj休憩遊ばされる」の口上を披露する。そして
薄笑いを浮かべて、別間に急ぐ綱吉を平伏して見送る。それが定まった行動であった。
>綱吉の姿が見えなくなると、成貞は自分の居間にかけ込んだ。
>誰も来てはならぬと申し渡してある。
>その人気のない居間で、彼は存分に声を放って泣いた。

一度許してしまえば...、妻の阿久里は、綱吉の狂気な行動の虜囚となっている。
綱吉の狂気は、成貞の前に、これ見よがしに現れる事がある。それでも視線をはずすのは成貞であった。

「阿久里、そなたも辛いであろう」
その夜を狂って歔く妻を慰めるのも、やはりこの気の弱い夫であった。

綱吉は、牧野邸に来るごとに、阿久里と娘の安子に目通りさせた。
綱吉の狂気は、阿久里より、安子に向かう。
四十を過ぎた、初老に近い阿久里から、安子に向かうのは当然でもあった。
一人娘の安子には、成住と云う婿がいた。
「安子を参らせよ」 「そればかりは」と拒絶できない成貞。
「安子も見るたびに美しくなるのう」 綱吉は悪人になることに陶酔しているのだ。
その日を境に安子は、阿久里の代わりに綱吉の新しい欲望の俘囚となった。
しかし、娘婿の成住は成貞とは違った。少々長くなるが引用しよう!

成住は血相を変え身体を瘧のように慄わせていた。
「父上」
「安子を元の身体にして下され。手前の妻に還してくだされ」
「うろたえ者め。何を申す。落ちつけ」
「いいえ、黙りませぬ。きっと申し上げる」
「父上。あなたはそれでもこの親か、人倫、畜生道に堕してまで、ご出世が望みでござりますか。
それほどお家がご大切でござりますか。母上は、母上はあなた様の女房なれば、何をされても
貴方のご自由だが、安子は手前の女房でござる。この成住の女房じゃ。それを、あなたは公方の犠牲
に差出されましたな。あなたは出世と保身に眼がつぶれて、人間血が通っておぬおひとじゃ」
声がかすれたと思うと、若い成済は号泣した。
「ええい、血迷い者め。退らぬか」



成住は安子を突き飛ばし、舅の成貞に向かって。
「卑怯者」
と罵ると、廊下を走り去った


翌朝、成住は自分の腹を割いて自害した。

成貞は病、高齢を理由に隠退した。大夢居士と号した。
綱吉も寝覚めが悪く養子の世話をしたが、成貞は再三断った。
成貞のせめてもの抵抗だったのか...
それでも、その養子話も屈服する事になる。
>彼は最後まで綱吉に反逆する事が出来ず荒涼とした寂しい余生を了った。


今回「献妻」を取りあげた理由は、妖僧【隆光】の登場に興味が湧いたからであった。
前回(予言僧)の終わりは何だったのか?
次回が「女と僧正と犬」なので、そちらに移ったのか?順番のが間違ったのでは...

「献妻」を読んだ後、すぐに「黒地の絵」を思い出した。
強奪された妻がテーマ...
続いて、山田洋次監督作品「武士の一分」を思い出した。(原作:藤沢周平)
それぞれの結末が面白い。「武士の一分」はパッピーエンド的な終わり方であるが
とてつもない大きな権力(暴力)に、妻を奪われた男の生き方はそれぞれである。
「献妻」:反逆する事が出来ず荒涼とした寂しい余生を了った。
「黒地の絵」:刺青を頼りに死体を見つけた男の復讐は狂気となって完結する。
「武士の一分」:敵を討つ。相手は自害。妻は男(夫)の元へ帰る。(妻の愚かな行為が疑問)
その後の夫婦は...「黒地の絵」は、たしか離婚?
成貞の妻、阿久里はどうしたのか?

----言葉の事典----
●冥加(ミヨウガ)
知らず知らずのうちに,神や仏あるいは菩薩などから加護をこうむることをいう。
●猩々(ショウジョウ)
中国の伝説上の動物。または、それを題材にした能楽などにおける演目。 さらにそこから転じて、大酒家や赤いものを指すこともある
瘧(オコリ)
間欠的に発熱し、悪感(おかん)や震えを発する病気。主にマラリアの一種、三日熱をさした。えやみ。わらわやみ。瘧(ぎゃく)
●歔く(ススリナク)
すすり泣く。声を出さずに泣く。
●俘囚(フシュウ)
捕虜。俘虜。とりこ。「―の身」


2015年08月21日 記

登場人物

綱吉 五代将軍。性格には分裂があった。聖賢の書を説く彼と、享楽を求めている彼との二つの分裂である。
桂昌院 家光の妻。綱吉の母。詮応大僧正の忠告にも耳を貸さず、ご政道の御心と一喝する。
牧野 成貞 牧野備後守成定。ひたすら綱吉を歓ばすことが報恩忠誠だと考えていた。寂しい余生を送る。
阿久里 成貞の妻。綱吉の手にかかる。四十過ぎ。綱吉を迎える阿久里は、娘の安子も認めるほど美しかった。
安子 成貞、阿久里の一人娘。婿養子として成住を迎える。綱吉の餌食になる。
成住  安子の夫。妻を手込めにされるが、成貞とは違った。舅である成貞に「卑怯者」と罵り、自害する。
詮応大僧正  綱吉の学問好きを苦々しく思う。桂昌院に忠告するが一喝される。

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