清張分室

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清張作品の現場を歩く!


D 数十年ぶりの一人旅
「或る『小倉日記』伝」ゆかりの寺院を訪ねてみました。

松本清張記念館開館17周年記念講演会「松本清張と邪馬台国」に参加のついでに
「或る『小倉日記』伝」に登場するお寺を巡ってみました。


【2015年8月3日】

写真の素養がない私は、デジカメで適当に撮るだけでした。その一部です!

小倉一人旅の前に「森鴎外記念館」(東京都文京区千駄木)へ行きました。
(7月30日)

森鴎外記念館(文京区千駄木)
(7月30日)

森鴎外と北九州・小倉
(パンプレット)
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「或る『小倉日記』伝」訪ねて一人旅(8月2日)

出発:東京駅 新幹線車内(グリーン車) 昼食(夫婦あなごめし) 鴎外旧邸(前庭)
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森鴎外旧邸 案内板 鴎外旧邸(後庭) 鴎外旧邸(前庭) 鴎外旧邸門
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杉田久女記念碑 杉田久女 記念碑案内板 勝山通り交差点:高崎印刷跡地 鴎外京町住居跡
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久女の波乱に富んだ生涯は、
当事者である高浜虚子自身が
『国子の手紙』(1948年)
の題で小説を描いたのをはじめ、
のちにさまざまなフィクションの
題材とされた。
主な物では松本清張の小説
『菊枕』(1953年『文藝春秋』)
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手に職をつける仕事をしたいと
考えた清張は、小倉市の
高崎印刷所に石版印刷の
見習い工となる。
月給は10円であった。しかし、
本当の画工になれないと思った
清張は、さらに別の印刷所に
見習いとして入る。
ここで基礎から版下の描き方を
学び、同時に広告図案の
面白さを知った。
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宿泊先のホテルから
(ステーションホテル小倉)
わっしょい百万夏祭り
(8月1日.2日は夏祭りでした)
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お詫びと訂正

大失敗か?
現場を撮る(「或る『小倉日記』伝」等/10月21日の更新)で、
「或る『小倉日記』伝」のゆかりの地として東禅寺を取りあげた。
「東禅寺」は全国各地にあるが、福岡では福岡県宮若市湯原62の東禅寺が
小倉にも近いし、確信的に早合点した。いや、早合点かも知れないと気づいたのは
「松本清張地図帖」(帝国書院)P40を再読したからでした。(11月27日のこと)
同書によれば、東禅寺は森鴎外旧居(小倉北区境町)近くにあったという...と書かれている。
地図で調べても記載が無い。(近くにあったという...と、過去形で書かれている)
すでに無くなっているのだろうか?
東禅寺については細かい描写はない。
   >東禅寺は小さい寺だった。塀の内側から木犀が道路に見えていた。
   >ふじと耕作とが庫裡に廻ると眼鏡をかけた小肥りの僧が白い着物をきて出てきた。
   >胡散げに耕作をじろじろみた。

大失敗でした。わざわざ出かけたのであるから失態でもある。が、笑えるエピソードとして
自己を慰めている今日この頃です。 お詫びして訂正します。
         2015年11月28日記 
「或る『小倉日記』伝」訪ねて一人旅(8月3日)
護聖寺@
(北九州市小倉南区大字辻三307 )

護聖寺A
(北九州市小倉南区大字辻三307 )
護聖寺B
(北九州市小倉南区大字辻三307 )
護聖寺C
(北九州市小倉南区大字辻三307 )
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東禅寺@
(福岡県宮若市湯原62)
東禅寺A
(福岡県宮若市湯原62)
東禅寺B
(福岡県宮若市湯原62)
東禅寺C
(福岡県宮若市湯原62)
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 福聚寺@
(北九州市小倉北区寿山町6-7)
福聚寺A
(北九州市小倉北区寿山町6-7)
 
 福聚寺B
(北九州市小倉北区寿山町6-7)
 
 松本清張記念館
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【松本清張記念館】

購入品等

手拭い 書籍カバー 観覧券等
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