紹介作品 No_027  【カルネアデスの舟板


紹介No 027

【カルネアデスの舟板】1957年 「文學界」 8月号


昭和二十三年の早春のことである。××大学教授玖村武次は、中国地方の或る都市に講演旅行に行った。......◎蔵書◎松本清張全集36/カルネアデスの舟板●(株)文藝春秋●1973/02/20(初版)より

大学教授の玖村は、講演旅行のついでに玖村の恩師である大鶴恵之輔を訪ねる。

恩師の大鶴は、戦時中、国家的な歴史論を講じたり、著述して、追放の身であった。

その大鶴を訪ねた動機は、

>「先生、僕の最近云っていることは、どうも先生の学問から離れたようで、
>大へん心苦しく思っているのですが」
>玖村は、仕方なく、先に廻って遠くから謝った。
>彼は今まで手紙の上でも謝罪する折りを失っていたので、それがかねて心の負担になっていた。
>大鶴恵之輔を訪ねてきたのも、彼の前にその言葉を吐いて、滓を掻き出したい目的もあった。


としている。ただ、>滓を掻き出したい目的
あった。

の、「
」が問題である。結局、玖村の今の存在を見せつける、自己顕示欲か?

再会は、大鶴から大学復帰を頼まれ、玖村の自負が満たされる。

>「ねえ、君、僕だっていつまでも自分の学説に縛られて居やしないさ。やはり時代に合わさなきゃね。
>これから新しい方向に勉強するよ」と玖村に媚びるように云った。


大鶴の復活を予想させる。

玖村の努力もあって大鶴が大学に復帰する。

現在の玖村を支えているのが、教科書の執筆者に名を連ねていることであり、参考書の出版である。

教科書出版社からの収入で田園調布に家を持ち、隠し女を持つことが出来るのである。

玖村が自分の隠れた遊び場、料理屋「柳月」へ大鶴を案内する。これも玖村の「愉しみな陰謀」であった。

料理屋「柳月」の女中須美子に、大鶴は好意を抱く。実は須美子は玖村の隠し女だった。

大鶴の努力もあって、玖村が圧倒的優位にあった二人の関係は次第に変わる。

>昭和二十×年ごろまでは....三十×年の最近は大鶴恵之輔は少し玖村に追いついていた。

大鶴の玖村を追いつけ追い越せは、「進歩的、唯物思想」で武装することであった。

玖村の支えが外れる。教科書批判の政治的動きに関連して、教科書の執筆を外される。

玖村の「偏向的、進歩的理論」が災いしたのである。

大鶴の変わり身は早い。「僕はもとの研究態度にかえるよ」

この変わり身は、玖村の予定していたことであった。

そもそも大鶴と同じ根を持つ玖村は、大鶴に先を越されたのである。

一人なら旨く行くかも知れないが、二人では...

人間、窮地に陥ると、そこから抜け出すための方策を考える。

その方策は、自分にとって合法的でなくてはいけない。あくまで「自分にとって」である。

その為に、あらゆる知識を動員する。自分に都合に合わせ、合理化するために。

玖村に取っては、「カルネアデスの舟板」が絶好の知識であった。

玖村は須美子を扼殺して自首する。

「カルネアデスの舟板」には、目撃者はいない。

登場人物の少ない作品である。この小説は、大学教授玖村と大鶴の心理劇のような気がする。

ただ、大鶴の玖村に対する心理描写は、ほとんどない。

教科書問題での批判的精神が「知識者」を俎上に載せている。

むしろ、こちらが主要テーマなのかもしれない

タイトルの命題「カルネアデスの舟板」からくる内容の予測と小説の展開は少し違った。

個人的には消化不良気味の感じがする。

清張はあとがきで

>「カルネアデスの舟板」ではわからないというので、単行本で「詐者(サシャ)の舟板」としたことがある。
>しかし、やはり最初に発表した題のほうが好ましい。


としている。

最後の数行は、
>人は、おれの計算の頭脳と考え合わせて、嗤うかもしれない。
>それも承知だ。どうせ現代は、不条理の絡み合いである。


タイトルは「不条理」で、どうだろ。


発見、大鶴恵之輔の年齢は、

松本清張全集(全38巻)36巻492ぺージ上段9行目  「
五十近い彼としては、無理もない欲望である」

松本清張全集(全38巻)36巻494ぺージ上段16行目 「さあ。
五十六、七かな」

五十近いの間違いだろう。なんて考えたが、この間10年の経過があった。これでいいのだ!。


2005年12月4日 記

登場人物

玖村 武二 大学教授。教科書、参考書の執筆で現在の生活を得る。大鶴と師弟関係
大鶴 恵之輔 玖村の恩師。古代史が専門の元大学教授。戦後追放される。大学へ復帰。56,7歳
須美子 料理屋「柳月」の女中。玖村の女。大鶴も好意を抱く。

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