問 |
問題 |
問 1 |
●松本清張が、北川電気企業社(本社大阪)小倉出張所の給仕に採用されたのは、何歳の時か?
1.15歳
2.16歳
3.17歳 |
問 2 |
●松本清張は、徴兵検査を受け、第二乙種補充兵に合格したのは何歳の時か?
1.21歳
2.22歳
3.23歳 |
問 3 |
●松本清張の三十八歳の出来事は以下の記述のどれか?
1.7月20日、三男誕生(隆晴)。生活費を補うため、アルバイトとして、箒の仲買をはじめる。
48年春までつづけた。
2.早春、初めて安居院に飛鳥大仏を見る。直子夫人が急性肺炎から脳症をおこすが、清張が
進駐軍から手に入れてきたペニシリンでたすかる。
3.朝日新聞西部本社広告部意匠係に勤務しながら、図案家として活躍。
門司鉄同局主催の観光ポスターコンクールに応募し、以後常連となる。 |
問 4 |
●松本清張は小説で、シリーズで化された作品をいくつか書いている。死の枝(原題:十二の紐)の作品で、
実際には書かれていない題名の作品はどれか?
1.「家紋」
2.「史疑」
3.「宴会」 |
問 5 |
●松本清張の作品で、シリーズ作品ではない題名はどれか。
1.「大奥婦女記」
2.「西海道談綺」
3.「紅刷江戸噂」 |
問 6 |
●松本清張の時代小説でシリーズ作品『隠花の飾り』の作品名でない作品はどれか。
1.「北の火箭」
2.「夜の足音」
3.「百円硬貨」 |
問 7 |
●松本清張の小説で「ある」・「或る」のつく題名の小説で間違いはどれか
1.「ある小官僚の抹殺」
2.「或る『小倉日記』伝」
3.「ある地方の出来事」 |
問 8 |
●松本清張全集(全66巻)の第35巻「或る『小倉日記』伝・短編1」に収録されている作品名で間違っているものはどれか?
1.「湖畔の人」・「廃物」・「尊厳」・「西郷札」・「くるま宿」
2.「断碑」・「恋情」・「特技」・「面貌」・「赤いくじ」
3.「笛壺」・「山師」・「腹中の敵」・「ひとりの武将」・「九十九里浜」 |
問 9 |
●松本清張の小説「中央流沙」の登場人物で以下の記述で正しいものはどれか。
1.山田喜一郎・岡村福男・西秀太郎
2.唐津淳平・篠田正彦・瀬川幸雄
3.板垣貞夫・守谷豊一郎・上野吉雄 |
問 10 |
●以下は、松本清張の長篇小説の書き出しの一行である。正しい記述はどれか?
1.「蒼ざめた礼服」●午後三時五十三分、列車は、といってもディーゼル車だが、天橋立駅を西に少し向かって離れた。
2.「ゼロの焦点」●板根禎子は、秋に、すすめる人があって鵜原憲一と結婚した。禎子は二十六歳であった。
3.「十万分の一の偶然」●夏が過ぎ、九月にはいると,どこの印刷所もぼつぼつ活気を帯びてきた。 |
問 11 |
●松本清張の1960年1月から連載が始まった作品であるが一つ間違いがある。どの作品か?
1.「球形の荒野」
2.「わるいやつら」
3.「考える葉」 |
問 12 |
●松本清張の短編小説で1980年代の作品はどれか。
1.「小さな旅館」
2.「閉じた海」
3.「泥炭地」 |
問 13 |
●以下は松本清張の長篇小説の書き出しの文章である。正しい作品名はどれか。
>ミュンヘンの南、シュルタンベルグ湖の北寄りにあるベルクの船着場では、日本人の男たちが九人、
>レストランで他の外国人とともに遊覧船の来るのを待っていた。
>小レストランのまわりは、前面に湖がひろがっているほかは深い森林に囲まれていた。
>桟橋に向かうところに遊覧船の切符売り小屋がぽつんとあって、土産物店ひとつなかった。
>ベルクの町の中心地は東に一キロ離れ>たところにある。
>日本人一行はさきほど近くのベルク城の庭園をのぞいてきたのだった。
>九月のはじめで、日本より早く秋がくる西ドイツのバイエルン州だが、ここの森はまだ緑であった。
>ぼくは仕合わせ湖岸に沿う森林の間には一条の細>い小径がついている。
>小径は奧へたどっていけば水面に建つ朱塗りの十字架が見られる。
>だがそこまでは六キロの距離と聞いて、平均五十歳の九人は断念した。
1.「詩城の旅人」
2.「赤い氷河期」
3.「アムステルダム運河殺人事件」 |
問 14 |
●松本清張の作品(小説)で、実際には同名の作品がないものはどれか?
