『松本清張事件簿No02』
「松本清張と平林たい子」
平林たい子氏が
松本清張が多作の作家のなかでコンスタントに質の高い作品を出し続けた例は極めて
稀で、このため複数の助手作家を使った工房形式で作品を作っているのではないか、
と韓国の雑誌『思想界』(昭和38年)7月で指摘した。
これに対し松本清張は、『日本読者新聞』において反論している。
福岡弁護士会(弁護士会の読書より/投稿者
霧山昴)を参考
http://www.fben.jp/bookcolumn/2008/07/post_1870.html
どうやら、平林たい子氏は転向した反共文筆家らしい。
戦後は、転向文学の代表的作家とも言われ、政治的にも民社党を結党当初から支持するなど
反共・右派色を強めていった。更に保守系の言論人団体である
日本文化フォーラム・言論人懇話会にも参加している。(ウィキペディアより)
共産主義者の秘書に資料を集めさせて、
その資料で書くだけだから、いわば人間ではないタイプライターだと根拠なく非難したことがあった。
しかし、清張は取材記者をつかったことはない。
あくまでも独自に取材し、豊富な人脈をつかって広く資料収集につとめていた。
清張は神田の古本屋(たとえば)「一誠堂書店」)に、関連する資料をごっそり注文して受けとっていた。
口述筆記のため、速記者を雇った。(福岡隆氏)
少し調べたがよく解らない
なぜ韓国の雑誌なのか?
この話の結末は?
2010年12月7日 記
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