紹介作品 No_061  【遭難】


 

紹介No 061

【遭難】 〔週刊朝日〕 1958年10月5日号〜12月14日号

鹿島槍で遭難(R新聞九月二日付)A銀行丸の内支店勤務岩瀬秀雄さん(二八)=東京都新宿区喜久井町××番地=は八月三〇日友人二名と共に北アの鹿島槍ヶ岳に登ったが、霧と雨に方向を迷い、北槍の西方牛首山付近の森林中で、疲労と寒気のために、三十一日凍死した。(株)文藝春秋『松本清張全集4』 黒い画集 初版1971/08/20より

【蛇足的研究】で登場人物を3名あげた。(書き出し)

岩瀬秀雄:独身。遭難
浦橋吾一:独身。山岳雑誌『山嶺』十一月号に手記を発表。
       岩瀬秀雄と同じ勤め先の銀行員で二十五歳、岩瀬よりやや後輩。
       江田昌利から鹿島槍行を進められたのは七月の終わりであった。
江田昌利:妻がいる。三十二歳、銀行支店長代理。
      S大当時、山岳部に籍を置いていて、日本アルプスの主要な山はほとんど経験ずみ


本題で3名登場した。槇田二郎と岩瀬真佐子。そしてちょっと出の脇役として土岐真吉
岩瀬真佐子は、岩瀬秀雄の姉であり、。槇田二郎は岩瀬真佐子(岩瀬秀雄)の従兄である。
話の前半は、岩瀬秀雄と浦橋と江田の三人の登山行で、浦橋吾一が山岳雑誌『山嶺』に発表した手記
で、後半は槇田二郎と江田の登山行である。
前半は、浦橋吾一の手記であるから「遭難」が客観的に書かれている。
ネタバレであるが。結論から言えば、三人の登山行は、江田昌利の仕組んだ岩瀬の殺人行なのである。
浦橋の手記にはいくつかの伏線が書き込まれている。
登山行に隠された実態を何もしらない浦橋であるから、
書き込まれた伏線も最後まで読まなければ伏線と気が付かない。

伏線とは...浦橋の手記から
江田をリーダーとする登山行は、岩瀬の希望で計画される。
当初の予定が江田の都合で変更になる。
江田は初心者の浦橋の事を考え三等寝台車で登山に向かう。登山行を楽にするための気遣いであるが、
浦橋は安眠できて助かる。しかし、なぜか岩瀬は眠られない旅となる。(寝台車の料金は江田持ち)
登山では、初心者の浦橋に比べても岩瀬の疲労が目に付く。不眠のためか。
親切心か休憩時に、江田は岩瀬のリュックを下ろして休むことを勧める。
天候の悪化から引き返すことを勧めるリーダーとしての江田に対して、進むことを主張する岩瀬。
多少登山経験のある岩瀬の主張に抗しきれず進行す事を決断する江田。
岩瀬の気質からして当然の成り行きも読み込み済み?
手記で浦橋は、このことに反省するが、現場では岩瀬に同調する。
携帯する地図の件も...
伏線の謎は後半の江田と槇田二郎の登山行ですべて氷解する。
しかし、浦橋の手記は遭難時の状況を含め江田の「仕組んだ遭難」を微塵も感じさせない。

山岳雑誌『山嶺』を読んだ岩瀬の姉、岩瀬真佐子は疑問を抱く。
真佐子の疑問は、登山初心者の浦橋が無事で、登山経験もある弟(岩瀬秀雄)が遭難したかという素朴な
疑問であり、従兄である槇田二郎に相談する。槇田は学生時代登山の経験がある。
真佐子の疑問なのか槇田の疑問なのか不明であるが、後者のようだ。
葬儀も済んで二ヶ月後の頃だった、江田は、真佐子から電話を受ける。
真佐子と会う約束をする江田だが、その場に槇田が同席する。
用件は江田に岩瀬の遭難現場への案内を求めたのである。真佐子は同道できるわけもなく、槇田との同道
を約束させられる。供養のためとなれば江田も断ることができない。
ここで重要な伏線が書かれている。
江田に金沢から手紙が来ている。金沢は妻の実家であり、妻は金沢に帰っている。
手紙は妻からではなく、妻の実兄からである。
現在の、江田と妻の関係が明らかになる。

仕組まれた遭難は、江田と槇田の登山行で再現される。
登山の途中で二人は思いがけない人物に出逢う。
江田:「何という人ですか?」
槇田:「土岐真吉というんですよ。松高時代、山岳部でいっしょだったんですよ」

江田はそれを聞いて目をまるくした。土岐真吉の名は、旧い岳人として伝説的な名だった。
その土岐と槇田が友人だと言う。江田の登山の現役という優越感は完全に砕かれた。
槇田は相当の登山経験者であった。

