紹介作品 No_065  【栄落不測】


 

紹介No 065

【栄落不測】 〔キング〕 1956年4月号

常憲院殿(五代将軍綱吉)御実記巻七の天和元年正月の項に、○十一日、具足の御祝恒例のごとし。この日、小姓喜多見若狭守重政六千八百石加味ありて万石の列に加へ給ふ。(株)光文社(光文社文庫)『松本清張 短編全集 05 声』 初版2009/01/10より

賢兄愚弟ではなく、愚弟賢兄なのか...どちらにしても兄である喜多見重政と愚弟茂兵衛の話。
小姓の喜多見若狭守重政(キタミワカサノカミシゲマサ)は旗本から大名に取り立てられる。
天和元年の正月、綱吉から直々に沙汰があった。
大老堀田正俊でさえ綱吉が言うまで知らなかった。
下城する重政は「雲を踏んでいるような心地であった」
>「茂兵衛はいるか?」帰宅した重政は居間に通るなり用人に聞いた。
茂兵衛とは重政の弟である。
二十五歳になるのに、不身持(フミモチ)でいまだに嫁がない。いつみても顔から酒の切れていたことがない。
参百俵、小普請組であった。
重政の前に現れて
>「...いつものお小言ちょうだいする前に、あやまり、ひらにあやまります。」
臭い息を吐いて、這いつくばった。
重政は、今日は怒らなかった。茂兵衛の肩に手を置いて話し始めた。
「茂兵衛、これ、聞け。本日はご城中のめでたき席にて、上様より直々のお言葉として、わしに一万石を
たまわったぞ。」

>「一万石と言えば大名。それは、おめでとうござりました。」
「これもそなたのおかげじゃ。そなたが堀田将監父子と親交があるため、将監殿より二の丸さま(お伝お方)
にわしのことを何かとよきに計らってくれたに違いない...もとはといえば、そなたのお陰じゃ。
茂兵衛。礼を申すぞ。」

重政は飲んだくれの弟の前に手をつかんばかりであった。

お伝の方は綱吉の愛妾であった。その実兄が堀田将監。将監父子は素行が悪く、無頼の徒とのまじわりが
あり、将監の屋敷は博奕場となっていた。悪党仲間は将監の庇護を受け、奉行も手を出せない。
茂兵衛もその不良仲間であった。それも、なにかと将監の為に世話をやく茂兵衛は将監に気に入られていた
将監は茂兵衛の兄(重政)を妹(お伝お方)にいいように言う。それを綱吉に吹き込む。
その効あって、重政の異常な出世の沙汰となったのである。
今日ばかりはこの弟の姿が光背を負っているように輝いて見えたのであった。
しかし
しかし人間一寸先のことはわからない。いま、一万石だと、有頂天になって随喜している喜多見重政にも、
先でどのような運が待っているかわからなかった。
重政の随喜はここまでである。ずばり、暗転する運命を予言する。

>「浅岡縫殿が赦免となって戻ってくる。...都合の悪い奴が戻ってくる。」
茂兵衛は妹婿の浅岡縫殿頭直国(アサオカヌイノカミナオクニ)の手紙を読みながら、「困った。」と一人で呟いた。
茂兵衛は若党の喜助を呼んだ。
「せきはこの手紙が来たことを知っているか。」 ご存じないという返事が喜助からあった。
茂兵衛には困る事情があった。
浅岡縫殿が咎めを受けて西国の親類筋に預けられ、妹で縫殿の妻であるせきは茂兵衛が引き取った。
せきだけではなく、縫殿の家が空屋敷になるので、家財道具一式も茂兵衛が引き取った。
はじめは迷惑をしていたが、家財道具は茂兵衛の博奕の資金に化けた。今では何も残っていない。
妹のせきが蒼くなって憤うが、泣こうが茂兵衛は歯牙にもかけなかった。茂兵衛はそんな男だった。
それに、縫殿がこんなに早く戻るとは考えていなかった。再び戻ることは無いと思っていた。
縫殿は一徹で短気な男であった。それが災いして追放になったくらいだ。
>「どうしたものか」
こまった茂兵衛だが、追い打ちをかけられるように縫殿から第二の書状が届く。
近日中に江戸に向かう、ついては当分の間、貴殿の家に厄介になりたい。
義兄であり、妻の親元代わりの茂兵衛に頼むのは当然であった。

茂兵衛は将監に話をする。
「なんだ、そんなことで浮かねえ面をしているのか。そんなのわけはねえ。妹御を離縁してしまいな。離縁となりゃ赤の他人だ。
赤の他人を同居させることはねえからのう。」

茂兵衛は躊躇するが背に腹は代えられない。

浅岡縫殿は手紙の予告通り、茂兵衛の前に姿を現す。
挨拶の後、一部屋の拝借を頼む浅岡縫殿。
「...今日限り不縁にいたしとうござる。この儀、貴殿の承知を得たい。」平然と言い放つ茂兵衛。
浅岡縫殿は大きく眼を剝いた。「これは唐突に異なことを承る。」
せきも承知かと詰め寄る浅岡縫殿へ、「いかにも妹の発意でござる。拙者はそれに同意したまでじゃ。」
縫殿が妻せきに面談を求めるも、茂兵衛はせきの病を理由に断る。
それでも縫殿は、しばらくの間の同居を求める。茂兵衛は手狭を理由に、兄若狭守重政邸に案内すべく
話す故、決着までの猶予を求め追い払う。
「それでは、ご案内をいただくのをお待ち申しております。」
旅館にこもって茂兵衛からの返事を待つ縫殿。
ついに待ちきれず縫殿は茂兵衛の屋敷を訪ねる。茂兵衛は留守。たびたび訪れるが留守。
「あいにく、お留守でございます。」若党の喜助が答えることがたび重なった。