1.「名札のない荷物」
2.「花実のない森」
3.「獄衣のない女囚」 |
問 15 |
●松本清張の小説で、シリーズ名と作品の題名が一致しているものはどれか。
1.『無宿人別帳』−−−−−「町の島帰り」・「おのれの顔」・「流人さわぎ」
2.『禁忌の連歌』−−−−−「状況曲線」・「天才画の女」・「書道教授」
3.『黒の線刻画』−−−−−「速力の告発」・「六畳の生涯」・「生けるパスカル」 |
問 16 |
●松本清張の作品で、『記憶』と名前がつく作品があるが、間違いはどれか。
1.「水の記憶」
2.「火の記憶」
3.「入江の記憶」 |
問 17 |
●松本清張の長編小説「眼の壁」の書き出しで正しいものはどれか。
1.六時を過ぎても、課長は席にもどってこなかった。専務の部屋に一時間前に行ったきりである。
専務は営業部長をかねていたが、部屋はこの会計課とは別室になっていた。
窓から射す光線は弱くなり、空には黄昏の蒼さが妙に澄んでいる。
室内の照明は夜のものになろうとしていた。
十人ばかりの課員は机の上に帳簿をひろげているが、それはたんに眺めているにすぎない。
五時の定時をすぎて、ほかの課は二三人の影があるだけだった。
この会計課のみが島のように取り残されて灯がついているのだが、どの顔も怠惰しかない。
次長の萩崎竜雄は、これは課長の用事はもっと長くかかるな、と思った。
2.六時を過ぎても、課長は席にもどってこなかった。専務の部屋に一時間前に行ったきりである。
専務は営業部長をかねていたが、部屋はこの会計課とは別室になっていた。
窓から射す光線は弱くなり、空には黄昏の蒼さが妙に澄んでいる。
室内の照明は夜のものになろうとしていた。
板垣の職業は土木建築関係の設計士で、自分の事務所を持ち、二,三の大手土建会社の顧問もしている。
お城の天守閣も松林も雪はうすい、昼食を終わって、予定どおり鰐淵寺へ行くことにし、宿にタクシーを頼んだ。
鰐淵寺は宍道湖の北西岸の平田市にあるが、西へかなり離れている。
市内から出雲大社まで行く一畑電鉄の途中、平田市駅からバスが出ているが、案内書によると、一日一便というから、
車で行くしかない。
3.六時を過ぎても、課長は席にもどってこなかった。専務の部屋に一時間前に行ったきりである。
専務は営業部長をかねていたが、部屋はこの会計課とは別室になっていた。
窓から射す光線は弱くなり、空には黄昏の蒼さが妙に澄んでいる。
室内の照明は夜のものになろうとしていた。
東京が本社で、大阪は支社である。この会社では営業会議を東京と大阪と一回ずつ隔月に行なった。
勝野俊吾がひと月置きに一週間の留守になるのは、その大阪行きのためであった。
そのことは俊吾が課長になって以来、三年間続いた習慣である。
秋の来たある朝、章子は主張する夫をバスの停留所に送った。
そこに行くまで章子は夫の鞄を持ち、自分が整理して詰めた内容物の重さを感じながら、夫のあとに従った。
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問 18 |
●松本清張の小説「彩色江戸切り絵図」(シリーズ作品)の説明で間違った記述はどれか。
1.『彩色江戸切り絵図』の「大山詣で」は、「オール讀物」で、1964年(昭和39年)3月号〜4月号に発表された。
2.『彩色江戸切り絵図』の「三人の留守居役」は、「オール讀物」で、1964年(昭和39年)7号〜8月号に発表された。
3.『彩色江戸切り絵図』の「見世物師」は、「オール讀物」で、1964年(昭和39年)9月号〜10月号に発表された。
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問 19 |
●松本清張作品の『私説・日本合戦譚』で間違った記述はどれか。
1.「長篠の合戦」・「姉川の戦」・「山崎の戦」
2.「川中島の戦」・「厳島の戦」・「島原の役」
3.「西南戦争」・「源平の合戦」・「関ヶ原の戦」
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問 20 |
●松本清張作品で、「ある小官僚の抹殺」と「中央流沙」に共通する事項で間違った記述はどれか。
1.死体の発見者●弁護士(自称弁護士)
2.事件現場●温泉地(熱海温泉・定山渓温泉)
3.女中の証言●「明日はお早いんでございますか」と女中が聞いた。 「昼ころまでには東京につきたい」と答えた。
●女中のお房さんは強調した。「ねえ、明日の朝、自殺する人が、健康のために体操などなさるでしょうか?」
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