槇田は、伏線の疑問をことごとく江田に正す。冷静にしかし確実に、「仕組まれた遭難」は殺人であることに
言及する。ただ一つ、理解できないのは「動機」である。
動機は江田の自白ですべてが明らかになる。
江田:「よく聞いてください。動機はね。恥を言わないと分かりませんが」
岩瀬秀雄と江田の妻との関係である。二人の関係に気づいた江田の復讐劇が「遭難」の真実だった。
聞いた槇田二郎は「その位置に張り付いたようになった」

江田から二人の関係をそれとなく聞かされた岩瀬秀雄は、
寝台列車で寝付かれない夜を過ごすことになった。
「あの寝台車の中で、それとなく匂わせてやりました。すっかり言ったのではなく、ほんのちょっぴり匂わ
>せてやったんです。その方がかえって相手にとってはショックなんです。岩瀬君が眠れなかったのは、
>そのためですよ。分かりましたか、それだけですよ、動機は....」


>あっ、と槇田二郎が声を立てた。
>それは江田昌利から真相を聞かされたためなのか、それとも、折から彼の足をかけた雪が動き、
>勝手に下に滑りだしたためか分からなかった。江田が掻きのけたためにできた雪の断層に、上層部の
>雪が重みに耐えかねて、下降をはじめたのである。

槇田の遭難を目にした江田は、自らも危機一髪の状況から脱出して、やれやれ、と思った。
>岩瀬の姉の顔が、ふと浮かんだ。彼は瞬間、不安な気持ちになったが、むりに安心した顔になって、
>安全で愉しげな下山のつづきに移った。

残酷な結末である。結末と言ってもすべて終わりというわけではない、余韻があり、続編でもありそうな終わ
り方である
安全で愉しげな下山は、愉しげな生活には続かないのである。
江田にも残酷な明日が待っているのである。二人の殺人者としての将来が...
まさに蛇足だが、槇田の遭難を疑問に感じた真佐子と、江田の妻が連絡を取ることによって真相の究明が
進む展開を想像してしまった。
また、槇田との登山行で、江田が告白して自殺(自らが滑落する)する結末はどうだろう...
槇田と真佐子が婚約者だったら...妄想は尽きない。

あらすじ&感想を書きながら、この「遭難」は殺人なのだろうか?と考えてしまった。
江田は妻と岩瀬の関係を「ほのめかせ(匂わせた)」だけである。作品としては、江田は、「遭難」を仕組んだ
ことになっているが、浦橋は助かっている。岩瀬の「遭難」は偶然とも言える。
浦橋の手記によって、むしろ江田の不可抗力が強調されている。真佐子は手記に疑問を抱いたようだが
江田にとっては、浦橋の手記は余計な事だったのであろう。
江田にとっては、岩瀬と浦橋の二人が「遭難」してもよかったのである。

昨今の「長崎・佐世保市:女子高校生殺人事件」など、動機なき殺人を清張氏はどう語るだろうか?
相手にこの世から居なくなってほしい、恨みの結果が動機になることが多い。すべてと言ってもよいのでは。
殺人そのものが目的(動機)の「殺してみたい」では小説にならない。
でも、この世から居なくなってほしい程度の願望で、直接の行為を伴わない場合は「殺人」とは言えないの
ではないだろうか?。
例えば、江田の不倫を匂わせた行為によって岩瀬が自殺でもしたら...
不倫が発覚したことによってもたらされる修羅場を考え、自暴自棄になって
悪天候の登山を強行して遭難...
もともと、江田は、「不倫を匂わせる」事が目的で、その後の「遭難」は期待程度だとしたら...

「遭難」は完全犯罪でもある。仕掛けはするが、結果は「偶然」でよい。
仕掛けに、結果の必然性がなければ犯罪にならないのでは?
なぜ「星図」が開いていたか」と同種の臭いがする。
ともかく
一年半待て」に匹敵する、お勧め清張作品である。



※気になった表現の一致
●岩瀬秀雄
>彼は貸付係だったので、仕事上、外回りが多かったが、銀行のドアをあおるように開いて外から帰ってくるときの大股な歩き方や、..
●江田昌利
>給仕のあおるように開いたドアから身体を入れて、そこで突っ立ち、店内を見渡した。

※気になった事実?
登山で休憩する場合、いちいちリュックサックを下ろすと疲労が増す?と、聞いたことがあります。本当は?



2014年08月04日 記

登場人物

岩瀬 秀雄 独身。遭難、江田の妻と不倫関係を江田に知られる。銀行員。真佐子は姉。
浦橋 吾一 独身。銀行員。登山は初心者。山岳雑誌に『山嶺』に手記を書く。二十五歳。
江田 昌利 妻がいるが、金沢の実家に帰っている。三十二歳、銀行支店長代理。
岩瀬 真佐子 岩瀬秀雄の姉。浦橋の手記に疑問を抱く。従兄の槇田に究明を託す。三十二、三
槇田 二郎 岩瀬真佐子(岩瀬秀雄)の従兄。学生時代は山岳部。江田と真相究明の登山行
土岐 真吉  槇田の友人。著名な登山家。江田、槇田の登山行にばったり出会う。 

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