年が明けて元禄二年。
ここまでくると縫殿も茂兵衛の心底がわかった。
実兄の若狭守重政の権勢を恐れて我慢していた浅岡縫殿だが決心した。
江戸に帰って七十日あまり、あまりな仕打ちに茂兵衛の屋敷に向かった縫殿は、留守との返事に
「...待たせていただく。...」と上がり込む。居留守を使う茂兵衛はそれでもはじめは相手にしなかった。
>「ええわさ、もうほどなく退散するだろう。」
帰らぬ縫殿。喜助に支度をさせ、いかにも今帰ったとばかり縫殿の前に現れる茂兵衛。
同居の件といい、家財の件といい、あまりに理不尽な茂兵衛の態度と嘲笑は縫殿の憤怒を煽った。
修羅場は浅岡縫殿が片膝立てると、「おのれ。」と叫んで始まった。
>縫殿は腰をひねって脇差しを抜いた。怒りで全身が火が燃えるように熱くなっていた。
>今日まで欺されてきた憤りと、卑劣、狡猾、倨傲、屈辱にたいする爆発であった。


凄惨な修羅場は続く。
浅岡縫殿は修羅場に駆けつけた、茂兵衛の家来である香取新兵衛に斬り殺される。
死骸の始末に困った茂兵衛は、「縫殿のせがれの忠七郎をすぐ迎えにやれ」と言いつける。
忠七郎は十六歳、喜多見重政の下屋敷に預けられていた。
駆けつけた忠七郎だが、茂兵衛に言いくるめられる。縫殿は乱心者として始末されることになる。
言いくるめられたのは忠七郎だけでは無い。兄の若狭守重政も欺された。
はじめに、「愚弟賢兄」と書いたが、賢兄ではなかった。
「浅岡縫殿事、拙者方に同居いたしており候ところ、乱心つかまつり、ただいま、自殺つかまり候。」
と届け出た。
若狭守重政の威光もあり、形式的には始末が済んだ。

思わぬ所から故障が起きた。
形式の最終段階で将軍の眼にとまった。
「乱心につき......」 綱吉の心にふと不審の翳がかすめた。理由のない心の働きである。
「これをたずねてみよ。その乱心に仔細があろう」
綱吉は苛察を好む性質があった。
【苛察】:細かい点にまで立ち入って、厳しく詮索(せんさく)すること。
老中は綱吉の苛察の峻厳さを恐れていた。
【峻厳】:非常にきびしいこと。また、そのさま。
老中はまた何事かか綱吉の耳に入ったのではないかと周章して取り調べに乗り出した。
【周章】:あわてふためくこと。うろたえること。「周章狼狽」
茂兵衛はことの意外な逆転に肝を消した。
全ては露見した。「きっと申しつけよ」
処分は下った。
○茂兵衛:斬罪 ○せき(茂兵衛の妹):栄押込め ○香取新兵衛:斬罪 ○浅岡忠七郎:追放
茂兵衛の兄喜多見若狭守重信は御役御免、領地没収、改易、伊勢国に流された。

処分は納得だが、縫殿の無念が残る。「山椒魚」も同じだが、結末で全て解決というわけでは無い
因果応報ではあるが、清張的余韻が残る作品である。
最後の一行は、『弟のために出世して歓喜した彼は、弟のためたちまち身を滅ぼしたのである。』
でも完結しない。

なぜか、浅岡縫殿は好人物としては描かれていない。一徹で短気な男。
これもなぜか、縫殿の妻(せき/茂兵衛の妹)についての描写が無い。
茂兵衛は最悪の人物、狡賢く己の利益の為には何でもする。子悪党である。
堀田将監は、鬼火の町に登場する「中野碩翁」か?

登場人物の重複「雀一羽」(1958年1月の作品)、「栄落不測」は1956年4月の作品
喜助は「雀一羽」に登場/同名)。
そして、縫殿(ヌイ)は、浅岡縫殿頭直国と内藤縫殿忠毘



●豆知識
小姓:武家の職名。江戸幕府では若年寄の配下で、将軍身辺の雑用を務めた。

2015年04月21日 記

登場人物

茂兵衛 二十五歳。不身持(フミモチ)で嫁がない。酒好き。参百俵、小普請組。
喜多見 重政 喜多見若狭守重政。綱吉から直々に一万石を承る。茂兵衛の兄
せき 茂兵衛の妹。浅岡縫殿の妻。茂兵衛に引き取られている。
浅岡 縫殿 浅岡縫殿頭直国。咎めを受けて西国の親類筋に預けられる。二年ぶりに江戸へ戻る。一徹で短気な男。
堀田 将監 お伝の方の実兄。素行が悪く、無頼の徒とのまじわりがある。屋敷は博奕場。茂兵衛と同類、親交
お伝の方  綱吉の愛妾。実兄が堀田将監。黒鍬組という低い士分の家の娘 
喜助  茂兵衛の家来。若党。 
香取 新兵衛  茂兵衛の家来。縫殿と茂兵衛の修羅場に駆けつけ、縫殿を斬殺する。
浅岡 忠七郎 浅岡縫殿のせがれ。十六歳、喜多見重政の下屋敷に預けられていた。

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